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第五章−9:「ほんとは働きたかったんでしょ?」

「あのさ、春日くんって……今、働いてないんだよね?」


あかりの声は、これまでよりも少しだけ慎重だった。

先ほどまでの「トーコ開発秘話コント」ではしゃいでいた空気から一転、リビングのソファに全員がゆったりと腰掛け、温かい紅茶をすすっていた。


春日は、カップを持つ手を止め、軽く目を伏せた。


「そうだよ。働いてない。もう、ずいぶん長いことね」


「なんで? 体調とか悪いの?」


あかりの問いは好奇心から出たものだが、責めるような響きはなかった。

だからこそ、春日も少しだけ、心の奥の言葉を出してみる気になった。


「働くこと自体が嫌いだったわけじゃない。ただ……居場所がなかったんだよね。どの職場でも、気を遣いすぎるって言われた。空気を読みすぎて、疲れて、浮いて……」


「そんなの、気が利くってことじゃないの?」


「そう言ってくれる人もいた。でも、結果的に“扱いにくい”ってなる。リーダーシップ取るでもなく、ムードメーカーでもなくて、指示待ちでもない。じゃあ何なんだって、よく言われたよ」


「えっ、それって……」


「“お前、いなくても別に困らないんだよね”って、目で見られる。言われなくても、わかる」


春日は静かに微笑んだが、その目には少しだけ翳りがあった。


「自分を押し殺して、適当にやり過ごすってのが、苦手だったんだよ。どこ行っても、浮く。でも、嘘もつきたくない。気を抜けば、誰かの顔色を読んでばかりになる」


「……わかるかも、そういうの」


あかりの口調も、自然と柔らかくなっていた。

天然でマイペースな彼女には、他人と歩調を合わせすぎて疲れてしまう人の苦しみが、ほんの少し想像できたのだろう。


その空気に割って入るように、トーコの無機質な声が落ちる。


ー「春日恭平氏の職歴において、観察上の共通点は“過剰適応”と“強制的離脱”です。本人の能力と組織の期待値との齟齬が、心理的消耗を引き起こしました」


吉田が眉をひそめる。


「言い方ァ……」


「……だが、事実として正確です」


春日は苦笑して、茶を一口飲む。


「さすがトーコ。傷をえぐるのが上手いね」


ー「訂正。私は“事実”を並べているだけです。感情は考慮していません」


あかりが、ちょっとむくれたような顔でトーコに言う。


「でもさ、そういう春日くんのこと、責める気なんてないよ。むしろ、ちゃんと話してくれて嬉しいし」


ー「私の機能には“嬉しい”の定義はありませんが、対象者の心情変化を観測することは可能です。あかり氏の言葉は、春日氏の安定に貢献しています」


「……ってことは、今の私の発言、すっごく良かったってことだよね?」


ー「ポジティブな評価と解釈できます」


「やったー!」


あかりがガッツポーズを取ると、ふと隣の春日が苦笑混じりに呟く。


「そうやって……自分の気持ちをちゃんと出せるの、すごいよ。俺には、まだうまくできないけどさ」


「そう? でも、できるようになるよ。たぶん。いきなり明日ってわけじゃなくてもさ」


あかりの声は、どこまでも自然で、どこまでもまっすぐだった。

そのまっすぐさが、春日の心をすこしずつ、溶かしていく。


トーコが、空気を壊さないように挟み込む。


ー「観察ユニットの見解としては、“個人の社会的適応”における最適解は、周囲との摩擦ではなく“互恵的な共生”による着地点です。言い換えれば“居場所”の再定義が必要です」


「それが、いつか見つかれば……ってことか」


春日がそう呟いたとき、あかりはにこっと笑って言った。


「それまで、うちでニートしててもいいよ? その代わり、カフェごっこは義務だけどね!」


「……ちょっと待て、それも“労働”じゃ……」


「無償奉仕です!」


三人のやりとりに、トーコが静かに追記する。


ー「記録:対象者間における緊張緩和および社会的承認の兆候あり。感情的交流による非公式支援関係、進行中」

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