第八章−12:「少年の沈黙と決意」
朝、母は何も言わずに出かけていった。
玄関の扉が閉まる音と、足早に立ち去る足音。
それを布団の中で聞きながら、マサルは薄く目を開けた。
「……また、何も言わずに」
自分だけが、部屋に、家に、空気に、取り残される──その感覚はもう慣れていたはずだった。
けれど、無労働日とかいう、学校も塾も何もかも止まった今日だけは違った。
昨日テレビの中の人が言っていた。「今日は誰も働いちゃいけない日です」って。
じゃあ、母は何をしに出かけたのか。
冷蔵庫には何も入っていなかった。カップ麺すらなかった。
何の用意もなかったから、これはただの「外出」ではないと、マサルは思った。
もしかして、自分がいない場所へ行こうとしたんじゃないか。
そう思った時、胸の奥に薄い痛みが走った。
「……行こう」
父のところへ行こうと、マサルは決めた。
今どこに住んでいるかは知らない。でも前に住んでいた場所には、きっと何かある。ヒントが。何かしらの気配が残っているはずだと、そう思った。
自転車に乗った。小さなリュックには、何も入っていない。
でも心の中には、「行く理由」だけがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
空はまだ少し明るくて、季節は多分、春。息が白くないからきっと、寒くはない季節だ。
だけど心の中には、ずっと冬が居座っていた。
父の顔が、思い出せそうで、思い出せなかった。
でも会えば、きっとわかる。言葉じゃなくても、きっと、何かが通じる。
そう信じて、自転車をこいだ。
──けれど、道の途中で目の前に飛び出してきた車に、マサルの旅はあっけなく終わった。
衝撃と、冷たいアスファルト。そして視界の隅で揺れる夕暮れの色。
痛みと恐怖と、あと何かが一瞬にして押し寄せてきた。
でも声は出なかった。
出したくなかったんじゃない。
出せなかった。




