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第2話 安寧短し、苦労は多め⑤

 それから、およそ三分後。梛が何度目かもわからないため息を吐いていると、カーテンレールの滑る音が聞こえ、美卯が姿を現す。


「……お兄ちゃん、その……どうかな?」


 美卯はその陶磁器のように艶やかな白い肌を薄水色の下着で装い、カーテンの端を手で握りながら、恥ずかしそうに問うてきた。


 無論、似合っているかどうかと聞かれれば、百人中百人が――もちろん梛も――似合っていると答えるだろう。

 それは間違いないのだが、あまりにも似合いすぎていたため、梛は唖然とすることしかできなかった。


「……ねえ、似合ってないなら似合ってないでいいから、はっきり言ってよ」


「……あ、いや、似合ってる。似合ってはいるんだけど……」


「だけど?」


「その……あまり気軽に人に見せるものじゃないというか……うん、こういうのは姉貴に聞いた方が的確な意見がもらえると思うぞ?」


 梛はなるべく美卯を視界に入れないよう、目を逸らしながら早口で答える。

 いくら兄妹とはいえ、妹の下着姿を見るのは恥ずかしいのだ。というか恥ずかしくないわけがない。


 と、梛の受け答えが不満だったのか、美卯は俯いてぶつぶつと小さく呟く。


「……お兄ちゃんに選んでほしいからお兄ちゃんに聞いてるんじゃん。なんでわからないのかな……」


「ん、なんて?」


「なんでもない!」


 美卯は声を荒らげて勢いよくカーテンを閉める。それによってこちらを向いた周囲の眼光に、梛は萎縮することとなった。


「俺、なんか変なこと言ったかな……」


 梛は小さくぼやきながら、ひとり首を捻る。


 思い当たる節があるとすれば、「気軽に人に見せるものじゃない」という趣旨のあの発言。もしかしたら女子にとっては、ネイルを見せ合うのと同じ感覚で、下着も話題にするものなのかもしれない。


 余計なお世話だったな、と遅れて反省しながら、梛ははあと短く息を吐く。


 と、


「――じゃーん! 梛ー、どう? 似合ってるー?」


 凜桜はカーテンを勢いよく開けると、その場でくるっと一回転し、得意げにポーズをとって梛に魅せる。

 その黒を基調とした下着が、凜桜のシミひとつない白くて綺麗な肌を十分に引き立てていた。


 最初に見たときは気づかなかったが、こうして改めて目にすると、どうにも視線の置き場に困る。

 梛は美卯のときと同じように、そっと目を逸らした。


「ねー、なーぎー」


「あ、ああ、似合ってるんじゃないか?」


「黒と白どっちがいいかなー?」


「あー……えーっと……」


「あ、見比べないとわからないよねー! ちょっと待っててねー!」


 言って、凜桜は再び試着室へと戻っていった。


 また同じものを見せられるのかと梛がヒヤヒヤしていると、隣の試着室から、美卯がむすっとした表情のまま顔だけを覗かせてくる。


「……お姉ちゃんには、普通に似合ってるって言うんだね」


「美卯に怒られたから発言には気をつけるようにしたんだって。別に美卯が似合ってないわけじゃないからな?」


 拗ねたように唇を尖らす美卯に、梛は苦笑を返した。


「ちゃんと美卯も似合ってるから安心してくれ。ただ、ああいう格好は目に毒というか、見てて恥ずかしいから俺に聞かれると困るってだけで……」


「一緒の布団に、下着姿のお姉ちゃんといても恥ずかしそうにしてなかったのに?」


「あれは寝起きだったから眠気が凄かったのと、朝忙しいときに姉貴が邪魔してくるから、ちょっとイライラしてそれどころじゃなかったというか……」


 梛が少し慌てた様子で言うと、その様子が面白かったのか美卯は小さく吹き出す。


「まあ、そういうことにしといてあげる」


 言って、美卯は再びカーテンの向こうに姿を消した。


 すると入れ替わるようにして、凜桜がまたもや勢いよくカーテンを開けて姿を現す。

 デザインこそ同じだったが、下着の色が黒から白へと変化していた。


「お待たせー! 梛どうー?」


 言いながら、凜桜は前かがみになって、その豊満な胸を強調するようなポーズをとる。


「似合ってるー?」


「あ、ああ、白い方も似合ってる……と思う」


 梛が目を泳がせながら答えると、凜桜は満足そうに頷き、先程着ていた黒い下着を、現在身につけている白い下着の上に当てた。


「梛は白と黒、どっちがいいと思うー?」


「どっちって言われても……――あ、たしか姉貴、それとはデザインは違うだろうけど、黒色の持ってたよな? だったら白でいいんじゃないか?」


 梛が言うと、ちょうど着替え終えて試着室から出てきた美卯が蔑むような目を梛に向けてくる。


「え、お姉ちゃんの下着把握してるの? それはちょっと……普通にキモい」


「姉貴が布団に潜り込んできたから知ってるだけだよ! さっき、ちょうど話してただろ!」


 言ってくる美卯に、梛は周りに聞こえないように小さく声を荒らげた。


 無論、梛が凜桜の所持している下着を把握しているなんてことは一切ない。記憶に残っているのは、数日前に不慮の事故で見てしまった一着のみだ。


「あー……そういえば、あのときお姉ちゃんが着てたのは黒だった気がしなくもない……かも?」


 美卯は思い出そうと顎に手を当てながら首を傾げる。


「てか、わざわざ俺に聞かなくてもいいだろ……」


「梛に選んでもらいたいのー! ねーねー、白と黒、どっちが似合ってたー?」


「えーっと……美卯はどう思う?」


 答えに困り、梛は美卯に視線を向ける。が、梛を助ける気は一切ないようで、美卯はこの状況を楽しむかのように、にんまりとした笑みを浮かべていた。


「さあね。お姉ちゃんはお兄ちゃんに聞いてるんだから、人に聞かずに自分が答えなきゃ」


「うっ……」


 美卯の正論に、梛は口を噤む。他の意見を聞いてから当たり障りのない答えを出そうとしたのだが、どうやらそれは難しいらしい。


 両方似合っているという半端な答えは認められないし、凜桜の性格上、このまま黙っていても、答えるまでひたすらに同じ質問が繰り返されるだけだろう。


 正しい選択肢を選ぶまで進まないなんて、まるでゲームみたいだ。……いや、セーブもロードもできないのだから、それより鬼畜と言えるか。


 梛は観念すると、しばし悩んだ末、薄目で見ながら凜桜の手元を指さした。


「……両方似合ってはいるけど、どっちか選ばなきゃいけないなら……黒い方で」


 別に他意はない。どちらかと言えばこっちの方が似合っているように思えたというだけ。

 おそらく、あの日見たのが黒色だったから、それが深く印象に残っていたのだろう。


「うん、わかった!」


 凜桜はまた満足そうに頷くと、カーテンを閉めて着替え始めた。


「へえ……お兄ちゃんは黒い下着が好きなんだ」


「いや、どっちかと言うと黒の方が似合ってたってだけで、別に好みとかでは……」


「まあ、隠したいこともあるよね」


 美卯はニヤニヤしながら、からかうように梛の肩をぽんと叩き、先程試着した下着とは別に、黒色の下着も手に取ってレジへと向かった。


 結局、凜桜は梛に見せたものを二つとも買って店をあとにした。曰く、「両方似合ってるって言ってくれたから!」とのこと。


 あんなに悩んだのは一体なんだったのか。

 最初の店から疲れすぎて、嫌でも凜桜の世話になってしまいそうだった。

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