5.縮めたい距離
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい。何ですか?」
10月。
勝利は、てるに対してはすっかり素の話し方で会話するようになった。
今日は、マスクについてのてるの考えを聞こうと目論んでいる。
さすがに直接聞くことは恥ずかしいので、少し遠回し(勝利としては)に。
「友人の、話なんだが・・・そいつも俺と同じで、いつもマスクをつけてるんだ。で、その、気になる女の子がいて、最近ようやく話をするようになってきたらしくて・・・やっぱりアプローチするには、マスクを取った方がいいかどうか悩んでいて。女性からすると、どうだろう?」
「マスク、ですか。一般的には、やっぱり表情が見えた方が距離は近付くんじゃないですか?」
「佐藤さんは?」
一般論が聞きたいわけではない。重要なのは、てるの考えだ。
「まあ、恋愛に関わらず、どんな相手でも顔が見えた方が安心しますね」
「そうか・・・」
やはり、取った方がいいらしい。
そもそもつけ始めたのは、勝利が血の匂いに暴走しないようだったが、最近はその衝動もさほど強くは感じない。おそらく、定期的に吸血できていることと、「また次の新月も吸える」という期待で精神的に安定しているからだろう。
これならおそらく、マスクをとっても問題ない。
今日の目標はもう一つ。
田淵から聞いた、『ボディータッチ』である。
てる宅の玄関で、いつものように丁寧に首筋を舐め、吸血する。
いつもは終わると、そのまま離れていくが、今日は違う。
「課長・・・?」
どうしたのかと心配する声を、自分の体の中に閉じ込める。
一瞬。だが、確実に抱き締めた。
そしてすぐに離す。
「では、また明日」
そう言ってその場を後にする。
これ以上は、勝利の理性が持ちそうもなかったからだ。
少しは、自分のことを意識してくれただろうか。
少しは、二人の距離が縮まっただろうか。
しかし翌日。
てるはいつも通りだった。
マスクを取ったことにも特に反応がない。むしろ周りがうるさすぎて、勝利は辟易した。
抱き締める時間が短すぎたのだろうか。
勝利は反省し、来月に生かすことを決意した。
・~*~・~*~・~*~・
多佳子とてるが、パソコンの画面を見ながら何か言い合っている。
どうやら、会社の創立記念パーティの話らしい。
「あ、ああいうドレスって、どこで売ってるんですか・・・?デパート?ブランドショップ!?銀座に行けば売ってますか!?助けて多佳子さん!!」
「てるちゃん落ち着いて!銀座なんか行かなくても、結構どこでもあるから!ぶっちゃけカトーヨーカドーみたいなところにもあるし。ね、じゃあ一緒に買いに行こう!私、一回てるちゃんの服見立ててみたかったんだー!」
「よ、よろしくおねがいします多佳子さん!」
ドレス。買いに行く。見立てる。
なんて羨ましいことを。つい、多佳子をじっとりした目で見てしまう。
それに気付いたのだろう。多佳子がこちらをちらりと見た。
多佳子を責めても仕方がない。いまだに自分の思い一つ伝えられない、不甲斐ない自分がいけないのだから。
初めて吸血してしまってから、もうすぐ5か月。
もうそんなに経つというのに。
二人の距離は、おそらく、ほぼ縮まっていない。
ある日、外出から戻ってくると、身長の高い女がてるを抱きしめていた。
同期の斎藤久子である。
「何やってるんですかあなたは」
即、てるから久子を引きはがす。
勝利も抱き締めたことはあるが、もっと軽くだったし、一瞬だった。
それをこの女は、ぎゅーっという擬音語が付きそうなほどしっかり抱きしめているではないか。
悔しい。うらやましい。妬ましい。
「何すんのよ赤家!」
「それはこちらのセリフです斎藤主任。営業二課の佐藤に何か用ですか?仕事の邪魔をしないでいただきたい」
わざと丁寧な言い方をすると、相手も反撃してきた。
「うちの佐藤~?よく言うわよね。てるちゃんが異動したその日に顔を見るなり、人事部に駆け込んで『今すぐ別の人に変えてください』って直談判しに行った男が」
「・・・それはっ・・・!男性の営業事務をお願いしたのに女性が来たからで・・・!」
その時のことはずっと後悔している。そして、当時勝利の訴えを聞き入れなかった人事には感謝をしているのだが。
