第2話 安寧短し、苦労は多め⑥
「はい、お兄ちゃんとお姉ちゃんの分」
梛がしがみついてくる凜桜を引きずるようにして部屋から出ると、一足先に出ていた美卯が、先程落書きした写真を手渡してくる。
その写真を見て、梛は頬を引きつらせ、凜桜は目を輝かせた。
「……改めて見ると、すごい恥ずかしいな。てか、なんだよこの『両手に花』って。いやまあ、間違ってはいないんだろうけどさ……」
と、梛が苦笑しながら撮った写真を眺めていると、美卯が不安そうに顔を覗き込んでくる。
「どうした、美卯?」
「……お兄ちゃんから見て、私とお姉ちゃんは、その……可愛い?」
「…………は?」
あまりにも突然の質問に、梛は驚き、思わず写真を落としてしまった。
拾いながら、美卯からの問いを反芻する。
「……姉貴と美卯が可愛い、か?」
「うん」
「……」
戸惑いを隠せず、梛は何度も瞬きを繰り返す。
可愛いかと問われれば、言わずもがな、凜桜も美卯も可愛い。そんなもの、自明の理だ。
しかし、なぜいきなりそんなことを聞くのか。
自分で『両手に花』などと書くくらいなのだから、自覚症状があるか、あるいは周囲から言われ慣れているに違いない。
もし後者だとしたら、煽てられていると勘違いしているのか。
……いや、そこはどうでもいい。
問題は、梛がどう答えるか――それだけだ。
ここで正直に可愛いと答えれば、「うん、知ってる」と、美卯にからかわれるだろう。火を見るより明らかだ。
しかし、可愛くないと嘘をつけば、美卯の拳が腹部の辺りに飛んでくるのは間違いない。
それに加えて、凜桜が泣きついてくるのも、ありえない話ではない……というより、むしろ、その確率は高いと言っていい。
かと言って、『沈黙は金』『言わぬが花』といった言葉のように黙りこくったり、言葉を濁すのを、美卯が許すはずもない。
結局、梛に残されていたのは、素直な感想を口にすることだけだった。
……まったく、兄という生き物は妹に弱すぎる。
梛は美卯の頭の上にぽん、と手を置いて、苦笑しながら言ってやる。
「……可愛いに決まってるだろ。嘘でも冗談でもない。姉貴も美卯も、二人とも本当に可愛い」
梛は照れをものともせず、さらに続ける。
「というか、可愛くないわけがないだろ。実際、不相応な俺が可愛い二人と並んでるせいで、周りから嫉妬の視線を浴びてるわけだしな。もう少し、その可愛さを自覚して――」
「やめて……」
ひたすら本心を伝える梛を、美卯は顔の前に手を出して制止した。
「……わかったから、こっちが恥ずかしくなってくるからもうやめて……」
「え、いや、そっちが聞いてきたから答えただけで……」
「こんなに可愛いって連呼されるとは思わないじゃん。それに、お兄ちゃんのことだから変に誤魔化すと思ってたし……」
美卯は赤らめた頬を隠すように俯きながら、脚を小刻みに蹴ってくる。実に理不尽極まりなかった。
凜桜も凜桜で、真っ向から言われたのが恥ずかしかったのか、梛の肩に顔を埋めるように押し当て、ひたすらに唸っている。
「ええ……」
二人のらしくない反応に、梛は眉根を寄せた。
凜桜は雪の日の犬のようにはしゃいで喜ぶと思っていたし、美卯はいつも通り嘲笑してくるものだと思っていた。
しかし実際は、なぜか二人揃って顔を隠している。
恥ずかしいのは、公衆の面前で姉と妹に対し、ひたすら「可愛い」と褒めた梛の方だというのに。
と、梛が困惑して立ち尽くしていると、周囲がざわめき出し、お世辞にも気持ちいいとは言えないような視線が梛に集まり始めた。
わずかに聞こえてくる声から察するに、どうやらこの現状を見て、カップルのいざこざかなにかだと勘違いしているらしい。
しかも、梛が加害者側。あまりにも酷すぎる話だった。
まあ、だからと言ってわざわざ否定するのも面倒だし、大きな声で周囲に呼びかけるような度胸も、梛にはないわけで。
梛は二人の手を引き、絶え間なく浴びせられる悪感情の視線から逃れるようにゲームセンターをあとにする。
出口へと向かう際も好奇の目を多く向けられたが、そちらに関してはどうやら少し耐性がついたようで、以前ほどは気にならなかった。
梛は近くにあったベンチに二人を座らせると、自販機で飲み物を買って、二人に差し出す。
「……なんか悪かったな、答えを間違えたみたいで。今後はああいうこと言わないように――」
