表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/34

不穏な影



避難の準備は、思った以上に骨の折れるものだった。

人々はそれぞれの生活を守ろうと必死で、指示に従うどころか反発する声すら上がる。



「家畜を置いて逃げろだなんて無理だ!」

「先祖代々の土地を離れられるか!」



大人たちは自分の家や荷物を気にして動こうとせず、子どもたちは不安と緊張から泣き出してしまう。

兵士たちも訓練に追われており、人手が足りない状況は変わらなかった。


私は胸の前で拳を握りしめ、声を張り上げる。



「ここにいては危険ですし、魔物を倒せば戻ってこれます!!

 だから落ち着いてください!必ず皆さんが無事に逃げられるようにしますから!」



喉が焼けるように痛んでも、声を止めるわけにはいかない。

すぐさま手にしていた木板を広げ、そこに描いた図を示す。



「こちらは東の小道から。家畜を連れて行く人はこちらの列に。西の道から逃げる方は、広場で合流してください!」



混乱する人々の視線が板に集まり、ざわめきが少しずつ静まっていく。

王都で王妃教育の一環として叩き込まれた「群衆整理」の知識。

無駄だと思っていた知識が、今は人々を導くための光になっていた。



「……なるほど。これなら分かりやすい」

「この順番なら、馬車がぶつかることもなさそうだ」



横で兵士が安堵の息を漏らし、領民たちも次第に列を作り始める。



「貴女の言葉なら、皆も素直に聞くようだな」



その言葉に胸が熱くなる。

だが同時に、私の手は細かく震えていた。

それでも――泣きじゃくっていた子どもが泣きやみ、母親が安心したように微笑むのを見たとき、心の奥に小さな誇りが確かに灯った。



---



日が暮れる頃。

避難経路の確認を終え、人々を送り出した私の足取りは重かった。

訓練場の隅に腰を下ろし、深く息をつく。



「……はぁ……」



肩で荒く呼吸を繰り返す。

足は棒のようで、声も掠れていた。

けれど、不思議と後悔はなかった。


そんな私のもとへ、背の高い影が近づいてきた。

気配に振り返ると、ダリウス様が立っていた。

夕闇に染まる砦の中で、彼の影は一際大きく、頼もしく見えた。



「……よくやってくれた」



低く響く声。

それはただの評価の言葉ではなかった。

私という存在をきちんと見て、告げられた言葉だった。



「い、いえ……私は、ただ――」



慌てて言い訳を口にしようとしたが、その先を遮るように彼は言った。



「君がいなければ、民が混乱して避難は進まなかっただろう。……それは間違いない事実だ」



真っ直ぐな声が、胸の奥に届く。

初めてだった。

努力や形式ではなく、存在そのものを認められた気がした。

その温もりが胸いっぱいに広がり、思わず俯いてしまう。



「……ありがとうございます」



小さな声でそう返すのが精一杯だった。



---



その後も避難誘導は続いた。

私は物資の確認や子どもたちの世話に奔走し、兵士たちと肩を並べて働いた。



「次の小隊はここに麦を積みます。水袋はこちらへ!」

「この子たちを馬車に。順番に!」



兵士たちは忙しい合間に私へ声をかけてくれた。



「貴女がいると助かる」

「言葉が柔らかいから、皆が従いやすい」



その一言一言が、私を支えてくれる。

疲労で足は重く、手には小さな傷もできた。

それでも心は、不思議なほど軽やかだった。



(私は……この地でなら、生きられる)



そう信じられるようになったから。



---



しかし、砦の外では不穏な影が日に日に濃くなっていた。

斥候の報告によれば、北から迫る群れの数はますます増えているようだ。


「牙の生えた獣の群れを見た」

「二足で歩く異形の影が、森を越えて進んでいる」


――最初は百に満たなかった数が、二百を超える規模にまで膨れ上がっているという。



「奴らは本格的に動き出すだろう」

「砦を飲み込むつもりか……」



兵士たちの声は低く、重苦しかった。

私は報告の全てを知らされてはいなかったが、廊下で交わされる断片的な言葉を耳にするたび、胸の奥が冷えていくのを感じた。



(初めての……魔物との戦いが目の前に)



私はまだ知らなかった。

この戦いがどれほどの犠牲を伴うものなのかを。

けれど確かに――闇は迫りつつあった。



---

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