7.二人の女性の忠告
あの日から。
てるが、おかしい。
日に日にやつれていっているようだ。明らかに顔色が悪い。仕事はがむしゃらにしているように見える。
いったい何があったのか、勝利には見当もつかない。
何度か声をかけようとしたが、その度に、拒絶されているのを感じてしまい、結局行動に移せないでいる。
どうしたのだろうか。
自分は、何かしてしまっただろうか。
分からない。
パーティの前日。
多佳子からきつめに帰るように言われ、てるは二課を出ていった。
心配で着いて行きたい気持ちはあったが、明日残業できない分、もう少し進めておきたい仕事があったため、勝利は諦めてデスクでパソコンを見ていた。
今日は、営業先から直帰する者もいて、二課は閑散としている。
すぐ近くに気配を感じ見上げると、多佳子がデスクの前に立っていた。
「てるちゃんに、何をしたんですか?」
「・・・何も、」
していない、とは言えず、言いよどむ。
勝手に吸血をした。厚意に甘えて今も吸血させてもらっている。
それを無視して、『何もしていない』とは言えない。
多佳子は黙った勝利を見て、大きくため息を吐いた。
「確信があるわけじゃないですけど」と呟く。
「周りが見えてないんじゃないですか?ご自分の顔の影響力、よくご存じでしょう?今まで何もなくても、これから先も何もないとは限らないんです。・・・守ることができないなら、中途半端に手を出さないでくれる?赤家君」
入社当時の呼称に、苦い気持ちが込み上げる。
勝利の方が役職が上になってからは、決して言わなかった呼び方を今使うと言うことは。
多佳子はそれだけ言って、踵を返して行ってしまった。今日は帰るのだろう。
言われた意味を反芻する。
もしかして、てるが誰かに嫌がらせを受けたのだろうか。
それで、自分にも相談できずに、苦しんでいる?
・・・ありそうな話だ。ただの部下であった女子社員にも嫌がらせをした奴らがいるのだ。自分が気持ちを寄せているてるに、何か仕掛けてきたとしてもおかしくない。
勝利は心臓がヒヤリと冷たくなったのを感じた。
今まで吸血に関してしか使ってこなかったが、連絡するべきかもしれない、いや、それよりも直接会って話した方がいいだろうかとスマホを取り出してみると、メールが一通来ていた。
姉、香澄からである。
『今すぐ降りて来い』
件名もなく、余計なことも書いていない。
無視したいが、そうすると余計大変なことになるのは分かっているので、手早く仕事をキリのいいところまで終わらせ、1階まで降りていく。
ロビーには予想通り、傍から見れば美女、勝利にとっては猛獣の姉が仁王立ちしていた。
「いきなりどうし、ぐぅっ」
声をかけながら近付くと、無言のまま香澄が殴ってきた。腹を。思いっきり。
あまりの痛みに腹を押さえて呻いていると、上から声が降ってくる。
「あんた、何やってんの」
「それはこっちのセリ、」
「ふざけんじゃないわよ何なのよあんた!どうして何も言わずにコトにだけ及んでるわけ!?あの子の善意に甘えすぎじゃないの!?ほんっとうに見損なったわ。最低」
「ちょ、待って、とりあえず場所変えよう」
勝利も香澄も、どうしても目立つ。その二人が喧嘩っぽいものを始めたのだから、明らかに人目を引いていた。ここでは、勝利のことを知っている社員も通るかもしれない。
半ば香澄を引きずるようにして移動する。
近くの喫茶店に連れていくと、移動中に少しは頭が冷えたのかもしれない。おとなしく注文して席についた。
勝利を睨みつけてくる視線の鋭さは変わらなかったが。
「あの、今日はどうして?」
「・・・父さんと母さんが、アンタが吸血したって言うから」
その言葉に、勝利はピンときた。
「まさか、彼女に会いに!?」
「あったりまえでしょうが!この15年間一度も吸血しなかったアンタが、やっと吸ったのよ!?そんな相手、逃すわけないでしょ!さっさと結婚してもらわないとと思って、ちょっとご挨拶に伺ったのよ。それなのに、あんないい子を、アンタは唯の食い物にして・・・!」
「食い物にしたわけじゃない!」
「はぁ?きちんと好きとも言わずに吸血だけしてるくせに?聞いたわよ、もうすぐ半年なんですって?それまで、何回吸った訳?その間、何も言わなかったのはアンタでしょ!!」
「・・・」
姉の指摘はもっともだ。
平日は毎日のように会っていて、月に一度は吸血していて、言う機会がなかったなんて言えない。
ただただ、自分が臆病で、言わずにずるずるとこの関係を続けて来ただけだ。
てるの優しさに付け込んだ、この関係を。
「・・・そんなんだから、アンタ、逃げられるのよ」
「え?」
「てるちゃん、言ってたわよ。『もうおしまいにしようと思ってる』って」
「なんで、急に・・・」
先月の吸血の時は、普通だった。
ああでも、この一週間くらいは明らかにおかしい。
『おしまいにしようと思っている』それを言い出せなくて、苦しんでいたのだろうか。
だとしたら、苦しめていたのは自分でーーー。
「アンタに好きな人ができたからだってさ」
「へ?」
「アンタに、誰か好きな人ができたから、献血は終わりにした方がいいって考えたんだってさ」
香澄の言うことが理解できず、つい聞き返してしまう。
好きな人?勝利の好きな人はてるだ。てるは気付いていたのか?それで、どうして終わりにした方がいいという考えに至るんだ・・・?
「アンタ、頭いいくせにこういう時は本当に阿呆だよね。てるちゃんはね、アンタが別の誰かを好きになったって誤解してたわよ。だから、自分は離れるべきだって」
「何だって!?」
「うるさい。大きな声出すな。そもそもアンタが原因でしょうが」
「・・・なんてこった・・・」
呆然と呟く勝利をちらりと見て、香澄は飲み物を一気飲みする。
かちゃん!と勢いよくカップを置いて、席を立った。
「まあでも、脈はあるんじゃない?」
「え?」
「あれは、『アンタを思って身を引く』って感じだったわよ。あとは自分で何とかしなさい。30過ぎて姉の世話になりたくないでしょ」
じゃあねと店を出ていく後姿を、ぼうっと見送る。
何がどうしてそうなったかは分からないが、盛大な誤解が生まれているらしい。
次の新月までなんて、悠長なことを言ってはいられない。
今すぐ、てるの誤解を解かなくては。
勝利はすぐに行動を開始した。
幸いなのか、明日は創立記念パーティーーーホテルという場所柄、二人きりになる場所を押さえるのは容易い。
後は、そう。
自分の思いを伝える。
ただ、それだけだ。




