第69話 『出会い』
翌朝――
修理を終えて気が抜けたのか、サミュエルはいつもより少し遅く目を覚ました。
朝食を終えたところで、レオンはエレノアと共に出かける準備をしていた。
一方、ルシアンもさすがに老体に堪えたとのことで今日一日はゆっくり休ませてもらうと話していた。そのため、珍しくサミュエルは自由な時間を与えられた。
「それなら行きたい所があるんですが、いいですか?」
「どこだ?」
「本屋へ行ってきてもよろしいでしょうか?王都に来た日に馬車から見えたのが気になっていたので」
ルシアンはサミュエルがやけに窓の外に興味を持っていた光景を思い出していた。
「いいだろう。金は買い食い出来る程度は渡してやる。欲しい本があったらタイトルを記録しておけ。後日レオン様の使用人に頼んで買ってきてもらう」
「え!?いいんですか?」
この世界の本が高いのはすでに知っている。そのためどんなものがあるのか見て、可能なら立ち読みするだけで済ますつもりだった。
「改良送風具や冷暖房具はお前のおかげで稼げているからな。発案者として多くはないが売上の一部がお前の金になっている。普段は金を使う機会もない。それにガキに全部渡すわけにもいかんから俺が預かっているわけだ」
ルシアンが言うには、そこからサミュエルが欲しい本の代金を出すということらしい。
「ちなみに……いくらぐらいあるんですか?」
「それ帰ったら教えてやる。今教えたらお前ギリギリまで買おうとするかもしれんだろ?」
サミュエルの考えを見抜いたかのように、ニヤリとルシアンは笑う。
「そ、そんなことないですよ……。本が高いことぐらい知ってますから……」
「そういうことにしておいてやる。あと下町に降りるならこいつを持っていけ」
渡されたのは辺境伯家の紀章が入った札だった。
「下町と貴族街の検問を通るのに必要だ。出る時はいいが入る時はこいつがないと面倒だ。絶対に無くすなよ」
「ただの札じゃないんですね」
「辺境伯家が保証する者って証だからな。悪用されたら大事だ。絶対に失くすな」
要するに通行手形と身分証を兼ねたようなものだなとサミュエルは納得する。たしかにこれを無くすとここに戻ってこれなくなる可能性がある。
「わかりました。ではいってきます」
そうしてサミュエルは下町へ降りていった。
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歩きでは少し距離はあったが、馬車から見ていた本屋に到着する。
マルシュブルグにある本屋と規模がすでに違うのが一目でわかる。まだ見ぬ本に心を踊らせて入店をする。
店に入ると正面には冒険活劇や恋愛小説などが置かれている。配置からしておそらく人気商品なのだろう。このあたりの本は人気があるだけあって、マルシュブルグでも見たことがある。中身は読んだことはないが。
少し奥へと進むと魔術の本が多く並んでいた。見た限りではこちらは見たことのない本が多く見受けられた。王都だと魔術師も多く、その分魔術の本の需要も執筆する人も多いのかもしれない。
そしてさらに奥、魔術技師の本と術式解説の本が並んでいた。
この二つは親和性が高いことを理解して並べて置いてあるのだろう。そこにある術式の本は見たことがなく、思わず手に取って読み始めた。
以前ヘルガから聞いた空気生成の他に重量軽減、気密保持、虫除け、魔物除け、さらには古代術式まで載っていた。
(これは……欲しい……)
とりあえずその本のタイトルを記録し、別の本を見る。そこには術式設計論なる本が置かれていた。
(術式だけじゃない……術式を"設計する"本?)
サミュエルは気になってその本を手にとって開いてみる。そこにはサミュエルにとって衝撃的な内容が書かれていた。
(これ……数多くの術式を分析しなければ見えてこない内容じゃないか?)
