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カルネアデスの泥人形(中)


     × × ×     


 翌日の放課後。

 俺は楽しみにしている富野とみのアニメの続きではなく、同級生三人組のダンス動画の視聴を強いられていた。

 流行の音楽に合わせて次々とポーズを取る同級生たち。

 楽しそうなのは良いことだが、自分自身が被写体になりえない風貌のせいか、この手の実写文化には全く興味が沸かない。


 一通りの動画を見せてもらった後、当事者の安来やすぎが笑顔を向けてくる。

 今日も彼女は手の込んだ女装姿で登校していた。エクステとやらで後ろ髪を伸ばしている。もはや元の加藤由紀かとうよしのりの薄暗い印象はかき消され、青春を楽しむ一人の女子高生にしか見えない。


「良いでしょ。昼休み中に良い感じで撮れたんだ。さっき『中央の子が可愛い』ってコメントももらっちゃった。こちとら男の子なのにね。うふぇふぇふぇ」

「お前が喜んでどうするんだよ」

「加藤君にこっそり教えたら泣きそうになってたし。あいつもそろそろ我慢の限界を迎えそうじゃない?」


 彼女は相談者用の椅子に座り、ほくそ笑む。

 昨日、同じ場所に加藤本人が座っていた。あいつの残した言葉が頭の中から離れず、昨日は帰宅してから何も手に付かなかった。


 俺には純粋な気持ちでアニメを楽しむ権利がある。今以上にモヤモヤしたくない。

 単刀直入にこう。


「なあ。その加藤から聞いた話なんだが……安来は元に戻ったら死んじまうのか?」

「あいつがそう言ってたの?」

「そうだ」


 こちらの答えに、安来は気まずそうに目を伏せた。

 校舎の方向からトランペットの演奏が聴こえてくる。そこに文化祭の準備の買い出しを終えた生徒たちの会話が入り混じる。

 高校生活の「ハレ」を象徴する音の群れを切り裂くように、安来は嗚咽おえつを漏らした。


「あたしは……とっくに死んでる……」


 落涙が床を湿らせていく。

 卓上のティッシュが空になる。


 俺は黙り続ける。

 話を聞かせてもらえるまで待つ。


「……五日前に、交通事故に遭ってぇ」


 彼女は語り始めた。



     × × ×     



 先週の土曜日。

 歩道に乗り上げてきた自家用車に突き飛ばされ、頭部を強打した安来千沙子やすぎちさこは、搬送先の病院で息を引き取った。


 日曜日。彼女は病院の霊安室ではなく加藤家の布団で目を覚ました。

 彼女は同級生の男子生徒になっていた。胸が無い。ちんちんがある。前髪が長すぎる。


 慌てて病院に向かうと、なぜか待合室で見慣れた顔の人物がホットドッグを頬張っていた。

 自分自身の身体と鉢合わせした彼女は、思わず叫んでしまった。

 なんであたしがここにいるの、と。


『ああ。やっと起きたんだ。成功して良かったよ』


 ホットドッグを食べていたのは、安来の身体を手に入れた加藤由紀かとうよしのりだった。

 二人は入れ替わっていた。


 おかしい。

 あたしは死んだはず。頭がすごく痛かった。最期の瞬間には顔の半分が吹き飛んだ感覚があった。

 なのに。今、あたしの目の前にいる安来千沙子には傷ひとつない。ピンピンしてる。

 平気そうに笑っている。


『どういうことなの。あたしたち、どうなっちゃったの』

『別に良いじゃん。こうやってお互い生きているんだから。気にせず未来に進もうよ』

『元に戻れるの?』

『それは出来ない。今、僕が動かしている君の身体は死体だからね。これでもネクロマンサーの端くれなんだ』


 加藤の意味不明な言動からは安来あたしをコントロールしようとする意図が感じられた。

 加藤曰く。ネクロマンサー・死霊遣しりょうつかいの能力は死体を操る点に特化している。それゆえに死体には意思が宿らない。ゾンビに似た状態になる。

 だから術者自身が死体に乗り移り、逆に死体の記憶を術者の身体に複写コピーすることで、疑似的な入れ替わりを実現させたのだという。


『これならお互いが心のままに生きていけるってわけ』

『意味わかんない。あたしの身体が治ってるのは何なの……』

『ネクロマンサーは死体を操る能力者だよ。死体を生きてるような状態に戻すくらいはチョチョイのチョイなのさ』

『待って。今のあたしはあんたが作ったコピーってこと?』

『だから細かいことは気にしないでさ。せっかく生き返ったんだから、今日から加藤由紀として第二の人生を楽しめばいいじゃん。そうだ。今度一緒に()()()と遊びに行こうよ』