「大丈夫だよ!」
「大丈夫だから!」
凜桜と美卯はバッと顔を上げ、梛の謝罪を遮るように同時に声を発した。
「あれは急に言われてびっくりしただけで、別に言ってくれていいから」
「そーだよ! 梛に可愛いって言われて嬉しかったもん!」
「可愛いって言われて喜ばない女子はいないから。むしろ、もっと言ってくれていいから」
「お、おう……?」
先程とは一転、早口で真逆のことを言ってくる二人に、梛は目をぱちくりとさせる。
すると、美卯は我に返ったかのように肩をすぼめた。
「……忘れて」
「……」
梛は何か言うわけでもなく、素直にこくりと頷く。
さすがの梛にも、赤面するようなことを口走ったときに、触れないであげる優しさが備わっていた。
もっとも、相手が安達とかなら問答無用で追い詰めると思うが。
「えへへ……梛に可愛いって言われた……」
と、そんな美卯とは対照的に、凜桜は梛に可愛いと言われたことを、時間差で噛みしめるように喜んでいた。
「ねーねー」
「ん?」
「もう一回、可愛いって言ってほしいなー」
「……可愛い」
「うへへー」
梛が言うと、凜桜はいつものように梛に抱きつき、だらしな……いや、幸せそうな笑みを浮かべる。
先程まで恥ずかしさで悶えていたとは思えないほどの、見事な変わり身の速さだった。
とりあえずはまあ、凜桜も美卯もいつも通り戻ったみたいなので、一件落着と言っていいだろう。
まったく、本当に人騒がせな姉と妹だ。
「……で、このあとはどうするんだ?」
梛は吐息すると、凜桜を引き剥がしながら美卯に問いかける。
「行きたい場所とかあるなら付き合うぞ。……ゲーセン以外で」
「なんでゲームセンターはダメなの? せっかくお兄ちゃんをフルボッコにできると思ったのに」
すっかりいつもの調子に戻ったようで、美卯は不満そうに唇を尖らせた。
やはり凜桜の妹。立ち直りが早かった。
「もしかして、負けるのが怖いとか?」
「ゲームで俺に勝ったことがないやつが何言ってんだか」
言ってくる美卯を、梛は鼻で笑い返す。
今は本ばかり読んでいるが、梛は元々かなりのゲーム好きだ。
どのくらい好きかというと、親に内緒で夜更かししてまで遊んだ結果、それがバレて一時期ゲームを禁止させられたくらい。
そんな暇な時期に読書にのめり込んだ結果が、今の梛というわけだ。
解禁後もゲームそっちのけで本ばかり読んでいたら、両親から心配されてしまったのだが、今考えてもあれは酷いと思う。
まあ、そのおかげで色々な作品に出会えたと考えれば、結果オーライと言える……はずだ。
「たしかに、お兄ちゃんには勝ったことないけど、私だって友達とゲームセンター行って練習したから、少しは強くなってるよ。……まあ、お姉ちゃんにバイトがあるって嘘ついてまでゲームセンターに通ってたお兄ちゃんほどじゃないかもしれないけど」
「俺が悪かったから、ナチュラルに刺すのはやめてくれ……」
いたずらっぽい笑みを浮かべる美卯に、梛は小さく肩をすくめた。
「でも、なんでゲームセンターは嫌なの? せっかく久しぶりにお兄ちゃんと遊べると思ったのに……」
「……さっきのあれを、周りが修羅場か何かだと勘違いしたみたいでさ。まだそんなに時間も経ってないから、戻りにくいというか……」
「あー……ごめん」
「まあ、今度学校帰りに行こうぜ。なんなら明日でもいいしな」
梛は落ち込む美卯を慰めるように頭を撫でてやる。
すると凜桜が、私も撫でてと言わんばかりに頭を押しつけてきた。
「美卯だけずーるーいー。おねーちゃんも撫でてー!」
「いや、姉貴は元気だし……」
「いーやーだー! 撫でてほしいのー!」
凜桜は不満そうに、何度も頭突きを繰り返す。
こうも甘えられると、もうどちらが年上かわからなかった。
「……わかったから。撫でてやるから、少し離れてくれ」
「むー……」
梛が言うと、凜桜は葛藤しながらも梛の腕から離れ、美卯の隣に腰を下ろした。
梛は呆れたように吐息すると、美卯を撫でるのをやめ、今か今かとそわそわしている凜桜の頭に手を伸ばす。
と、美卯はその手を握り、自身の頭へと再び乗せた。
「……やめないで」
「え、いや……え?」
「そのまま、続けて」
混乱しながらも、梛はまた美卯を撫で始める。
すると今度は、凜桜が催促するように頭を差し出してきた。
「ねー、梛ー。早く撫でてよー」
「……」
