5.変身と反応【てる】
その後、買ってもらったイヤリングを身に着けてから、お茶をして、帰途に向かった。
先に勝利の最寄り駅につくのだが、勝利はいつもてるの最寄り駅まで一緒に乗っていってくれる。夜であれば部屋まで必ず送ってくれるのは、大切にされているようで嬉しい。
今日はまだ明るいので、駅で別れる。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。キーケースは、出来上がったら取りに行っておくから」
「時間が合えば一緒に行きますよ?」
「じゃあ、時間が合えば、な」
勝利が電車に乗って帰っていくのを見届け、てるも自宅に向かう。
明日は月曜日。
いよいよ、てるの『普通デビュー』が始まる。
正直、まだ不安はある。
以前ほどではないが、まだ脳内で嘲笑の声は聞こえてくるし、周りの人の目も気になる。
しかしてるは決意したのだ。変わる、と。
耳にそっと触れる。
ガーネットには、『夢や目標を達成する』という力もあるらしい。
どうか、力を貸してもらえますように。
てるはそう願いを込めて、イヤリングを揺らした。
・~*~・~*~・~*~・
翌朝。
前日に選んだ服を着て、ベースメイクにほんの少しのチークやアイブロウなどでメイクをし、仕上げに色付きリップを塗った。
てるは口紅と相性が悪いのか、塗るとカサカサに乾いてしまう。そのことを多佳子に相談したら、「質のいい口紅ならそんなこともないかもしれないけど・・・じゃあまずは、色付きリップにしてみようか」と勧められたのだ。
今の色付きリップは、うっすら色づくものから口紅並みに色づくものまでバリエーションが豊富で、しかも保湿に特化したものなどもある。初心者のてるには手が出しやすい値段だったこともあり、今回はそれを採用したのだ。
昨日のデートでは、少し濃いめの赤にしたが、今日は仕事なので、薄いピンクにする。それでも、塗る前と塗った後では印象が大きく違った。
今日の服装はパンツスタイルにした。
冬で寒いことと、いきなり会社でスカートを穿くのはまだ抵抗があったからだ。その代わり、トップスは裾に白いレースがあしらってある、ベージュっぽいピンクのニットにしてみた。
新しい眼鏡をかける。
度無しなので常にかけている必要はないが、やはり仕事モードに切り替えるにはあった方がいい。
そして耳には、昨日買ってもらったイヤリング。
「よし、行こう」
姿見で確認して時計を見ると、いつも出る時間より少し遅れてしまった。慣れないことで時間がかかってしまったらしい。遅刻するほどではないが、少し急いで駅に向かった。
会社までは順調についたが、営業二課に入るのには勇気が行った。
とはいえ、前でうろうろしていても仕方がないので、意を決してフロアに入っていく。
「お、おはようございます・・・」
「あ、おはようてる・・・ちゃん?」
佐藤(男)がてるを見て固まったのをみて、不安が倍増する。やはり何か変だっただろうか。
「あーてるちゃん!今日はその服装にしたのね!うんうん、できるお姉さんって感じ!」
明るい多佳子の声が聞こえ、張り詰めていた気持ちが少し緩んだ。
「多佳子さん、おはようございます。土曜日はありがとうございました」
「ううん、こちらこそ、楽しませてもらっちゃったから。メイクも頑張ったね。えらいえらい」
ぽふぽふと頭を撫でられ、ほっとする。
「佐藤君?君のせいでてるちゃんが不安になってるんだけど・・・可愛くなった後輩に、何の言葉もかけないってどういうことかな?もう一度、一から教育しなおそうか?」
ニコニコ笑って言う多佳子を見て、何故か佐藤の顔はみるみる青ざめていく。
「いえ、あの!あまりに変わっていたからびっくりして二の句が継げなかったといいますか!大変可愛らしく変身したと思います!」
「佐藤さん、いいですよ、無理しないで・・・」