 安来は目の前にいる自分自身かとうよしのりの存在に耐えられなかった。

 自分ではない自分が、自分のように笑うことを生理的に許容できなかった。


 彼女は相手の手を振り払い、食べかけのホットドッグを床に叩き落とし、駆け足で病院を後にした。


 そして今に至る──。



     × × ×     



 彼女が涙を拭き終えた時には、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 放課後が終わろうとしている。


 俺は作り話と現実の境界線がわからなくなってきた。つくづく思う。世の中には色んな話があるもんだ。


「あたしは、安来千沙子を返してほしいの」

「お前が死ぬことになってもいいのか?」

「もう死んでるし。というか。今のあたしだって本物のあたしってわけじゃないし。コピーだし」


 彼女は目を伏せた。

 宝石同然の輝きを放つ瞳に隠れがちだが、男性の身体とは思えないほどに睫毛まつげが長い。

 こっちも延長エクステしているのだろうか。美容という概念から弾き出された俺には真偽を判別できねえ。

 まあ。どうでもいい話だな。


「……そんなこと言ったら、今の世界は五分前に出来たばかりで、地球上の全員が過去があると思い込んでるだけって可能性もあるんだぞ。こうなると何をもって本物とするのか考えるだけ無駄だろ」

「何それ。意味わかんない」


 自分なりに元気づけようとしたが、彼女には苦笑されてしまった。紅く滲んだ涙の跡が痛ましい。


 何をもって本物の彼女とするのか。

 有名な泥人形スワンプマンの話を持ち出すなら、究極的には本人の自意識の問題になる。

 落雷を受けて即死した男と、落雷のエネルギーで泥沼から生成された「複製人間」の違いなど、赤の他人から見れば大した問題ではない。


 今の彼女が何であろうが、俺にとっては同級生の安来千沙子その人だ。他ならぬ安来の記憶を持っているのだから。


「お前にお前の記憶があるなら、お前はお前だろ」

「そんなこと言ったら、あいつにだってあたしの記憶があるんだけど」

「えっ。そうなのか?」

「あたしの真似が上手いじゃん」


 彼女は舌を出し、両手を小刻みに前後させる。安来お得意のおふざけだ。

 データの切り取りではなくコピー&ペーストならば、複写元にもデータは残る。加藤の卓越した演技力にも辻褄は合う。

 ネクロマンサー(?)の術式がパソコンと同じ文法で動いているのか、考察の余地はありそうだが。


「あたしは、安来千沙子を返してほしい」


 同じ言葉が繰り返された。

 彼女の中の確固たる意志を感じる。膝の上の両手は強く握られ、華奢な両肩が強張っている。


 俺は死にたいと思ったことが一度も無い。

 腹を切る・死にたくなる、こんなのは大袈裟な形容詞だ。

 常に雑巾ぞうきん同然の姿形に生まれたことを呪いながら、ゴミ箱に身を投じようとは全く思わなかった。

 自分でもその理由はわからない。


「今の形で生き続ける選択肢はえのか?」

「無いわ」

「部外者の俺が言うのも何だが。生きていれば楽しいこともあるぞ」

「もう死んでるんだってば」


 安来の表情には迷いが無かった。

 俺は天を仰ぐ。語りかけるべき言葉が見つからねえ。相談以前に一人の男として思いとどまるように詰めたいんだがな。

 どうすりゃいいんだ。


 旧部室棟の古びたスピーカーからチャイムの音が聞こえてくる。

 時間切れ。下校時間だ。


「今までありがとう。川口君」


 彼女は足元から鞄を担ぎ上げる。

 別れの挨拶にしては大仰だな。嫌な予感がするぞ。


「もう会えないってか?」

「うん。なんか早めにカタを付けたほうが良い気がしてきたの。みんなそれぞれ自分の人生があるわけじゃん」

「お前にもまだあるんだぞ、安来」

「みんな優しいなあ」


 安来は小さく笑うと、手をヒラヒラさせながら相談部の部室を出ていった。

 階段を下りる足音が遠ざかっていく。


 俺は飲みかけの缶コーヒーを冷蔵庫に戻した。

 ゴミ箱から溢れんばかりのティッシュをビニール袋にぶち込み、最後に照明を消す。