梛は無言のまま凜桜の頭にも手を置き、要望通りに撫でてやる。
凜桜はもちろん、美卯も恥ずかしそうにしながらそれを受け入れた。まるでツンデレな猫のようだった。
「……なんだ、この状況」
梛は二人に聞こえないほどの小さな声で、ぽつりと呟く。
しかし、梛も梛で、このわけのわからない状況を楽しんでいた。
というのも、美卯がこんなに甘えてくるなんて、小学生の頃以来なのだ。
昔は凜桜のように甘えん坊で、いつも梛のあとをついて回っていたのに、四年生――十歳になったあたりから反抗期に入ったのか、美卯は今のような性格になってしまった。
とはいえ、別に仲が悪くなったわけではないのでそこまで気にしてはいないし、梛にとって美卯が可愛い妹であることにも変わりない。
まあ、もう少し優しくしてくれれば、と思うことはあるのだが。
「――もうやめて」
と、梛が懐かしみながら一分ほど撫で続けていると、さすがにしつこかったのか、美卯が梛の手を振り払って終わりを迎える。
凜桜は残念そうにしていたが、我に返るとだんだんと恥ずかしくなってきたので、やめどきを与えてくれてありがたかった。
「……じゃあ帰るか」
「……そう、だね」
梛と同様、美卯も恥ずかしかったようで、明後日の方を見ながら、梛の呼び掛けに反応した。
そんな中、一人だけ恥ずかしさと無縁の凜桜は、梛の腕を引っ張って必死に抵抗する。
「えー、もう帰るのー? もっと遊ぼうよー」
「そうは言っても、やることないしな。さっきも言った通り、ゲーセンは行けないし……」
「むー……」
頭では納得していても不満は不満なようで、凜桜は唸り声を上げて動こうとしない。
まるでお菓子が欲しいとねだる駄々っ子のようだ。
世の中の親御さんは、一体どうやってわがままを言う子供を御しているのか。参考までにお聞かせ願いたい。
……もっとも、教えてもらったところで、それが凜桜に通じるかどうかは別なのだが。
梛は数瞬の間に思考を巡らせ、ふと頭に浮かんだ案を口に出してみる。
「……なんでもない日だけど、ケーキでも買って帰るか?」
「……ケーキ!?」
「え、いいの?」
と、凜桜だけではなく、美卯までもが期待するように小さく肩を揺らした。
「まあ、たまには、な。いらないなら別に――」
「いる。食べる」
「食べるー!」
二人は食い気味に言って、きらきらと目を輝かせる。
血は繋がっていなくとも、やはり姉と妹。梛と同じで、甘いものが大好きなようだ。
しかし、こうも簡単に釣られると二人が心配になってくる……が、まあ、知らない大人について行くようなことはしないだろう。そう願いたい。
「……じゃあ、帰りにケーキ屋に寄ってから帰るか」
「やったー! 梛、大好きー!」
凜桜は嬉しさを表現するように、梛に抱きついては頬擦りをする。
恥ずかしがる梛とは対照的に、凜桜は周りの目などまるで気にしていないようだった。
「お兄ちゃんの奢り?」
「まあ、そのつもりではいるけど……あんまり高すぎるのはやめてくれよ?」
「どうしよっかなー」
美卯は梛の反応を楽しむかのように、不敵に微笑む。
「せっかくの奢りなんだし、お店で一番高いのにしちゃおっかな」
「たしかに、『人の金で食う焼肉は美味い』とか言ったりするけどさ。少しは手加減してくれよ……」
「もー……美卯ったら。梛が可哀想だよー?」
そう言って凜桜は、慰めるように梛を胸に抱き寄せ、頭をよしよしと撫でる。
凜桜としては頼りになる姉のように振る舞っているつもりなのだろうけど、梛がもがくように抵抗しても離す気配を見せないあたり、どうしても自身の欲に忠実なだけにしか思えなかった。
「大丈夫大丈夫、半分冗談だから」
「……いや、半分は本気なのかよ」
梛は命からがら凜桜の拘束から脱出すると、カバンから財布を取り出して中身を確認する。
買う予定のなかった服まで買ってしまったせいで、少々薄くなっているような気がしなくもないが、多少値が張るくらいならなんとかなるはずだ。なってもらわないと困る。
「……さて、と。じゃあ、さっさと買って帰るか」
疲れ切った身体に鞭打ち、腕に張り付く凜桜を引きずるようにしながら、梛は出口へと足を進める。
少しは慣れてきたとはいえ、相も変わらず周囲の視線は痛い。が、これはもう仕方のないこと。
凜桜と美卯と一緒に過ごす、梛に課された宿命のようなものなのだから。




