12回裏 珠音いろは奏で継がれる
楓山珠音は搭乗した航空機の窓から、遥か彼方まで続く景色を臨む。
乗り越えるべき高い壁を都度乗り越えた先にある高みから、彼女は次の目標を定め、どこまでも飛んでいく。
飛躍の先にあるものは誰も分からない。
珠音は自身のいろが奏で育まれた未来に向かい、今日も今日とて前進する。
12回裏 珠音いろは奏で継がれる
窓から見える景色は、遥か彼方まで続いている。
航空機という人類の叡智が結集された乗り物の中にいるからこそなのだが、外を見ていると「どこまでも自身は飛んでいける」「どんな障壁も飛び越えられる」といった気持ちにさせてくれる。
今思えば、高校時代には地べたを這いつくばって勝ち取った公式戦出場も遠い昔、遥か大きく聳え立つ壁に見えたが、空高くから見ればちっぽけなことだったのかもしれない。
「変わるものだなぁ」
機内食を楽しみながら、初めて飛行機に乗った時―台湾ウィンターリーグに参戦するため、茉穂とともに台湾へ向かった時―のことを思い出す。
「あの時はゆっくり物事を考えられるだけの余裕なんてなかったな」
女子リーグからファームリーグにのみ参戦する栃木プラーゼンズへと移籍し、男性プロ選手と対等に対戦する高い壁に弾き返され、自信も何もかもを失っていた頃だった。
現地でも参戦当初はまるで活躍できず、ただ自らをすり減らしていった感覚すらあった。
「でも、行ってよかった」
珠音はウィンターリーグ中にキッカケを掴んで壁を飛び越え、翌年以降の文字通りに飛躍し、その後トップリーグへの移籍と活躍に繋がった。
正しく、台湾は楓山珠音が”生まれ変わった”場所と言える。
その後は静岡サンオーシャンズ、球団名とホームタウンを変更した沖縄サンオーシャンズの選手として幾度となく飛行機移動を繰り返したので、”飛行機に乗る”という行為はいつしか特別感などなくなっていた。
気持ちの変化、再びの”特別感”を実感したのは3年前。
サンオーシャンズから戦力外通告を受けた珠音は、球団の支援も受けメジャーリーグへ挑戦すべくアメリカへ向かった時だろう。
日本国内リーグで”戦力外”と判断された選手が、よりレベルの高いリーグに挑戦する。
過去にそのような事例がなかった訳ではないが、確実に”成功”と言える結果が得られたとは言えない。
むしろ、国内で全盛期の選手が挑戦して夢破れることも多々あり、珠音の決断に冷ややかな意見を寄せる者も一定数存在した。
しかし、当の本人はと言えばどこ吹く風。
高い壁に思い切ってぶつかる機会を得て期待に胸を膨らませ、正しく”ワクワク”した状態。
長時間のフライトでは一睡もせず、これは時差ボケ対策というよりかは興奮して眠れなかったというのが事実であり、もはや遠足前の小学生のような心持ちだった。
「挑戦するのが”楓山珠音”ってだけで、何かとんでもないことをしでかしそうだよな」
実際、否定的な意見はあくまでも少数にすぎず、珠音に寄せられた世論は総じて好意的、かつ興味本位の意見が大半を占めた。
野球好きが集う居酒屋ではストーブリーグのメインテーマとしてこぞって取り上げられ、各卓で異なる結論を出すなど酒宴の盛り上がりに貢献する。
結果、同リーグ初の女性選手として初の勝利投手、セーブ、ホールドを記録するなど2年間プレーし、"世界のベースボール史”に”楓山珠音”の名をまた刻むこととなり、所謂”評論家”は珠音について語ることをいつしかやめていた。
メジャーリーグに挑戦して2年目のシーズン終了後。
先んじて帰国した珠音はサンオーシャンズの施設を借りてかつてのチームメイトと自主トレーニングに励んでいたが、独立リーグを除いてアメリカ国内で契約目途が経たないことを代理人に告げられてしまう。
「どうするの?」
シーズン中はなかなか会うことも叶わず、高校からの友人と集まるのもオフシーズンに1回といったところ。
体育教師となった伊志嶺まつりが、ある程度に酔いが回ったところで珠音に切り込んだ。
一足先にプロ野球選手として引退した鍛冶屋茉穂は結婚、出産を経験し、1シーズンだけ女子リーグで現役復帰してプレーした後、現在は指導者として後進の育成に力を注ぎ、桐生琴音や水鏡涼音もそれぞれ、社会人として活躍しているようだ。
「どうしよっかなぁ」
珠音ははぐらかす、またはもったいぶるような様子を見せる。
「――”どれも”、決めてはないよ」
まつりの意図する質問が複数の意味を持っていることは明白であり、想定される全てにおいて珠音自身が満足に返答できる状態でないのも一因だった。
「でも、決めていることはあるよ」
珠音が”業務用”と称し、マネジメント会社から渡されたスマートフォンで、メールアプリでお気に入りフォルダに登録されたメッセージを表示する。