 視界が暗くなる。


 彼女が言う「みんな」にはおそらく加藤由紀も含まれている。

 不慮の死を遂げた同級生の女子生徒を復活させた男。邪推は避けるが、あいつにはあいつの事情があるはずだ。


 終わりたい女。終わらせたくない男。

 互いに上手い着地点が見つかれば良いんだが。

 部外者の自分に出来ることは──当事者のSNSにダイレクトメールを送るぐらいだ。


 俺は暗闇の中で『安来千沙子』のアカウントを探す。見つけた。本名でSNSに登録する世代に生まれてよかったぜ。

 途中、校内の見回りに来た警備員のオッサンに絶叫されたが(生徒をお化け扱いは酷えだろ)、どうにか加藤本人にメッセージを送ることが出来た。


『お前の好きな女が刹那的な行動を取りそうな気配がある』

『早い内に手を打て』

『というか、手打ちしろ』


 後はあいつら次第だ。

 俺の関知するところではない。


 心の中のモヤモヤが晴れたし、帰りにファミレス寄ってアニメの続きを──通知音。速攻で返信が来やがったな。


『今すぐ駅前広場に来てくれない?』


 俺はいつになったらアニメの続きを観られるんだ。 



     × × ×     



 駅前広場の円形ベンチに安来千沙子の姿が見えた。

 一心不乱にスマホを操作している。

 彼女の前には大学生ぐらいのお洒落な男が立っており、熱心な口ぶりで安来に粉をかけていた。


 あんたが口説いている相手は死体だぞ。

 何なら中身は男だぞ。


 忠告してやりたい気持ちを抑えつつ、俺は女子高生の隣に座る。

 大学生の男はこちらの顔面を見るなり絶句していた。

 顔を引きつらせ、足早に去っていく背中を見て、女子高生が腹を抱える。


「あひひひひ。やっば。すごい威力じゃん」

「おい加藤。なに笑ってんだ。俺の顔は見世物じゃねえぞ」

「いやもうありがとう。さっきからアイツしつこくてさ。助かったあ」

「まさかこのために呼びつけたのか?」

「そんなわけないでしょ。くへへ」


 彼女は指先で涙を拭う。

 小粒の涙が、夜の灯りに照らされる。


「泣くほど笑うなよ」

「身体の影響を受けてるのかも。あはは。安来さんって笑い上戸じょうごだから」

「そういうもんなのか」

「そういうもんだよ。うひっ」


 安来の身体は小刻みに震え続ける。

 誰が言い出したのか知らねえが、一般に女子高生は箸が転がるだけで笑ってしまう年頃とされる。

 個人的には笑いのツボが変わるのは勘弁だな。新人芸人の独創性のない昔話ネタで大爆笑したくない。


 夜風が広場の木々を揺らす。

 ようやく落ちついた様子の女子高生が、こちらの右肩に手首を乗せてきた。


「いやあ。よくわかったね。川口君」

「何の話だよ」

「あたしが……僕が安来さんをゴニョゴニョって話だよ」

「ただの当てずっぽうだ。まあ、よほどのお人好しでもなけりゃ……自分の身体を捧げてまで、好きでもねえ女を生き返らせようとはならんだろ」

「やけに語るじゃん」


 彼女は人差し指でこちらの頬を突いてくる。

 相手は(中略)とはいえ、女子に触れられると気まずい気分になる。教室だとプリントの手渡しさえ拒絶されるからな。

 いかんいかん。

 本題に戻らねえと。


 俺は彼女の手を跳ねのける。


「加藤。お前これからどうするつもりなんだ?」

「どうもしない。僕たちは今のまま生き続ける。それで良いじゃん」

「あいつが早まったマネをしたらどうする」

「たしかに僕の本体が亡くなると困っちゃうね。術者から生命力の供給源が無くなれば、共倒れ、相討ち。死体が二つ転がることになると思う。まあ。それはそれで構わないよ」

「お前、死んでも平気なのかよ」

「あの子が居ない世界なんて耐えられない」


 彼女は言い終えてから「にへっ」と笑った。

 こいつら。二人とも覚悟が決まりすぎてやがる。


「大好きだったんだ。教室の真ん中でずっと大笑いしてる安来さんが。僕たちみたいな陰キャ組とは交流なんて無いに等しいけど。入学した時からずっと。彼女のことを目で追いかけてた」

