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狭間塞領奇譚 〜元社畜は、最強霊能者に拾われ、もふもふ猫先輩を愛でたり怪異に怯えたり、頑張ります!〜  作者: キキ イチ
第1章 九十九駅

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1.ホワイト企業を求めていたら、都市伝説に遭遇しました

 


「ありがとうございました。結果は後日、連絡いたしますね」

「こちらこそ、貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」


 表面上はにこやかに微笑む面接官に丁寧に一礼をして、綱木 夏樹(つなぎ なつき)は、会議室を後にすると、エレベーターホールへ向かう廊下を歩きながら、小さく息を吐き出した。



 いくつもの会社が入った、小洒落たオフィスビル。そのエントランスを抜け外へ出ると、ねっとりとした八月特有の湿度と熱さが、容赦なく全身にまとわりついてきた。

 コンクリートの照り返しに夏樹は目を細めながら、この季節には拷問器具のようなリクルートスーツの上着を脱ぐ。通気性が良いと評判のワイシャツも、この暑さの前には焼け石に水だ。

 ふと、ピカピカに磨かれたビルのガラスに映る自分の姿を一瞥する。身長百七十四センチという平均的な背丈に、面接の余韻で愛想笑いが顔に張り付いている。友人からの「お前ってなんか困った柴犬みたいな顔だよな」と評価されるその顔は、人当たりが悪くないとは言えるものの、二十八歳という年齢の割には、少し頼りない顔つきにも思えた。


「……手応え、あったかな。担当の人もオフィスの雰囲気も悪くなかったけど、実際の職場を見てみないとわからないしな……でも一次面接じゃ難しいよな……」


 出てきたビルを振り返り、夏樹はスマートフォンにたった今面接を受けてきた会社についての所感を細かくメモする。

 第二新卒とは言い難い年齢での就活で、夏樹が新しい職場に求める条件はただ一つ、「人間らしい生活ができること」だ。その条件を満たす職場を探すのに、夏樹がやや強迫観念じみて慎重になっているのには理由がある。それは新卒で入った前職が、絵に描いたような隠れブラック企業だったからだ。


 聞こえの良いビジネス用語と、笑顔の同調圧力で支配されたお洒落なオフィス。そこでは上司からの「まさか、こんなこともできないの?」「他じゃやってけないよ?」という指導に見せかけた否定の言葉と、深夜休日問わず即座のレスポンスを強要される異常な空間があった。

 入社一年目で「何かがおかしい」とうっすらと気づいてはいた。しかし、平均より高い給与と、「すぐに辞めれば次の転職に響くかもしれない」という躊躇いが決断を遅らせたのだ。

 もう少しだけ頑張ってみてから考えよう。そう一度逃げる機会を見送ってしまった夏樹は、その後ズルズルと自分の価値を貶められ続けるうちに、すっかり「ここで耐えられない自分が悪いのだ」と洗脳されてしまった。

 その洗脳が解けたのは、ある日、過労で階段から転げ落ちて足を骨折した時のことだ。

 痛みに耐えながら電話で報告した夏樹に対し、上司は一切の悪びれもなくこう言い放った。


『そっか、お疲れ。……まさかアポ飛ばしたのに仕事中の怪我とか言わないよな? 退職届は郵送でいいから』


 流れるような労災隠しと自主退職の強要。

 反論するべきだと頭では分かっていたのに、夏樹の口から出たのは「そうですね、承知いたしました」という、見事なまでに調教された肯定の言葉だけだった。

 その後、病院のベッドで天井を見上げながら、三食まともな飯を食って泥のように眠り、一カ月が経過した頃。


(俺が駄目だったんじゃない。あの会社がおかしかったんだ……)


 夏樹は憑き物が落ちたようにようやく悟ったのだ。

 だが、骨の髄まで叩き込まれた悲しき社畜の習性(トラウマ)は、そう簡単には抜けない。人の顔色を窺い、理不尽には即座に服従する。その条件反射が無意識にも染み付いてしまった。

 だからこそ、次は絶対にホワイトな職場を引き当てたい。やっと目が覚めたのだから、今度は失敗したくない、と夏樹は志を新たに就活に励んでいた。


(パワハラがなくて、定時に帰れて、休日がちゃんとあって、人間らしい生活ができる場所へ……)


 夏樹は企業の離職率、平均残業時間、有給消化率、果ては匿名の企業口コミサイトからSNSでの社員らしき人物の裏垢の愚痴に至るまで……それはもう、執拗なまでに調べ上げた。

