カルネアデスの泥人形(前)
× × ×
学園相談部にはめったに相談者が来ない。
単純に知名度が低いのもあるが、とにかく立地が悪すぎる。校舎裏の旧部室棟の二階なんて普通に過ごしていたら視界にさえ入らない。秋雨の時期など建物自体が霧に包まれる時もある。もはや幽霊屋敷の風情だ。
だからこそ。俺はこの場所を部室に選んだ。
放課後、自宅に帰らずにダラダラと過ごせる空間を手に入れるため、自分だけの部活を作ったのである。
学園相談部という先生ウケの良い名前を付けてくれたのは、俺の迫真の演技に絆された顧問の宇佐先生だ。若くて情熱的な女教師はとてもチョロかった。「大人のカウンセラーでは解決できない話もあるんです」と涙ながらに訴えたら、すぐにも部活の認可を取りつけてくれた。
おかげで俺は今日も自堕落すぎる放課後を楽しんでいる。
帰宅部の奴らは教室で文化祭の準備に駆り出された様子だが、部活がある川口雄二には無関係な話だ。
全身の筋肉を弛緩させ、柔らかいソファにへばりついていても誰にも文句を言わせない。
ここは俺のための楽園なんだからな。
コンコン。ノックの音がする。
楽園終了のお知らせだった。俺は身体を起こす。
「どうぞ」
「失礼します。一年四組の川口君は居ますか」
部室に入ってきたのはクラスメートの男子生徒だった。
比較的地味な奴で、両目が隠れるほど前髪が長い。体格も華奢で弱そう。
名前はたしか加藤由紀のはずだ。交流が薄いのに我ながらよく思い出せたもんだ。
「川口雄二ならここに居るが。何の用だ?」
「相談があります」
「座ってくれ」
俺は来客を拒む時はあるが、相談者を締め出す扉は持たない主義だ。
加藤には相談者用の椅子に座ってもらった。
リラックスしてもらおう。俺は冷蔵庫から飲み物を取り出す。
「烏龍茶で良いか」
「ありがとう」
加藤の表情が少し和らいだ。表情と言っても口元しか見えないが。
俺は訊ねてみる。
「前から思ってたけどよ、お前の前髪すげえ長いよな。拘りなの?」
「……どうなんだろうね」
「自分のことだろ。まさかその年で母ちゃんに切ってもらってんのか」
「ごめん川口君。一旦その話は止めてもらえないかな」
「お、おう」
他人が触れてはいけない部分だったのだろうか。
俺は何となく缶コーヒーに逃げる。貰い物だから舌が合わない。甘すぎる。
「……どこから話したら信じてもらえるかな」
加藤は指折り数えるような仕草を見せる。
相談相手としてのスタンスが問われているようだ。
俺は缶コーヒーを机に戻した。
「どこからでも良いぞ。とりあえず全部聞いてやる」
「本当に? 信じてくれる?」
「いきなり全否定はしないつもりだ」
「ありがとう」
加藤は泣き出してしまった。
余程切羽詰まっていたのか、情緒不安定に見える。
「うう、ううう……」
卓上のティッシュがみるみる減っていく。
今度自宅から予備を持ち込まないとなあ。
正直、泣いてしまう相談者は少なくない。
自分の悩みを思い出すことはストレスそのものだ。恐ろしいトラウマなら尚更のこと。
俺に出来るのは相手が落ちつくように仕向けることだけだ。
例えば音楽をかけてみたり。
とりあえずユーチューブのクラシック全集でいいか。CM入ると相談者がビックリするのが玉に瑕なんだよな。金があればプレミアムに入りてえ。
「こいつに身体を奪われたの」
加藤は泣きながら話し始める。
こいつとは加藤自身を指すらしい。彼の指先が示している。
「どういうことだ?」
「だから。盗まれたの。あたしの身体を。こいつに」
「じゃあお前は誰なんだよ」
「安来千沙子。クラスメートだから知ってるよね」
たしかに俺は安来という女子生徒を知っている。
一年四組の中でも目立つほうの女子だ。
いつも仲良しの女子たち相手におふざけをかましてはバシッとツッコミを入れられている。
テストの点はクラス上位で「安来のくせに!」と羨ましがられていた。
とにかく明るい性格の持ち主。
容姿にも比較的恵まれ、傍からは悩みなんて一切無さそうに見えた。
そんな彼女が学園相談部にやってきたらしい。
加藤由紀の身体で。
にわかには信じがたい話だった。
子供の頃に神社の階段から転落して魂が入れ替わった男女の映画は観たことがあるが。
実物はニュースでも見たことがない。
俺は念の為に確認を取る。
「つまり『転校生』とか『君の名は』の類いか」
「……わかんない。とにかく今のあたしの中にいるのは、加藤君なの」
「いつから入れ替わったんだ?」
「先週の日曜日だと思う」
今日が火曜日だから三日目になるようだ。
それから彼女は少しずつ状況を話してくれた。
学校で加藤のふりをするのが辛いこと。
加藤本人に問い詰めたら「絶対に元に戻るつもりはないよ」と拒絶されたこと。
どうやら入れ替わりの原因が加藤の行動にあるらしいこと。
彼女は早く元に戻りたいこと。
「ねえ。あたしどうしたらいいのかな。もうわかんなくって」