「あの長すぎる前髪は目線を隠すための工夫だったのか」

「いや。あれはほら。目元を出すと今の僕みたいに目立っちゃうでしょ。陽キャ組に絡まれたくないだけ」

「俺も前髪伸ばそうかな」

「川口の場合は……えっと……ああっ。もうすぐ来るみたい!」


 安来千佐子の身体が勢いよくベンチから立ち上がる。

 彼女のスマホには周辺の地図が表示されていた。加藤由紀と表示されたアイコンがバス停の方向から近づいてくる。

 こいつ。元の自分のスマホに位置情報アプリを仕込んでやがったのか。いざという時に安来の行方を把握するために。


「……なんで川口君が居るの」


 駆け足でやってきた加藤由紀の身体はたしかに目立っていた。

 不機嫌そうに目を細めても素材の良さが損なわれない。男にしておくには惜しいほどに美少女すぎる。


 対する安来千沙子の身体も街中でナンパされる程度には魅力的である。意外とスタイルが良い。

 そんな二人が駅前広場でにらみ合い、言い合いを始めたら、それはもう衆目を浴びることになるはずだ。

 ついでに部外者の俺も注目されることになる。マジでやめてくれ。

 ここは一つ。河岸かしを変えてもらおう。


「安来、加藤。話し合いなら落ちついた場所でやったほうが良いと思うぞ」

「話し合い? あたしは加藤君から『ナンパされてて断れない、ホテルに連れ込まれそうだから助けて』って言われたから来ただけなんだけど。まさか川口君がそのナンパ男なの? サイテー!」

「そんなわけねえだろ! さっきの大学生ならもう追い払ったっての」

「じゃあ。何のためにあたしは駅まで戻ってきたのよ……ああ。女装の件でやり返されたわけ?」

「……」


 安来本人から冷たい目を向けられた加藤は、わざとらしく首をすくめる。否定的なニュアンスは感じられない。

 二人とも互いの尊厳をてこに状況を動かそうとした。互いの肉体が「人質」であると示した。

 こうなると、ますます泥試合になる。


 初っ端に女装作戦を打ち出した自分が言うのも何だが。

 いい加減、まどろっこしいな。


 俺自身の考えとしては安来には生きることを諦めてほしくない。せっかく助けられた命なんだから自由に謳歌すればいい。

 一方で今のまま生きることを強制するつもりはない。

 そこまで他者の人生を背負いきれないからだ。ここの一線は明確に引いておく。


 加藤にはもっと説明を尽くすべきだと言いたい。

 変則的な形ではあるが、ネクロマンサーとして彼女を生き返らせた理由をしっかり伝えるべきだ。

 結局、相手と恋仲になれないまま片想いが終わってしまったことが、こいつの動機なのは目に見えている。


 こいつらにはもっと冷静に話し合う時間が必要だ。

 人生について。恋愛について。生き方について。

 そして今の形になってしまった以上、二人で話し合って決めるべきだ。この先のことを。


「なんだなんだ」

「姉ちゃんたちケンカしてんの?」

「仲良くしようぜ~」

「なんかすげえツラの奴いるな」


 ギャラリーの数が増えてきた。時間帯の都合上、酔っ払いのオッサンばかりだ。

 安来と加藤はにらみ合ったまま、一歩も動こうとしない。

 冷戦が続く。


 もう我慢ならねえ。

 俺は咄嗟とっさに手を叩き、今思いついた言葉を口にする。


「お前ら。いっそのこと今度の土曜日、デート()()()()!」

「……へえ?」「どっちと?」


 係争中の二人が目を丸くしていた。

 安来の身体は首を傾げ、加藤の身体は右手の指先を遊ばせる。

 周りの酔っ払いたちも明らかに反応に困っている。


「なんだなんだ」「三角関係なのか」「兄ちゃんやるねえ」

「川口君。あたしは今そんな気分じゃ……」

「川口、僕の気持ちを知っていながら酷いじゃないか」

「バカ! お前ら二人に決まってんだろが!」


 俺は手の平を前髪の代わりにあてがい、空いた方の手で二人を指差した。

 我ながら逆ギレなのはわかってる。そもそも俺の言葉選びが悪かった。二人でデートしてこいと言うべきだった。


 しかしだな。今の流れで部外者がデートに誘うわけがねえだろ?

 出来ることなら察して欲しかったぞ。

 周りの酔っ払いたちが「おおおっ」「兄ちゃんやるねえ」と拍手を送ってくれる前に。

 これじゃあ、とんだ二股野郎じゃねえか。


後編は近いうちに公開予定です。

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