 今日の面接先である中堅の商社は、その基準を勝ち抜いた、夏樹にとっての「理想の職場」だった。

 面接官の態度も終始穏やかで、圧迫面接の気配は微塵もなかった。オフィス内で偶然すれ違った社員も変に力が入っている様子もなく、落ち着いていた。


「一次面接、受かっていると良いな。いや、ここに依存せずに他にも候補は探すべきか……急いては事を仕損ずるって言うし、俺に大切なのは余裕と自信、余裕と自信……」


 夏樹は自分を鼓舞するように呟くと、最寄りの「九十九(つくも)駅」へと向かって歩き出した。

 オフィスビルの近くの在来線に比べて、地下鉄線である九十九駅の入り口は利用者が少なく、若干離れた場所にある。

 少し古びたコンクリート造りの無人の自動改札機に交通系ICカードをタッチし、短い電子音を聞きながら構内へと入る。

 しかし、ホームへと続く薄暗い階段を、数歩、下り始めたあたりで、夏樹は奇妙な、言いようのない違和感を覚えた。


「……あれ?」


 階段の途中で、思わず立ち止まる。


 ――空気が、なにか変だ。


 さっきまで肌にまとわりついていた真夏の熱気が、消え失せていた。代わりに、古いトンネルの中にいるような、湿った重さのある生ぬるい空気が頬を撫でる。

 そして何処か埃っぽい、カビと、鉄が錆びたような匂いが鼻を擽った。


 そして一番の違和感は、妙に静かなことだった。


 地上ではあんなにうるさかった蝉の鳴き声が。車のエンジンや、風が木々を揺らす音まで。まるで水の中に潜ったように、急に遠のいて、ぷつりと途絶えてしまったことに気がついた。

 聞こえるのは、自分の革靴の音がカツン、カツンと壁に反響する音だけ。

 なにかおかしいと思いながら、それでも夏樹はホームまで降り、周囲を見渡して息を呑んだ。


 九十九駅は、もともとマイナーな駅だ。利用客の大半は近隣の住宅街に住む老人か、学生くらいのもので、日中のこの時間帯ならホームに人が少ないのは不自然なことではない。

 だが、それにしても異様だった。

 ホームの床を覆うタイルのひび割れが、来た時に見た時よりも明らかに酷くなっている気がする。ひび割れの隙間からは、黒ずんだ苔のようなものが生え、ベンチの塗装は無惨に剥げ落ち、手すりには赤錆が浮いている。天井の蛍光灯は数本に一本しか点灯しておらず、それすらもジジ、ジジ……と、今にも死にそうな虫の羽音のようなノイズを立てて点滅を繰り返している。

 まるで、数十年もの間、誰にも顧みられることなく放置された廃駅のようだ。


(おかしい……さっき来た時は、こんなにボロボロじゃなかったはずだよな……?)


 これから面接だからと、緊張して駅をまじまじと観察する余裕などなかったが、それでもこんな場所ではなかったはずだと夏樹は思う。

 家の鍵を閉め忘れたのを思い出した時のような不安が、胸の内にじわじわと広がっていく。

 それでもまだ気を取り直そうと、ホームの天井から吊り下げられた電光掲示板を見上げた。そこには、通常なら時間と、何処行きといった運行情報が、オレンジ色のLEDで表示されているはずだ。

 だが、そこに浮かび上がっていた文字は、夏樹の予想を裏切るものだった。


【先発 莠�:�撰シ� 虚行 きさラキ"】

【次発 蜈ュ:蜈ュ蜈ュ 終着 縺ェ繧�く】


「……きさらぎ??」


 唯一、読める部分を思わず口にして、その自分の声が、やけに平坦に響いた。

 この地下鉄は上りと下り、そして終点は3つだけのシンプルな路線だ。迷わなくて助かると覚えた行き先に、「きさらぎ」なんて場所はなかった。

 時刻の部分が完全に文字化けしているのを見て、夏樹は「電光掲示板が故障してるのかな」と、自分に言い聞かせるように呟いた。

 しかし、そう言いながらも夏樹の脳裏にはネットで読んだことのある古い都市伝説がよぎる。

「きさらぎ」という、不気味な世界の無人駅。たどりついた人間は消息不明になってしまう――


「はは、バグって表示がきさらぎに見えるとか、偶然ってすごいな……」


 夏樹は声を震わせつつ、慌ててスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出した。別に、電光掲示板で確認しなくても、乗り換え案内アプリで運行状況を確認すればいい。

 だが、画面をタップした夏樹の指先は凍りついた。

 画面の右上に表示されているアンテナマークが、「圏外」を示していたのだ。街の中心部からそう離れていない、地下とは言え、ホームで圏外になるなど、デジタル社会の今ではあまりあり得ない。

 圏外だけなら、まだ許容できた。だが画面上部のデジタル時計が、14:15、28:90、02:70、99:99、66:96……と、狂った数字で明滅を繰り返しているのを見てしまったらもう駄目だった。


「なん、だよこれ……」


 指先が小刻みに震え始める。心臓が激しく鼓動を打ち、まるで走ったかのように息が上がる。


「と、とりあえず、ここから出て……そうだ、タクシーで帰ろう!」


 目を背け続けていた嫌な予感を無視できなくなって、夏樹は踵を返した。

 足早に、先ほど降りてきた階段へと戻る。

 このホームから一刻も早く、逃げるよう小走りで階段に足をかけて、視線を上げた夏樹は、目に入った光景に言葉を失った。


「……え」


 階段を上がった先。本来なら折り返しの、踊り場がある筈の場所が、無機質な灰色のコンクリート壁で塞がっていたのだ。



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