第112話 生まれた年の酒(11歳)
エレノアに二つの魔術具を渡してから、長い冬が明け、サミュエルは11歳になった。
爆裂玉の量産が軌道に乗り、多くの工程を外部の職人に任せられるようになった頃には、季節はすっかり移り変わっていた。
姉ミシェルの出産は春の初めと見込まれていた。だがその気配はまだない。この世界では産み月が正確に分かるわけでもなく、少し遅れているだけだと家の者は言う。
それでもサミュエルはどこか落ち着かず、ミシェルのもとへ足繁く通っては気を紛らわせていた。
そんなある日、版木の手を止めたサミュエルは、稽古の合間を縫って遊びに来ていたエレノアに話しかける。
「エレノア様。ここに来てていいんですか?今年十歳式で忙しいんですよね?」
「ちゃんと許可を貰ってきたわ!少しだけ遊びに行かせて!って。そしたら今日はあと自由にしていいって言われたわ!」
こう見えてエレノアは稽古も真面目に取り組んでおり、礼儀作法もしっかりこなせている。以前神話を教えて貰ったように教養面でも問題ないようだ。
「ならいいですけど……」
「そんなことより!」
エレノアは以前渡した扇子を閉じたまま先端をこちらに向ける。
あれ以来、指輪とともに肌身離さず持ち歩いているようだ。ただ茶会にも使えるように作ったものなので、あまり持ち歩いて汚してしまわないか心配してしまう。
「ところで、サミュエルのお姉さんの子どもがそろそろ生まれるんですって!?」
「そういえばそうらしいな。お前、姉の子への祝いはどうするんだ」
「祝い……ですか」
言われて初めて、そんなものが要ると気づいた。
前世でも出産祝いというものはあったが、自分にはとんと縁がなかったものだった。
「えーと……すみません。考えていませんでした。定番みたいなものはあるんですか」
そうだろうなと普段のサミュエルを見ていたルシアンはため息を吐き、教えるように説明を始めた。
「ンッン、もちろんあるぞ。生まれた年に仕込んだ酒を贈って、15年寝かせてから開ける。そういう習わしだ」
ルシアンは椅子の背にもたれ、指を折って続ける。
「大抵は葡萄酒だな。ただ秋までに生まれる子には、その年のはまだ間に合わん。だから昨年取れたものを贈る。少し変わった家ならカシスやプラムを使うこともあるな」
15年。気の長い話だが、子の十歳式のその先まで見据えた贈り物だと思えば、悪くない習わしに思えた。
「お前の実家にも、お前の生まれ年の酒が眠ってるかもしれんぞ」
その一言に胸の奥がわずかにざわついた。だがそれが何なのか、うまく言葉にはならなかった。
「じゃあ私のもあるのね!」
「お嬢のはレオン様秘蔵の貯蔵室にでもあるんじゃないか?」
そんなやり取りを聞きながら、サミュエルはひとまず思考を祝いの品へ戻す。生まれた年の酒。ならば姉の子にも、生まれたこの年の一本を贈りたい。
「あー、だけど昨年の葡萄は不作だと聞いたな。買えるか正直怪しいな」
サミュエルも、以前誰かからそんな話を聞いた覚えがある。
葡萄酒は寝かせるため、その年の葡萄酒が全て出回るわけではない。
不作であれば、その多くは酒蔵で熟成させることになるため、その数は非常に少ないものになるだろう。
「仕事が終わったら行きたいのですが……いいですか?」
「今から行ってこい。俺から話を振ったんだ。お前も気になるだろ」
「私も行くわ!」
元からそのつもりでいたのか、今から酒を扱っている店に行くことをあっさり許可してくれた。
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一刻ほどあと、サミュエルは肩を落としてエレノアと工房へ戻ってきた。
「どうだった……と、その様子は聞くまでもなさそうだな」
落ち込むサミュエルを見て、エレノアが珍しく気遣うような顔をしていた。
「はい……昨年のは不作でどこも売り切れで、今年のはまだできていないと……酒蔵にも行きましたが、売る分はないと……」
店の中を探しても見当たらず、勇気を振り絞って店員に声をかけても成果は振るわず、酒蔵の怖い職人にも泣きそうになりながら尋ねたが、梨の礫だった。
「そういや辺境伯家に仕えている子爵家の嫡男に子が生まれたとかで、レオン様が春になる前に葡萄酒をある程度買ったと言っていたな。もしかしたら余分にあるかもしれないから少し売ってもらえないか頼んでみるか?」
「私からもお願いしてあげるわ!」
ルシアンの提案に、サミュエルの頑張りを見ていたエレノアが口添えしてくれると言う。
孫に甘いレオンのことだ。おそらくエレノアが自分のためではなく、誰かのためにと頼めばすぐに了承するだろう。
だが、辺境伯は寄親として付き合いのある貴族も多い。
そのため懇意にしている貴族家の子どもが生まれれば、出産祝いを贈る機会も人一倍多いのだろうことは想像に難くない。