「わかった。とりあえず安来は明日女装して登校しろ」
「はあ?」
彼女が首を傾げてくるが、俺には思いついたばかりの策があった。
加藤が元に戻りたくないなら戻りたくなるように仕向けてやればいい。
今の状況を逆手に取り、あいつが恥ずかしくなるような行動を取ってやるのだ。
別に女装で無くても良いのだが、俺なら勝手に女装させられたら腹を切って死ぬからな。
「なるほどね。面白いこと考えるじゃん。へへっ」
俺の真意に気づいたらしい。
安来は持ち前のイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
そうなると冗談ではなく本当に入れ替わっていることになりそうだが、世の中には色んな話があるもんだなあ。
× × ×
翌日。
一年四組の教室の中心には安来千沙子が居た。
普段通りのおちゃらけた様子に、女子連中が必死で笑いを堪えている。
「それでもうお茶碗が割れてさあ」
「ぎゃははは。おバカすぎんよ千沙子~」
会話の内容自体は取り立てて面白いわけでない。
たぶん彼女のパーソナリティ自体に魅力があるんだろうな。
加藤の奴。上手に擬態してやがる。
さて。
普段より早く登校した俺は、気の置けない友人たちと気さくな挨拶を交わしつつ、ある人物の到来を待ちわびる。
今日はそのために来たと言っても過言ではない。
ガラララ。
予鈴の音色と共に、教室の前扉から一人の生徒が入ってきた。
白タイツに覆われた足取りには自信がみなぎっている。
小柄な身体を包む制服のブレザーは左前に改造済み。柄の似たスカートは若干折られている。
異常に長かった前髪は切りそろえられ、生来の黒曜石めいた大きな瞳が生き生きと輝きを放つ。
髪全体がふんわりとスタイリングされており良い匂いがしそう。
無駄毛の無い肌は昨日より滑らかに見える。何かしらの俺の知らないテクニックを使ったのだろう。
総じて、加藤由紀の素材の良さが活かされた女装だった。俺ならこんな風にはならない。
ぶっちゃけ予想以上の仕上がりで妬ましい。容姿の良い奴らは本質的に俺の敵だからな。くそったれ。
「おはよう!」
彼女はオタク系のグループの友人たちに明るくはにかむ。
反応は無い。みんな呆気に取られている。
というか、突然やってきた見知らぬ女子生徒の正体に誰も心当たりがないようだ。
気づいているのは「ご本人」だけ。
安来千沙子の身体は明らかに狼狽していた。
そりゃそうだ。俺なら泣いてる。
「……もしかして加藤?」
やがてオタク系の生徒が女装に気づき、教室内はちょっとした騒ぎになった。
目をキラキラさせた別グループの女子が、女装姿の加藤(本物の安来)に突撃取材を敢行する。
「加藤君どうしちゃったの!?」
「実は前から家では女の子の格好で過ごしてて」
「そうなんだ! すっっっっごく可愛いよ!! 後で写真撮ろう!!」
記者の勢いが怖いな。
他の女子たちもキャアキャアと加藤の変わり様にスマホのカメラを向けている。
加藤はそれらに慣れた様子でポーズを向ける。
写真慣れしているあたりも女子っぽい。まあ中身は女子だからな。
「ねえねえ。加藤君ってあんなに可愛い顔してたんだね。あれなら前髪切ったほうが絶対良いよね、千沙子」
「そ、そうだねえ」
一方の「ご本人」は友人からの問いに答えるのが精一杯の様子。
あの感じだと今日中に問題が片付くかもしれねえな。
俺は密かにほくそ笑んだ。
× × ×
放課後。
俺は加藤の身体(中身は安来)を旧部室棟に呼びつけた。
予想通り安来の身体も追いかけてくる。外の様子は俺専用の防犯カメラで丸見えなのだ。
彼らには二階の廊下、俺の耳が届く範囲で言い争いをしてもらう。
いざという時には助け船を出してやるつもりだ。ひとまず部室の中から両者の言い分を拝聴させていただこう。
「酷いじゃないか!」
先に安来千沙子の身体が悲鳴を上げた。甲高い叫び声だった。
「酷いのはそっちじゃん! あたしの身体を返しなさいよ!」
対する加藤由紀の身体も叫び返す。インドア派の高校生男子に相応しい声色だった。一応ハスキーな女声に聞こえないこともないが、これは単純に可愛らしい見た目のせいかもしれん。
安来の身体は加藤の女装姿から目を背けている。
「そんな恥ずかしい格好されたら困るんだよ。君は嫌がらせのつもりかもしれないけど、これから先、困るのは君自身なんだからね」
「うるさい。何でも良いから身体を返せって言ってんの。これから先なんて無いから」
「悲しいこと言わないでほしいな。僕は全て君のために……」
「はあ? 自分のためでしょ?」
身体を奪われた彼女の怒りが、扉越しに伝わってくる。
殴り合いになったら止めに入るべきだな。こいつらもお互い自分自身を傷つけたくないはずだ。
加藤もいい加減、身体を戻してやればいいものを。
何をためらっているのやら。そんなに安来の身体が欲しかったのか。というか、そもそもどうやって入れ替わったんだ?