術式の構成だけではなく、規則性、術式同士の干渉、さらには複合属性術式の安定化が書かれていた。
サミュエルは時間を忘れ、夢中でページをめくる。
「……ません。あのー……。……聞こ……すか?」
誰かが話しかけてきていることに気付くのが遅れた。
「あ、す、すみません!すぐどきます!」
サミュエルは我に返る。立ち読みに夢中になるあまり、棚の前を塞いでしまっていたのだと思い、とっさに謝罪していた。
「あ、いえ! そうではなく……」
話しかけたら突然謝罪されたため、相手は困惑していた。見た所相手はサミュエルと同じ年頃の少女のようだった。
目深に被ったフードのせいで、その顔はよく見えなかった。だが、その所作と声から少女らしさが出ていた。
「なにやら夢中で本を読んでいらしたので……気になってお声をかけたのですが……お邪魔してしまって申し訳ございません」
「い、いえ。ここで立ち読みをしている僕が悪いんです。こ、こちらこそすみません」
お互いが謝る光景がおかしかったのか少女が手で口元を隠し、上品に笑う。
「それで……なにを読んでいらしたのですか?」
「え?は、はい。術式設計論という本です」
サミュエルは少女に先ほどまで読んでいた本のタイトルを教える。
「術式設計論?難しそうな本ですわね」
少女は、同年代の少年が夢中になって読むには難しすぎる本だと思い、不思議そうに首をかしげた。
「はい、難しいです。でも今の僕には分からないことばかりだからこそ、勉強になるんです」
「勉強……ですか?」
「は、はい。僕は魔術技師を目指していて……。まだまだ見習いなんですけど。それで術式の規則性とかが凄く勉強になるんです」
「まあっ!魔術技師を目指していらっしゃるんですのね。私も魔術具に興味があるんです!」
魔術具に興味を示す女の子はサミュエルにとって2人目だった。1人目はなんにでも興味を示すエレノアである。
「ごほん!」
少し騒がしくしてしまったのか、本屋の店主がうるさいとばかりに咳払いをする。
「す、すみません。僕はもう行きます。お邪魔しました!」
サミュエルは慌てて先ほどの本のタイトルだけをメモし、本屋を後にした。すると少女がなぜかサミュエルに着いてきた。
「どうして……着いてきたんですか?」
「貴方が外に出られたから……でしょうか?」
質問の答えになっていない回答が返ってきた。
「えっと……そうじゃなくて。どうして僕の後を着いてきたのかなって……」
「もう少し、お話を聞いてみたくなりまして……。駄目でしょうか?」
自分と話がしたい――。
異性からそんなことを言われたのは、人生で二度目だった。最初はもちろんエレノアである。
まさか馬車の中での訓練が活きることになるとは思っていなかった。
しかし、どう返すのが正解なのか分からない。サミュエルは思わず視線を泳がせた。
そうして出た言葉は――
「ぼ、僕でよろしければ……。ただ、ここで立ち話も迷惑になりますし……」
「でしたら、あちらで」
少女が指し示したのは、近くの木陰に置かれたベンチだった。幸い人影はない。
2人はベンチに移動し、腰掛けた。
周囲からやけに視線を感じるが、気の所為だろうか。
「そ、それでなにか聞きたいことがあるんですよね?えーと……」
「私のことはシャロとお呼びください」
少女はサミュエルがなんと呼べばいいか分からないのを察したのか、名前を告げた。
しかし、その口ぶりから本名ではなく、愛称で呼んでほしいということなのだと察した。
なんとなくだが、出会ってからずっと気品を感じさせる少女だ。お忍びで街へ出てきた貴族令嬢なのではないか――そんな考えが頭をよぎる。
「し、シャロさんはなにが聞きたいのでしょうか?」
「それでは……なぜ魔術具に興味を持たれたんですか?」
「えっとですね……それは4歳の頃に――」
それからサミュエルはシャロと短い時間だがいくつか自分のことを話した。
演劇で見たドラゴンのこと、魔術が使えた時のこと、魔術具を初めて触ったときのこと。
ひとつの出来事を話すたびに『まあ!』とか『どうして』とかそんな反応を見せてくれる少女との会話が、不思議と苦ではなかった。むしろ楽しいとすら感じていた。
本当に短い時間だった。
シャロはベンチから立ち上がり、もう帰らなければならないと告げてきた。
「短い間でしたが、楽しい時間でした。ありがとうございました」
少女はサミュエルの方を振り返り、美しいカーテシーを披露した。
すると突然、強めの風が吹き抜ける。
「キャッ!」
風によってシャロのフードは外れる。
それはサミュエルから見ても、美しく、明るいラベンダーを思わせる薄紫の髪が風でたなびいていた。
その下から現れた顔立ちは、透き通るように白い肌と大きく澄み切った碧い瞳が印象的だった。
今まで見た誰よりも整った容姿に、サミュエルは思わず息を呑んだ。
「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしました」
シャロはすぐにフードを被り直す。
「え……あ……」
サミュエルから言葉が出ない。先程の光景に目を奪われ、言葉を失ってしまった。
「どうかされましたか?」
「あ、い、いえ……なんでもありません。ただ……」
「ただ……?」
「その……綺麗な髪だなと……すみません!」
「……」
シャロは一瞬だけ目を見開いた。そしてそっと自分の髪へ触れる。
「……綺麗、と仰るのですか?」
「は、はい。とても綺麗だと思います」
「……ありがとうございます」
サミュエルには、どこか言葉にしづらい空気が流れたように思えた。
「それでは、今度こそ失礼いたします。ごきげんよう。またお会いしましょう」
シャロの姿が人混みに消えていく。
サミュエルはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「また……お会いしましょう、か」
たった一度話しただけの相手だ。もう二度と会うことはないかもしれない。
それでも不思議と、その言葉だけは胸に残っていた。
「……そろそろ戻らないと」
ルシアンから預かった通行札を確かめ、サミュエルは辺境伯家の屋敷へ向かって歩き始める。
手には、本屋で書き留めた本の題名が並ぶ紙切れが握られていた。
今日は欲しい本も見つかった。
それ以上に――不思議な少女と出会った一日として、サミュエルの記憶に刻まれることになる。




