第67話 王都への旅路(9歳)
冷暖房具を納品してから数ヶ月――。
冬を越え、サミュエルは9歳になっていた。
この数ヶ月、ルシアン工房は辺境伯家から依頼された残り2台の冷暖房具も無事に納品し、大きな問題もなく冬を迎えた。
一方、実家のヴァロワール領からは定期的に手紙が届いていた。
堆肥に混ぜた魔石粉末による異常は、今のところ確認されていないという。収穫量も前年を上回り、辺境伯家の支援も変わらず続いていた。領内で大きな問題は起きていないらしい。
それを知り、サミュエルは胸を撫で下ろした。
ある日、すでに一年近く続けている早朝の鍛錬を終え、工房で朝食を摂っていると、ルシアンが口を開いた。
「サミュエル。3日後、王都へ行く。」
「王都ですか?」
「ああ。レオン様と懇意にしている伯爵様から、急ぎの用件で俺を名指しした依頼が入った。修理になるとは思うが、もしかしたら新しく作ることになるかもしれん。詳しくは向こうで話を聞いてみねえと分からん。」
「そうなんですね。」
「今回はお前も連れていく。」
「え……僕もですか?」
「王都の工房や職人を見るだけでも勉強になる。レオン様から、お前を連れて行く許可を貰った。」
王都というぐらいだ。きっとここマルシュブルグよりも栄えているのだろう。前世で写真だけ見たヨーロッパの名城にも負けないような城があるのだろうか。人混みは今でも苦手だが、知らない街並みというものにサミュエルは心を踊らせる。
「ここから王都までどれくらいかかるんですか?」
「馬車で12日ほどだ。必要なものは後で教えておくから準備しておけ。」
「はい!」
「あとお嬢も行くからな。」
「え!?」
エレノアも一緒となれば、もしかしたら大変な旅路になるかもしれない。
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3日後、出発の日がやってきた。
工房の皆に見送られ、一行は2台の馬車と護衛を伴って王都へ向けて出発した。
1台にはレオン辺境伯とエレノアが乗り、もう1台にはルシアンとサミュエルが乗り込む。高齢のルシアンとまだ幼いサミュエルに配慮して用意された馬車で、修理に必要な仕事道具も積まれていた。
しかしなぜか今サミュエル達の馬車にはエレノアがいた。
「エレノア様はなぜこちらの馬車にいるんですか?」
「次の休憩まで許してもらったからよ!」
「いえ、そうではなくてですね……。」
サミュエルはなぜ辺境伯家の馬車ではなく、こちらの馬車に来たのかを聞いたつもりだったが意図が伝わらなかったようだ。
「長旅だ。お嬢も暇なんだろう。お前が話相手になってやれ。」
「ええ……。僕が人と話すのが苦手なのは師匠も知っていますよね……。」
「訓練だ。」
それを言われるとなにも言い返せなくなってしまう。果たしてエレノア相手で会話の訓練になるかの疑問は残るが。
「そういえばサミュエルって歳いくつなの?十歳式はまだよね!?」
「はい、先月で9歳になりました。」
「ええ!? 私の一つ上だったの!? てっきり年下だと思ってたわ!」
まさかエレノアに年下だと思われているとは思わなかった。
「いや、僕の方が背が高いですし、年下はないでしょ?」
「だって普段は陰気でどこか頼りないんですもの。でも魔術具を作ってる時だけは別人みたいですけどね!」
エレノアからは散々な言われようだった。しかし人付き合いが苦手なのは自覚している。魔術具のことになると夢中になるのも事実だ。言い返せず、サミュエルは苦笑するしかなかった。
「じゃあ来年は十歳式ね。もう信仰する神様は決めたの?」
「なんのことですか?神様?」
十歳式と信仰する神がサミュエルの中では結びつかず、思わず聞き返してしまう。
「そういや、お前はうちに来たとき、信仰している神は特に決めていなかったな。今はなにに祈っているんだ?」
「えっと、師匠たちが祈っているので、僕もテーラー神に祈っています。」
「まあそれでも構わんが、一度しっかり考えて決めてもいいかもしれん。流されて信仰するよりも自分の中でしっかり決めて信仰したほうがいい。」