俺の内なる疑問に彼らが答えるはずもない。
両者は黙りこくったまま廊下に立ち尽くし、やがて彼女のほうが痺れを切らした。
「……もう帰る。一時間後には布団で横になってるから。すぐに元に戻して。でないと明日も由紀ちゃんだから」
「本当に勘弁してよ。ウチの学校は制服自由だけどさ。もう見てられないよ」
「明日は陽向と香楓に三人で動画撮ろうって誘われてるんだよねえ。もちろんネットにアップするし。どうすんの?」
「うううう……」
「嫌なら早くケリを付けなさいよね」
泣き崩れる安来の身体を尻目に、女装姿の彼女は旧部室棟の階段を早足で降りていく。
寂しげな廊下に一人残された肉体泥棒は──おい。なんで俺の部室に向かってくるんだ。
今来られてもお前の立場には寄り添えねえぞ!
× × ×
部室の窓から橙色の西日が差し込んでくる。
俺は目の前の相談者に、冷えた緑茶入りのスチール缶を手渡した。近所のホームセンターで仕入れたプライベートブランドの安物だ。
「ありがとう」
安来千沙子の顔面が明るい笑みを浮かべる。
中身は別人だというのに笑い方が安来本人とそっくりだな。本当によく研究してやがる。
周りを楽しそうに見回している仕草も似ている。モノマネ大会なら百点満点をくれてやってもいい。
「ウチに『学園相談部』なんてあったんだね」
「場末で細々とやらせてもらっている」
「随分とボロボロの部室だけどさ。もしかして川口君。さっきのあたしらの話、聞こえちゃってた感じ?」
「なんかケンカしてたみたいだな」
「そっかそっか」
彼女は安心したように背もたれに上半身を預ける。
「うん。ケンカといえばケンカなんだよね。ありがたいことに。なかなか良い捉え方で助かるわん」
「解決したなら帰ってくれ。今日は『オーバーマン・キングゲイナー』の一気見で忙しいんだ」
「え? どこまで観たん? ウンコ部長死んだ?」
いきなり前のめりになる相談者。擬態が外れてるぞ。それと息を吐くようにネタバレかましてくるな。あのオッサン死ぬのかよ。
俺が無言で睨みつけてやると、彼女は両手を合わせてきた。
「ごめんちごめんち。小さい頃にあたしのお兄ちゃんが観ててさあ。懐かしいなあ」
「謝るつもりがあるなら、首だけインド人みたく左右に動かすんじゃねえよ」
「すんませんでしたぁ」
ぺろりと舌を出す安来千沙子の身体。
俺は恐怖を覚える。
会話の中に違和感が無い。しょうもないおちゃらけぶりがそっくりすぎる。
廊下での言い争いを聞いていなければ、こっちが「本人」だと確信していたかもしれねえ。
加藤は本気で安来の人生を乗っ取るつもりだ。
誰かが阻止しないと、あの子の人生は奪われたままになる。
俺は踏み込み方を考え直す。どうしたらいい。相談内容を他人に明かすのは自分の流儀に反する。だったら。
一旦、頭を下げるしかねえ。
「すまん。さっきのケンカなんだが、全部聞こえてたわ」
「あ、やっぱり?」
こちらの訂正に、安来の身体はあっけらかんと答える。
同時にいつもどおりの彼女を形作っていた「空気」が急速に萎んでいった。
今、相談者の椅子に座っているのは、間違いなく安来ではない人物だと肌身で感じる。
外見は変わらねえのに。俳優顔負けの演技力に鳥肌が立った。
恐ろしい。
加藤は天を仰ぎ、ため息をつく。
「ああ。ミスったなあ。こんな廃屋に住みつくようなバカが居たなんて」
「失礼な奴だな」
「全部聞かれたなら仕方ないね。川口、同級生の誼で相談に乗ってくれない?」
「加藤。はっきり言うが、元の身体に戻してやるべきだと思うぞ」
我ながら正論を言っている。
盗んだものは持ち主に返すべきだ。要らないものを押しつけるのも良くない。