「ほーんと、そんなことならうちに返してほしかったわよ。手塩にかけて育てた期待の新人が、営業二課なんかに引っ張られるなんて・・・」
「なんかとはなんだなんかとは」
てるは元々総務部で、久子は教育係だった。だから、勝利の知らないてるを知っている久子は、勝利の中ではライバルも同然だ。
二人のやり取りをおとなしく見ているてるに気付く。
このままでは、まるで勝利がてるのことが嫌で人事に駆け込んだように聞こえてしまうかもしれない。
「違いますよ佐藤さん、あなたご自身に何かあって人事に行ったわけではなくて、その、前の営業事務の女性が、何と言いますか、女性であるがゆえにいろいろあって、仕事を辞めてしまったので、男性の方がいいと思って・・・」
「大丈夫です。私、皆さんから女カウントされてないですから。人事もそう思ったから、私を二課に異動させたんでしょうし」
「あらそれは違うわよ、てるちゃん」
全く違う方向に理由づけして納得しているてるにどう伝えようかと思っていると意外な方向からフォローが入った。
「そこの課長様が昇進なさる時に、『自分を課長にするなら優秀な営業事務をよこせ』って人事部に言ったから、一番有望だったてるちゃんが選ばれたんだもの」
「・・・え・・・?」
「俺はそんな言い方はしてないが」
「もーう、相変わらず自己評価が底辺ね、てるちゃん。あなたはその腕を買われて、ここに来たの。自信もっていいわよ」
勝利の言葉はあえて無視して、久子はてるを見つめながらきっぱりと断言する。
久子だけに言わせてなるものかと、勝利も追随した。
「佐藤さん、この際だから言っておきますが、あなたが来てくれたおかげで、うちの営業成績は格段に上がっています。多佳子さんも優秀ですが、1人では手が回らない。あなたがいてくれたから、うちはここまで伸びることができたんです」
「総務でもいつも話題になってるわよー。右肩上がりの二課ってね。てるちゃんのサポートあってこそよ。内助の功ってやつね」
てるはぽかんとしていたが、徐々に二人の言葉を理解したのであろう、じわじわと頬に赤みが増してきた。
「てるちゃん、事務処理得意だよね。学生の時からいろんな資格取ってたんだっけ?」
久子が言ったのは、何の変哲もない言葉だった。
しかし、勝利は見た。
てるが、その顔を一瞬強張らせたことに。
「ええ、まあ・・・余裕のある学生時代に、いろいろ取ってみようと思って」
「意外と資格マニアなのよね、てるちゃん」
「えらいなー。俺なんて学生時代は遊びまくってたけどねー女の子と」
「あら田淵」
顔を曇らせた理由を今すぐに探りたかったが、またまた闖入者が来たようだ。
しかも、てるの頭に片腕を乗せている。
「田淵。佐藤さんから離れろ」
「おーこわ。氷の二課課長様のご命令とあっては仕方ないねー」
「妙な二つ名をつけるんじゃない」
田淵は何故か、相手をいろいろな呼び方で呼ぶ。
名前に由来するときはまだいいのだが、今のような変な二つ名は正直、やめてほしいと思っている。
田淵はようやく腕を下ろしたと思ったら、そのままてるの顔を覗きこんだ。
「あ、の・・・?」
「あーごめんごめん。君が噂の佐藤てるちゃん?初めましてー。こいつらの同期の田淵でーす」
田淵が手を出してきたので、勝手に払う。握手なんてさせてなるものか。
「お前まで何の用だ」
「え?用?ないよ?一課に来たら話し声がするから、見に来ただけー」
「じゃあさっさと帰れ」
「はいはい、帰りますよ。じゃあねーてるちゃん」
「はあ・・・」
「てるちゃん、田淵は気にしなくていいからね。いつもあんな感じだから。今度一緒に飲もうね。じゃ!」
「何なんだ、あいつら・・・」
二人が出て行って、勝利はどっと疲れが出たのを感じた。
久子はともかく、田淵は勝利の好きな相手が誰か知っていそうだ。だから、わざわざ二課に来たに違いない。
余計なことをして攪乱することはしないと思いたいが、自分が動きたいように動く奴なので、正直、読めない。
それに、先程のてるの表情が頭から離れない。
一瞬にして削ぎ落ちた、その表情。
何か、あったのだろうか。自分では、力になれないだろうか。
つらいときには支えたい。そう言うことができる関係でありたい。
しかし、それにはまだ、二人の距離は遠すぎる。
仕事の方が、遥かに簡単だ。
そう思いながら、勝利はまた、ため息を吐くのだった。