「はあ、そういうものですか……。」
大多数が無信心な日本人として育った前世を持つサミュエルには、その必要性があまり理解できなかった。
「貴方、ちゃんと神学を教わってないわね!」
「え?はい。昔に魔術の入門書で少し触れたぐらいです。他にどんな神様がいるのかもよくわかっていません。」
「それはいかんな。」
「ええ、いけないわね!仕方ないから私が教えてあげるわ!」
いけないと言いつつ、エレノアの表情はどこか嬉しそうだった。
「いい?神様には六柱がいるの。それは知ってる?」
「いえ、実は……テーラー神しか知りません……。」
「えっとね。神様は六柱いるの。火と戦の神イグナス、水と豊穣の神アグリ、風と商いの神ヴィルフィ、土と生産の神テーラー、光と癒しの神ルミナス、闇と境界の神ノッグスよ。」
サミュエルはエレノアの話を聞いて、昔読んだ本に書かれていたのを思い出していた。
「そういえば属性を司る神でしたね。だから六属性と。あれ?でも無属性がありましたよね?」
「そうよ!神話では大神がこの世界を創り、大神から役割を与えられた六柱が誕生したとあるわ。だから無属性は大神の属性とも言われているわね。」
無属性の魔術にあまり馴染みはない。だが魔術具では意外と身近なものだった。ほとんどの魔術具にある魔力を蓄える術式、他にも堆肥用魔術具の粉砕や撹拌に使った『回す』術式が無属性にあたる。
「知りませんでした……でも、その大神の名前はなんというんですか?」
「ないわ。教会の人たちは名も無き大神とか全ての根源たる大神と呼んでいるわ。」
「何故ですか?」
「それはね、大神はあまりにも大きな存在だから、名前で呼ぶのは畏れ多いって言われているの。だから『名も無き大神』とか『全ての根源たる大神』って呼ぶのよ。」
エレノアの回答にルシアンが少しだけ補足する。
「全ての根源たる大神と言われているように、この大地そのものであり、大気や水、光、火や暗闇でもある。そして全ての生命は大神から生まれ、死ぬと大神へと還る。そして再び大神の元から生まれると言われている。」
ルシアンはそこで一息置いて続けた。
「だからこそ、この国では神を軽々しく騙ることは許されん。」
「どういうことですか?」
「神の名を借りて『神託を受けた』だの『神の代弁者だ』などと偽れば、その神に応じた神罰が降るとされている。昔、火神イグナスの神託だと騙り戦争を起こした王は突然全身が火に包まれて焼け死んだ。水神アグリを代弁し、水害を鎮めるため人柱を使おうとした者は陸地で溺れた……。そうした神罰は歴史書にも記されており、それでも神罰を信じず神を騙る者が定期的に現れ、神罰を受けている。」
「そうよ!実際に起きるんですのよ!」
エレノアが真剣な表情で頷く。
「だから教会の神官だって『神がこう仰った』なんて簡単には言わないわ。神話や教えを伝えているだけなの。」
サミュエルはいままで神を信じていなかったことが少し恐ろしく感じた。
「でも僕……いままで特に神様信じていなかったんですが大丈夫なんでしょうか?」
「神は寛大だ。信じられていないこと自体は気にしていない。だが、自らの利益のために神を利用することは決して許さない。」
サミュエルは少しだけ肩の力を抜いた。
信じていないだけで罰せられるわけではないらしい。しかし、神を利用することだけは絶対に許されない。その線引きだけは、はっきりと理解できた。
「例えば教会へ納められる寄付金も同じだ。あれは神への奉納とされる。貧しい者を助けたり、神殿を維持したりするために使う分には何の問題もない。だが私腹を肥やすために横領すれば、それは神への奉納を自分の利益に利用したことになる。当然、神罰の対象だ。」
サミュエルは静かに頷いた。
前世では宗教とはどこか縁遠い存在だった。しかし、この世界では神は人々の暮らしに根付き、ときには神罰という形でその意思を示す。前世とは違い、神は確かに身近な存在だった。
来年、自分も十歳式を迎える。
信仰する神を選ぶということが、思っていた以上に大切な意味を持つことだけは理解できた。




