表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/34

私にできること



北から押し寄せる影の噂は、日に日に濃くなっていった。

斥候が戻るたびに報告は増え、広げられた地図の上に赤い印がじわじわと砦へ近づいていく。


「黒い群れを見た」「牙を剥いた異形が夜を歩いていた」

そんな言葉が飛び交うたび、兵士たちの表情は険しさを増していった。


その印を見るたび、胸の奥に冷たいものが広がった。

けれど同時に、どこか不思議な実感もあった。

「戦いはまだ遠い話」ではなく、確実に迫る現実なのだと。



---



「……やはり、魔物どもか」



会議の場でダリウス様が低く呟いた。

灰色の瞳が地図に落ちると、広間の空気が一層引き締まる。

兵士たちは一斉に背筋を伸ばし、真剣な眼差しで主の声を待った。



「哨戒を増やせ。北門には二重の見張りを置け。備蓄の確認も怠るな」



矢継ぎ早に飛ぶ指示。

鋭い声が響くたび、兵士たちが次々と「はっ!」と声を合わせる。


私は壁際に控えていた。

目の前で繰り広げられる光景に、まるで大きな渦の中へ巻き込まれそうな感覚を覚える。



(魔物が……本当に、来るの?)



恐ろしい。

胸は不安でいっぱいだ。

でも――逃げるつもりはなかった。



(私に……できることは何だろう?)



---



会議が終わった後、兵たちが広間を出て行く。

地図を片づけようとしたダリウス様に、私は思い切って声をかけた。



「た、大変申し訳ありません……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」



鋭い瞳がすぐにこちらを向き、思わず息をのむ。



「なんだ」


「兵の方々が戦っている間……領民や子どもたちは、どうするのですか?」



言った瞬間、場の空気が張り詰めるのを感じた。

彼は一瞬黙し、低く答える。



「戦えない者は避難させる。……だが人手は足りない」



短い答え。

けれど、その隙間に私はすがりついた。



「でしたら……私に手伝わせてください。避難経路や物資の配分なら、まとめ役として動けます」



声は震えていた。

けれど、そこに嘘はなかった。

自分でも驚くほど真っ直ぐに言葉が出ていた。


ダリウス様はしばし黙し、腕を組んで私を見つめる。

鋭い眼差しに射抜かれて、心臓が喉から飛び出しそうになる。


やがて、深く息を吐き、短く告げた。



「……分かった。無理はするなよ」



「……っ、はい!」



その瞬間、胸の奥で熱がぱっと灯るのを感じた。



---



翌日から、私は兵士や領民と共に村を回ることになった。

安全な避難場所の確認、家畜の移動手順、そして食料や水の備蓄。



「まず、ここからこの丘を越えて避難します。急ぎの場合は――」



私は板に簡単な図を描きながら、人々に説明する。

言葉だけでは混乱しやすい。

だからこそ、目で見て分かるように。


「子どもでも分かるように」と、できる限り柔らかい言葉を選んだ。



「……なるほど、分かりやすい」

「おお、これなら迷わず動けそうだ」



次第に人々の顔が和らいでいく。



「貴女がまとめてくださり助かります」

「言葉が柔らかいから、みんな落ち着くな」



背中にそんな声が届いた瞬間、思わず胸が震えた。



(……私でも、本当に役に立てているんだ)



王都で積み重ねた学びが、今ようやく生きている。

誰かを安心させるために、自分がここにいる――その実感が温かかった。



---



その夜。

砦の廊下を歩いていたとき、不意に背後から声がかかった。



「……大丈夫か」



振り向くと、ダリウス様が立っていた。

松明の影の中、彼の鋭い眼差しはいつもと変わらぬ強さを帯びている。



「む、無理はしていません。皆さんが協力してくださって……」



慌てて答えると、彼はほんのわずかに目を細めた。



「村での働き、聞いている。……悪くない」



その一言は短く、淡々としていた。

けれど、耳に届いた瞬間、胸の奥にまで染み込んでいく。



「は……はい。ありがとうございます」



深く頭を下げた私を、彼はしばし見つめ、何も言わずに歩み去った。



---



残された私は、胸の前で両手を強く握りしめる。



(私のことを……見てくれている)



恐怖も不安も消えたわけではない。

けれど、魔物の影が迫る現実の中でも――確かに光はあった。



(もっと……役に立ちたい。この地で、生きたいから)



決意は、静かにけれど確実に、心の奥で強さを増していった。

夜空の星は静かに瞬き、冷たい風が砦を吹き抜けていく。

それでも、私の胸の中には小さな炎が消えることなく灯っていた。



---

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