「日本語はもちろん、これは英語だね。これは中国語?」
「送信元は台湾だね。英語のメールもアメリカからだけじゃなくて、オーストラリアからのものもある。もちろん、怪しいスパムメールとかじゃなくてファンレターだよ」
スマートフォンを受け取ると、大事そうに一つ一つを改めて見返す。
「マネージャーと問題ないメールか確認した上で翻訳したら、私の活躍を応援してくれている女の子からの応援メッセージだったんだ。自分も野球をやっていて、将来は私みたいに活躍したい!ってさ」
スマートフォンをカバンの中にしまうと、珠音は手元のジンジャーサワーに口をつける。
「正直、日本やアメリカで野球選手として活躍するのは、もう無理だと思っている。独立リーグならともかく年齢も考えると、日本とアメリカで戦力外やDFAになって再契約が難しい以上、ウィンターリーグ以外で少なくとも世界的にダブルA以上とされるリーグでの選手契約はできないだろうね」
珠音の自己評価はやや悲観的ともとれる内容だが、当人の口ぶりからは毛頭そんな気配は感じられない。
「それでもこうやって、今も私に応援のメッセージを送ってくれる人がいる。それも、世界からね。野球の面白さを伝えることは私でなくてもできるだろうけど、私だからこそ伝えられる楽しさがあるはず」
思いを語る珠音の瞳は燦々と輝いており、とても30歳を超えているとは思えなかった。
「プロとして動ける期間はもう長くないけど、できる限りは続けたい。ついでに、知らない国や文化にも触れてみたいかな。マネジメント会社にもそう伝えているんだ」
珠音が語り終えたタイミングで、先ほどカバンにしまったスマートフォンが鳴る。
「ちょっと失礼――」
席を中座し、珠音は廊下に出て短くやり取りする様子が伺える。
口調から鑑みるに、確実にマネジメント会社からの連絡だろう。
「”女房役”も大変だね」
「まったくだね。珠音の去就に対して、どんな内容でも悲喜こもごもといったところかな」
珠音が席に戻ってくる。
先ほど以上に、どこかワクワクした様子だ。
「いいことあった?」
「うん♪」
茉穂の問いかけに、珠音は少女のように返答する。
「みんな内緒だからね。コンプライアンス、大事だから!」
「それなら言わない方がいいんじゃ…」
「聞いてよ!」
琴音の的確な指摘に駄々をこねるよう返答すると、むくれた表情のままスマートフォンで海外旅行情報サイトを開いて見せる。
「イタリアのミラノ!」
観光地としても有名な場所だっただけに、集まった面々の反応は極めて良好。
珠音の新生活に話題は膨らみ、夜はあっという間に更けていった。
窓から見える景色は、今日も遥か彼方まで続いている。
「できる限りは続けたい」
胸元にネックレスにした指輪に少々の申し訳なさを感じつつ、その思いは変わるどころか、むしろ強くなっていった。
「この際だし、浩平も連れて行くのもありだな」
いまだ第一線で活躍する”女房役”を置き去りにし、珠音はこの年も新たな挑戦の場へと飛び立つ。
「私だからこそ伝えられる”野球”がある」
楓山珠音。
彼女は最後まで”現役引退”の言葉を使うことなく、信念そのままに選手生活を全うした。
高校時代に規約変更に奔走して公式戦出場を勝ち取り、球界のジャンヌダルクと呼ばれたことに始まり、女子リーグ、ファームリーグを経てトップリーグ初の女性選手となり、チームの優勝に貢献するなど活躍した。
サンオーシャンズの退団後はアメリカのメジャーリーグに挑戦して2年活躍し、その後はイタリア、チェコなどの欧州リーグに春夏は在籍し、公式戦出場と地域の野球振興活動に従事する。
実戦感覚を維持するためにオーストラリアのウィンターリーグには毎年参戦し、名物選手として現地のファンと交流し続けた。
日本のみならず、彼女を目標とする多くの後進を世界で育んだ。
「かくして、珠音いろは世界で奏で継がれ、今に至っている」
珠音を高校時代から追う立花真香は後年、”楓山珠音”の半生をまとめた著書の文末にそのように記す。
彼女としても珠音の選手生活晩年は海外が多く、その足跡を全て控えることができなかったことだけは残念がっていた。
次の”楓山珠音”はそうそう現れないかもしれないが、彼女の残した唯一無二の足跡が消えることはない。
自身の蒔いた種が芽吹き、再び”珠音いろ”が奏でられる時を信じて。
珠音はそっとグラブを置いた。
Pixiv様にも投稿させていただいております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=28878870