気を遣ってくれたのだろう佐藤に申し訳がなくてそう言うと、佐藤がぎょっとした顔でこちらを見た。正確には、てるの横の多佳子を、だ。
「佐藤くぅん・・・?」
「すみません姐さん違うんです!申し訳ありません!」
「朝から何騒いでるんだよ?」
「おはようございまーっす!」
平謝りする佐藤を見遣りながら、木田と本橋が入ってきた。後ろを向いていたので、てるには気付いていないらしく。
「あ、お二人ともおはようございます」
挨拶をしたてるを見て、二人とも一瞬固まった。
「えー!てるさん!?どうしたんすかめっちゃ可愛いじゃないっすか!眼鏡も変えたんすね」
「びっくりした。イメチェンか?そういう格好も似合うんだな。髪も切ったか?」
「あ、あ、ありがとうございます。はい、ちょっと切りました」
「ねー心が潤うよねー。いろんな服着てみてほしい!」
「おはようございます。にぎやかですね」
勝利の声が聞こえ、てるはドキッとした。どうやら朝から打ち合わせが入っていたらしい。
「あ、課長、おはようございます!見てくださいよてるさんの変身っぷり!」
本橋が無邪気に勝利に話を振るが、てるは内心ひやひやしていた。
勝利はざっとてるの恰好を見た後、一瞬だけ、耳元に視線を留めた。
「まあ、普通のOLだな」
「課長!それ褒めてませんから!」
そう言って皆は笑っていたが、てるは嬉しかった。
てるがなりたかったものを、勝利は分かってくれている。
仕事が始まる直前、多佳子にこっそり耳打ちされた。
「てるちゃんのイヤリング、彼氏さんからのプレゼントでしょ?」
「え、なんで分かるんですか!?」
「それ見た瞬間、誰かさんが嬉しそうにしてたもの。分かる分かる!」
確かに一瞬止まってはいたけれど、てるには表情の変化はわからなかった。多佳子の観察眼の鋭さにはただただ驚かされるばかりだ。
・~*~・~*~・~*~・
精神的にぐったり疲れ、初日はいつもより早くに寝てしまったが、二課の皆の反応で少し自信がつき、翌日にはスカートも履いてみた。
まだ不安に思うこともあるが、これなら続けられそうだ。
明日の服は何にしようかとクローゼットの前で悩んでいると、メールの着信音が聞こえてきた。
勝利である。
『今、電話していいか?』
返信せずに直接かけると、すぐに出た。
『こっちからかけるのに』
「いつも課長からだと申し訳ないですよ。たまにはかけさせてください」
『じゃあ手身近に。金曜日、新月だけど大丈夫か?』
「はい。ばっちりチェックしてありますよ!夕飯どうします?」
二人が両想いになって初めての新月だ。今までは外で夕飯を食べていたが、そこに縛られる必要も無くなった。
『それなんだけど・・・』
勝利が珍しく、歯切れ悪そうに言う。
「どうしました?」
急な用事でもできたのかと問うと。
『うちに泊まらないか?』
「え・・・?」
『うちに来て、夕飯食べて、まあ吸血もして、そのまま泊まらないか?翌日休みだし・・・』
言われている意味は分かる。そして『泊まる』という言葉が、ただ泊まることだと思うほど子供ではない。
嫌なわけではない。ただ、てるの心に浮かんできたのは、戸惑いと、羞恥と、未知への恐怖だった。
「・・・」
『・・・ごめん。変なこといったな。それはまたいつか。金曜は、いつも通りてるの家に行っていいか?渡したい物もあるし』
「あの、課長、違うんです、嫌とかじゃなくて!」
『分かってるよ。ちょっと焦りすぎた。大丈夫だから。じゃあ、金曜日よろしく。おやすみ』
「おやすみ、なさい・・・」
ツーッツーッと通話が切れた音が、妙に耳に響く。
勝利はいつも通り、優しい声音で「おやすみ」と言ってくれた。
きっとてるが気にしないように、気を遣ってくれたのだ。
こんなに優しくて、自分のことを大切にしてくれる勝利に応えられないなんて・・・。
自分が情けなくて、目に涙がにじむ。
しかし、泊まりに行く勇気は持てず、悶々としたまま、布団を被ることになった。




