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珠音いろ  作者: 今安ロキ
後日談 ―いろあせず―
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10回表 立ち止まる時

楓山珠音とともに、プロ野球トップリーグにおける女性選手の先駆けとなった鍛冶屋茉穂。

現役引退を決めた彼女は、球団が用意した引退会見に臨む。

10回表 立ち止まる時


 思いのほか落ち着いている。

 着慣れたユニフォームではなく、折角だからとプレゼントされたものの、あまり着る機会のなかったスーツに身を包み、一人の女性が控室で時間を待っていた。

 この日から1週間前、ペナントレースも佳境に差し掛かる8月末。

トップリーグ史上初の女性野手―鍛冶屋茉穂―が引退を表明した。

 静岡サンオーシャンズへ入団し、試合終盤の重要な場面での小技や守備の上手さで控え野手として一軍に定着。

 優勝を決定づけた女性選手初のホームランを記録するなど印象に残る活躍した彼女だったが、本拠地移転後の沖縄サンオーシャンズでは男性選手との身体能力差が目立って出場機会を徐々に失っていた。

 引退表明時点で出場試合数はわずかに6試合で、珠音とともに決意をもって転居した沖縄の自宅ではほとんど過ごせない状態となっており、体力の限界も相まった形での決断である。

「鍛冶屋選手、時間です」

「――はい」

 高校卒業後に女子プロ野球リーグで4年、ファームリーグのみに所属する栃木プラーゼンズで3年、サンオーシャンズで3年。

 足掛け10年に渡るプロ野球選手としての生活に、間もなくピリオドを打つ。

 会見場に姿を現した茉穂に向け、眩いばかりのフラッシュが炊かれる。

 トップリーグ3年間の通算成績は出場159試合、33安打、1本塁打。

「(こんなにも盛大な引退会見をできる成績じゃないよなぁ…)」

 茉穂は自嘲気味な苦笑を必死に隠しつつ、球団ロゴの入った衝立の前に設置された椅子に腰かける。

 テーブルにはマイクのほか、質問をメモできるように白紙とペン、それから喉を潤すためのミネラルウォーターが置かれていた。

「これより沖縄サンオーシャンズ、鍛冶屋茉穂選手の引退会見を開始します。会見に先立ちまして、鍛冶屋選手よりご挨拶をお願い致します」

 進行役を務める球団広報に促されると、茉穂はスタンドからマイクを取り外して立ち上がる。

「本日はご多用の中、わたくし鍛冶屋茉穂の引退会見に足をお運びいただき、ありがとうございます。正直、一選手としてこれほどの皆様にお集まりいただけるほどの実績を積めた訳ではなく、複雑な心境ではあります。ただ、これまでのプロ野球界にない経験をしたこともまた事実かと存じます。本日は精一杯、皆様からのご質問にお答えしようと考えております。どうぞよろしくお願いいたします」

 深々とお辞儀する姿は、茉穂の人柄の良さが現れているようだった。

 会見は途中で明らかにゴシップを狙った悪意ある質問もあったが、それらを難なくかわすと、その後は特段騒動もなく厳かな雰囲気で進められた。

 会見も終盤に差し掛かったところ、見知った顔の記者が手を上げる。

「立花真香です」

 すべてはこの人により、楓山珠音と引き合わされたことから始まった。

 野球を諦めた少女は、野球を諦めなかった少女たちに出会い、野球を続ける大人の女性になった。

「これまでは鍛冶屋選手の野球人生にフォーカスした質問が続きましたが、私からは恐縮ですが、同じチームに所属する楓山珠音選手とのエピソードをいくつか伺えられればと思います」

「はい」

 やはりそう来たかと、茉穂は笑みを浮かべる。

 むしろ、会見を始めてからこれまで、この手の質問がほとんど飛んでこなかった方が不自然とも言えた。

「まず、鍛冶屋選手にとって、楓山選手はどのような存在でしたか?」

「とっても手のかかる妹ですね」

 歯に衣着せず、間髪入れずの返答に、会場はどっと沸く。

「女子プロやプラーゼンズの頃も同居していましたが、まぁ私生活はズボラになりがちで……今シーズン、彼女がなかなか波に乗れなかったのは、私が静岡に長くいたせいかもしれません」

 これまでの質疑は一問一答、質問に対して茉穂が適宜対応するだけだった。

「ただ、それ以上に、本当に尊敬できる選手です」

 しかし、茉穂の口から言葉が自然と沸き出でる。

「彼女と出会って以降、もちろん辛い時期が無かったとは言いませんが、私の野球人生は彼女と一緒に過ごす中で、とても充実した楽しい日々になりました」

 手元のミネラルウォーターに口をつけ、乾いた喉を潤す。

「楓山選手――いえ、珠音の存在は、ある時には私の背中を押してくれる、またある時には引っ張ってくれて、私生活ではともかく、野球生活の中ではどちらが妹なのか、まるで分からないほどの頼もしさでした」

 茉穂の満足そうな表情に、立花は何度も首を縦に振って同意する。

「先ほどは一選手としての悔いは、あまり多くの試合に出られずチームの勝利に貢献できなかったと仰っていましたが、その他には何かございますか?」

「そうですね――」

 茉穂は少し悩むそぶりを見せ、少し笑みを浮かべつつ言葉を紡ぐ。

「ほとんどの”女性選手初”を珠音に持っていかれたことですね。投手成績ならともかく、初安打も二塁打も打点も、全部持っていかれてしまいました。私が持っている”初”はホームランくらいで……残り短いプロ野球生活でトップリーグでの出場機会をいただけるなら、まだどちらも達成できていない三塁打を狙いたいと思います」

「ぜひ達成してください、期待しています」

「ありがとうございます……いや、でも」

 一度、テーブルへ置こうとしたマイクを再び口元に戻す。

「私が達成しなくても、たとえ珠音が達成できなくてもいいと思っています。これから新たに誕生するであろう女性選手が、きっと達成してくれるでしょうから」

 茉穂の浮かべた満面の笑みは、その場に集まった全員を魅了した。

「これからプロ野球選手を目指す多くの女子選手へのメッセージになりますね」

 立花はそう締めくくり、時間の都合により会見が終了される。

「これにて、鍛冶屋選手の引退会見を終了いたします。最後に――」

「ちょーっと待ったー!」

 進行役の言葉を遮るように会場の扉が開け放たれるとともに、賑やかな女性―楓山珠音―が大きな花束を持って踊るように姿を現す。

 その後ろには、苦笑いを浮かべた選手が2人―土浦浩平と大庭洋輔―が続いた。

「どうも、手のかかる妹です」

 厳かな雰囲気が、珠音の登場により一変する。

 彼女の存在感は、いつになっても変わらない。

「10年間のプロ生活、お疲れ様でした」

 花束を受け取った後、2人は熱い抱擁を交わす。

「この人に出会えて、本当によかった」

 長い人生は選択の連続である。

 彼女は野球を中心とする生活を送る中で立ち止まり、自ら新たな道へ進む決心をした。

 野球選手としてはいくつか残ったが、一個人としての人生に悔いはない。

 珠音とともに突き進んだ日々は間違いなく、茉穂の人生において輝かしい宝物となった。


 余談だが、鍛冶屋茉穂は沖縄サンオーシャンズがポストシーズン争いから脱落したことも相まって昇格し、ペナントレース閉幕までに7試合に出場したが、最後まで三塁打を記録することはできなかった。

 楓山珠音も現役引退までに記録することはなく、達成は未来の女性プロ野球選手へと託さることとなる。

Pixiv様にも投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=27745624

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