不作であったのならレオンが贈るはずだった葡萄酒の数も足りなくなる可能性が出てくる。
それではサミュエルのせいで辺境伯家の面子を潰してしまうことになりかねない。
「頼めば融通してもらえるかもしれませんが……レオン様も贈ってくださるのに、それを融通して欲しいというのはなんか違う気が……」
もしかしたらミシェルの出産のためにも用意しているのかもしれない。
いや、自身のひ孫でもあり、自ら縁談を持ちかけたルーカスとミシェルの子どもだ。ないほうがおかしい。
「気持ちはわかるが、物がないんじゃ仕方ないだろ。それとも出産より後になるがプラムかカシスにでもするか?」
それで妥協しようかと頭をよぎる。
たとえ遅れても、ミシェルもルーカスもなにも言わないし気にしないだろう。
そもそも二人の人柄を考えれば、11歳の子どもから出産祝いを貰えるとすら考えていないことは想像がつく。
「それともお祖父様から酒蔵に口利きしてもらって、一本分だけ売ってもらうのもどうかしら?」
もし貴族の権力を行使し、それで用意したとしよう。それを知ってミシェルは喜ぶとは思えない。この世界では貴族が平民に対して命じることはおかしくはない。ましてや一本だけを正当な価格で融通してくれというのなら、無茶でもなんでもないのだから。
だがずっと辺境の男爵家で過ごしてきたミシェルは、権力で言うことを聞かせることに慣れていない。
しかし渡すなら、出産後の許される一番早いタイミングにしたい。
これはサミュエルの小さな我が儘でもあり、拘りでもあった。
この街に血の繋がった身内は自分しかいないのだ。
ならば自分が一番に祝ってあげなくてはならないのではないかと、変に気負ってしまう。
しかし葡萄が不作で葡萄酒自体がないのではどうしようもない。
「葡萄酒以外じゃ駄目なのかしら?たとえば……同じ時期に取れる果物で作られたお酒とか」
エレノアの話を聞いて、葡萄の不作と同時にもう一つの情報を得ていたことを思い出した。
「昨年ってたしか葡萄は不作でしたが……林檎は豊作でしたよね?」
「ああ、昨年林檎はたくさん卸してもらっていたな。おかげで今年は林檎酒も安い。だが林檎酒は長期熟成に向かないからやめておいたほうがいいぞ」
林檎を挙げたことでサミュエルが何を考えたのかルシアンはすぐに把握したため、警告をする。
「そうなんですか?」
「ああ、酒蔵の職人と昔、話をしたことがあってな。酒精が葡萄酒より弱いからじゃないかとか言っていたな。1、2年寝かせても香りが抜けてしまって、数カ月の林檎酒より不味いと言っていたな。下手すると酢になるとかなんとか」
「お酒といっても色々あるのね」
酒をまだ飲んだことないエレノアからすれば違いがよくわかっていない。
しかし、サミュエルは今のルシアンの説明になにか引っかかりを覚えた。
前世で修理に訪れた時、酒好きの顧客が趣味の酒の話を一人で延々と話していたときのことだ。たしか十数年物の林檎から作った酒があるとか……。
酒を嗜む趣味はなかったが、最低限の知識はあった。
その知識の中にはワイン以外にも果実酒やカクテル、ウイスキーやウォッカなどもある。
そして自分が知っている酒の一部は、アルコール濃度が高く、割って飲むものだということを思い出した。
「酒精……それが濃ければ寝かせられるってことですよね……」
「まあ、それが全てというわけではないかもしれんが、そうかもしれんな」
ルシアンも酒は好きだが、専門家ではない。あくまで酒蔵の職人の話を聞いたことを話したにすぎなかった。
サミュエルは喉まで出かかっている考えを整理するため、思考に没入する。
「理屈としては成り立つ……アルコール度数が高ければ消毒にも使えるんだ……低いなら高めればいい……理屈はその通りだけど……蒸留する?どうやって……」
「なんだかこれも久しぶりね!」
「お嬢、少し静かにな」
思い出されるのは、義務教育での理科の実験。
「いや分離自体は70℃か80℃ぐらいの加熱でできたはず……あとは蒸留したアルコールの気体を冷やせばいい……でもどうやる?水より低い温度を維持し続けるのと、即座に冷やす方法……」
サミュエルは思考を整理するために独り言を呟き続けた。ルシアンがまたかといった表情でその光景を見ていた。
「ある!発熱術式!あと反転構造!これを使えば簡単じゃないか!」
堆肥作りで使った発熱術式で酒を温め、立ち上る気体を、冷暖房具で使った反転構造の冷却術式で一気に冷やす。どちらもとうに手の内にある技術だ。組み合わせるだけで酒精を濃くする道具になる。水も氷もいらず、温度を細かく保ち続けられるぶん、むしろ扱いやすい。
閉ざされたと思った道が、思わぬところから繋がった。姉の子に贈る、一から酒を作り直すことで、生まれた年の一本とする。その形が、ようやくサミュエルの中で輪郭を持ち始めていた。