加藤の場合、少し磨けばあれだけの美少女(?)になれるんだから安来の身体を手に入れる必要性は薄いだろうに。
俺のように外出を毎回躊躇するレベルの醜貌になってから非合法的手段を考慮してほしい。
こいつには地下鉄に乗るたびに周りの客に絶句される経験なんぞ無いはずだ。
当の加藤は、何故か大仰に肩を竦めていた。
「それは出来ないよ」
「出来るだろ。嘘を吐くんじゃねえ」
「どうしてそう思うのかな?」
「な、何となくお前なら出来る気がするからだ。さっきの会話から察したんだよ!」
俺は適当にごまかした。
安来本人から聞いたとは言えない。彼女の相談内容を明かすことになる。
全部こいつのせいなんだから、あけっぴろげに話してもいい気がするが。ルールはルールだ。
「そうだね。そのとおり。やってのけたんだから可能に決まってる。こう言うべきだったね。絶対に戻したくない」
「そんなに女になりたかったのかよ」
「変な誤解はやめてもらおうか。女装趣味だって誤解だからな。どこのどいつだよ、あの子に入れ知恵しやがったの……」
俺だよ、と手を挙げたいところだが止めておく。
加藤から怒りの矛先を向けられたくない。
冷静に考えて、人間同士の精神を入れ替えられる『異能力者』なんて怖いに決まっている。
いくら自分の醜い姿に絶望しているとはいえ、その辺の蠅と入れ替えられたらたまったもんじゃねえ。一ヶ月で死ぬんだぞ、あの生き物。
君子危うきに近寄らず。説得に応じる気配も感じられねえし、ヤバい奴には出て行ってもらおう。
俺は腕時計と加藤を交互に見つめる。
「おい。もう言いたいことは言い尽くしたか? もうすぐアニメを観る時間なんだが?」
「せっかちだなあ。とにかく川口には協力してほしい。乗りかかった舟じゃん。一緒にあの子の暴走を止める方法を考えよう」
「待て。相談には乗るが。お前に協力は出来ねえぞ」
「ひょっとして利益相反になるから? あの子に入れ知恵したのも川口なんじゃ……」
女子生徒が訝しげに睨んでくる。
まずい。手塚治虫の『ザムザ復活』みたく虫にされたくない。
「そ、そういうことじゃねえよ。相談部は問題解決には寄与しねえんだ」
「データベースは答えを出せない、的な?」
「例えるならサンドバックに答えを求めるなって感じだ」
「無性にアイスクリーム食べたくなってきた」
加藤は椅子の背もたれに身体を預ける。唐突な告白だ。
そういえば他人の身体だと味覚も変わるんだろうか。女子のほうが甘味を好むイメージがある。
小刻みなバイブ音。
目の前の女子生徒がスカートのポケットから派手なスマホを取り出す。もちろん安来本人のものだろう。つまり盗品だ。
「おっ。ナイスタイミング。香楓と比美子が駅前のストゥバにいるって。あたしもダークモカフラペなやつをいただこうっと」
女子生徒がニヤニヤしながらメッセージに返信している。本人気取りなのがムカつくな。本当に擬態が上手い。
「川口君も来ちゃう?」
「行くわけねえだろ。というか他人の身体で楽しんでんじゃねえよ。早く返してやれ」
「絶対に返さない。こうやって安来が楽しくおしゃべりできるのも、デザートを楽しめるのも。全部ぼくのおかげなんだから」
「盗人猛々しい奴だな」
「本当のことだよ」
加藤は椅子から立ち上がる。
さりげなくスカートのシワを整える仕草にすら違和感が無い。
彼女は笑っていた。
「全部ぼくのおかげ。あの子のためにやってる。だって元に戻したら、あの子は死んじゃうんだから」
「はあ?」
「気になるなら本人に聞いてみたら。じゃあね」
彼女は楽しげに手を振りながら相談室を出ていった。




