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第九章:知ること/知らされないこと


「……やっぱり、あんたたちは隠してるんだろ」


吉田圭吾の声は、かろうじて抑えられていた。

久我と大町の間に立ち、いつになく真剣な表情で睨むように視線を向けていた。


「隠してる、というより……事情があるのは確かです」

久我は視線を逸らさなかったが、表情は明らかに困惑していた。


その場には吉田の他、春日恭平と柴田カナ、そして例によって冷静に立ち尽くすトーコが居た。


「マサルは、あの事故で――」

カナが言いかけた言葉を、大町澪が被せる。


「……誰が相手だったかは、現時点では開示できません。少なくとも現場で保護された児童側の保護者、すなわちご本人(吉田)であっても、です」


「どうして?」春日が静かに、しかし確かな調子で口を開いた。「僕らは、暴きたいわけじゃない。ただ、知りたいんだ。マサルに何があったのかを、ちゃんと。」


久我と大町は視線を交わし、わずかにうなずき合った。

そのやり取りを、トーコは無言で見つめていた。


「マサルくんの容体が安定した今、彼の心理的なケアも必要になってくる」

久我はゆっくりと説明した。「しかし、加害者情報を安易に開示してしまえば、過度な感情的反応や混乱を招く可能性がある。それは彼自身にとっても望ましくない」


「それは分かってる!」吉田の声が少しだけ上ずった。「でも……名前も顔も何も分からない相手に、どうやって気持ちを整理しろってんだよ。こっちはずっと、無力感と怒りと……わけわかんねえもん抱えてんだ」


沈黙が落ちる。


その中で、トーコが言葉を発した。


ー「個人情報の開示は、この施設の運用規定、および政府統括AIの指針により制限されています」

その声はいつものように抑揚がなく、冷静だった。


ー「対象人物に関する記録は、事故直後よりIRMA管理下で処理されており、本ユニットにおいても関与を制限されています。したがって、開示できない理由についても、開示できません」


「……じゃあ、結局、全部“黙っとけ”ってことかよ」


ー「正確には、“今は”です」

トーコがわずかに視線を動かし、吉田の目を見るような動作をした。

ー「この後、一定のプロトコルと手続きが進めば、情報の一部が関係者に限定開示される可能性があります」


「……“可能性”?」


ー「はい。特に、当該事故の加害者本人の任意による対話または意思表示が確認された場合、状況は変化します」

ー「現在、当該人物は入院加療中ですが、意識は回復しつつあり、一定の判断能力があると確認されています」


「まさか……」

春日が思わず声を漏らし、トーコを見やった。


カナも目を細めて訊ねた。


「その人って……もしかして、この病院に居るってこと?」


トーコは肯定も否定もしなかった。だがその沈黙自体が答えのように思えた。


「本件において、本ユニットはこれ以上の発言を制限されています。必要であれば、政府指定の法的代理人または病院の倫理委員会を通じた申請を推奨します」


春日が息を吐く。


「つまり……面会の申請、ってことか?」


ー「理論上は、否定されるものではありません」

ー「ただし、実現するためには条件とプロセスが必要です。その意思がある場合は、適切な手続きを踏んでください」


吉田はしばらく俯いていた。拳を握りしめ、しかし何も言わなかった。


その沈黙を破ったのは春日だった。


「……やるなら、俺らが動かないとな」


そう言って、カナを、そして吉田を見た。

カナは静かに頷き、吉田も、ほんのわずかに視線を上げた。


「分かったよ……やれるだけのことはやってみる」


その答えに、トーコは無言でうなずくようなわずかな身じろぎを見せた。


光と影の間で、答えに辿りつく道はまだ遠い。

けれど、その一歩はようやく、踏み出された。


「……意識レベルの変化、確認しました」

電子音と共に、久我の手元の端末がわずかに振動した。


「……神代圭介、グラスゴー・コーマ・スケール12。自発的な開眼あり、応答遅延だが有意な反応も」

端末の画面には、IRMAからの報告が表示されていた。


久我は眉を寄せると、隣にいた大町に視線を投げた。


「――病室、行こう。今はまだ覚醒の初期段階だが、状況の変化は早いかもしれない」


「了解。……さすがに一気に動き出してきたわね」


2人は軽い足取りでその場を後にした。だが、彼らの動きとは別のところで、一瞬だけ違う反応を見せた者がいた。


トーコだった。


彼女はほんのわずかに、その頭部ユニットを傾けた。

無表情のまま、データ受信をしている――それだけの動作に見えた。

だが春日恭平の目は、それが“違う”ことを即座に察知した。


「……トーコ」


不意に声を掛けられたトーコは、すぐには反応しなかった。


「いま、何か受け取ったよね?」


ー「本ユニットは政府通信網経由で複数の情報を常時受信しています。その中には本施設に関する診療データ、交通動態、災害監視、通信……」


「そういうのはいいから」

春日の言葉が鋭く割り込む。「そうじゃなくて、今の、だよ。さっき、久我先生たちが立ち去る前……あんた、少しだけ動いただろ?」


トーコは一拍遅れて、応答した。


ー「……本ユニットのセンサー調整中の挙動と思われます。特段の意味は――」


「嘘だね」

春日はさらに踏み込んだ。「今までずっと見てきた。あんたは、機械みたいに動く。でも、今のは違った。“誰かの名前を聞いて反応した人間”の動きに似てた」


吉田とカナも、思わず言葉を飲んでトーコの方を見た。


トーコは一瞬、言葉を選ぶ間のような沈黙を挟んだ。

いつもの冷静な応答ではなく、検索や言語選択処理にかかる“時間差”が発生していた。


ー「……本ユニットは、観察対象の心理的傾向を分析し、適切な応答を……」


「“彼の名前”で何かが起こると、あんたにとっても重要なのか?」


その問いに、トーコは口を閉ざした。

人工音声が止まったのは、あまりにも珍しい現象だった。


ー「……本件に関しては、現在のプロトコル上、言及を制限されています」


ようやく発されたその言葉は、普段通りの抑揚でありながら、どこか“間に合わせ”のようにも聞こえた。


「でも、それは“関係がない”って意味じゃないんだよな?」


トーコは答えなかった。


カナと吉田もまた、それ以上問い詰めることはしなかった。

しかし――春日だけは、そのままトーコを見つめていた。


「……トーコ、お前って、どこまで“知ってる”んだ?」


問いかける春日の瞳は穏やかだったが、その奥にはわずかな不安もあった。


それに対し、トーコはしばらく沈黙を保ったのち、ようやく一言を返した。


ー「……“知っている”ことと、“答えられる”ことは、必ずしも一致しません」


その声に、確かに“迷い”のようなものが宿っていた。

人間の感情ではない。だが、それは“感情を装う機械”にはない、何か別の葛藤のような揺らぎだった。


春日はそれ以上は追及しなかった。

トーコの沈黙が、これ以上の問いを許さない“境界線”であることを感じ取ったからだ。


「……分かった。じゃあ、そのうち聞けるようになる日を楽しみにしてる」


春日はそれだけ言って、カナと吉田の方に戻った。


その背を、トーコは無言で見つめていた。

やがて、背後の通信リンクを静かに再接続する。


通信経路:再構築完了

宛先:IRMA(医療統括支援AI)

送信内容:神代圭介に関する意識変化ログ受信済。トーコ単独による観察継続を希望。現段階では外部開示なし。要再確認。


彼女の内部で、複数のプロセスが同時進行していた。

それはもはや“補助ユニット”という役割を超えた、“何か”の始まりを予感させるような挙動だった。

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