第2話 安寧短し、苦労は多め③
――そして、現在に至る。
梛は電車に揺られながら、後悔の念をため息と一緒に吐き出した。
あのときは嫌がりながらも、「そのくらいなら……」などと考えてはいたが、今となってはものすごく後悔している。
いやまあ、一緒に寝たり風呂に入ったりするよりかは遥かにマシなのだが、それでも面倒なことには変わりはない。……本当に、あの時点でやめておけばよかった。
「まだ目的地にも着いてないのに、もう疲れたの? いくらなんでも早すぎない?」
と、吊り革に掴まって立っている梛に、座っている美卯が呆れたように言ってくる。
「かっこつけて私とお姉ちゃんに譲らないで、普通にお兄ちゃんが座ればよかったのに」
「いや、かっこつけたつもりはないんだけどな。疲れてるのは……まあ、たしかだけど、別に座りたいわけでは――」
「梛ー、ここ空いてるよー!」
梛が否定しきる前に、凜桜が自分の膝を叩いて、上に座るよう促してきた。もちろん座るわけがない。
――と、まあ、これが梛が疲弊している原因だ。
凜桜と美卯は、才色兼備や容姿端麗といった四字熟語が似合うくらい、誰が見ても綺麗だし可愛い。兄であり弟である梛がそう思うのだから、他人なら尚更だろう。
実際、凜桜や美卯に告白しようとして、梛の元へ情報を集めに来る者もいる。「お姉さんの好きなものはなにか」「妹さんの趣味はなにか」など、中学時代から今に至るまで、幾度となく聞かれてきた。
当然、その手の質問に梛が答えるわけもなく、毎回追い払っている。あまりにしつこかったときは、中指を立てたりもしたが、さすがにそれはやりすぎだったと反省したりしなかったり。
とはいえ、やったことに後悔はしていない。利用されるのも、そんな輩が義兄や義弟になるのも、絶対にごめんだ。
それでも二人に告白する者は後を絶たず、振られた人たちで密かにファンクラブが結成されているとかいないとか。風の噂で耳にした情報なので、真偽は不明。
そんな二人と一緒にいれば、自然と視線が集まるのも避けられない。
その上、凜桜がしきりに引っ付いてくるのだから、たまったものではない。
近所に住む人や平駒高校の教師、生徒たちはこの光景を見慣れているから何も言わないが、それ以外の人が見たら、この状態を恥ずかしいと思うのは至極当然だろう。
むしろ見慣れている方がおかしいのだが、それはまあ……歴が違う、ということで。
電車内で凜桜や美卯と話していると、嫉妬や羨望などといった様々な感情を孕んだ視線が、次々と梛に突き刺さる。
そしてそれは、目的地であるショッピングモールに着いても変わらなかった。
すれ違った老夫婦は「仲がいいわねえ」と微笑みながら梛たちを見やり、父親に肩車をされている小さな女の子も「イチャイチャしてるー!」と大きな声を上げて指さしてくる。
店で買い物を楽しんでいる初々しいカップルなんて、自分たちのことを棚に上げて、梛たちを笑っていた。ぜひ鏡というものを教えてあげたい。
こんな感じで、家を出てからの一時間。梛は周囲からの視線に、ひたすら耐え続けていたのだ。
ようやくショッピングモールへとたどり着いた頃には、梛の精神は限界ギリギリにまですり減っていて、来て早々、後悔の念に苛まれてしまった。
「なに、お兄ちゃん。今さら後悔してるの?」
と、美卯が梛の心を読んだかのように言ってくる。
「ああ、それはもうすごい後悔してる。今すぐにでも――」
「帰りたいとか言わないでよ? そんなこと言ったら、お姉ちゃん泣いちゃうから」
「……多分泣くどころじゃ済まなそうだけどな」
梛は引きつった笑みを浮かべながら、拘束された左手に視線を落とした。
言うまでもないことだが、凜桜は毎度のごとく梛に引っ付いている。しかし、いつもよりは密着しているようで密着していない。
というのも、普段なら四六時中梛の腕に抱きついている凜桜だが、今日は朝起きたとき以外、一度も梛に抱きついていないのだ。
じゃあ何をしているのかと言うと、ご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、梛の手を握っている。それも、普通に手を繋ぐのではなく、指を絡ませる――いわゆる『恋人繋ぎ』で。
家を出てからというものの、改札を通るとき以外はずっとこの調子だ。
もちろん梛は振りほどこうとしたが、指が絡んでいる上にしっかりと握られていて、まったく抜け出せない。しかも、それを嬉しさの表現と受け取ったのか、凜桜もぶんぶんと手を振って返してきた。
普段のようにべたべたしてくるよりかは幾分かマシではあるものの、これはこれでかなり恥ずかしい。少し顔が熱く感じる。
「……それで今日は何するつもりなんだ? まあ、ショッピングモールなんだから買い物ではあるんだろうけど」
梛が照れを隠すように言うと、凜桜は幸せそうな、それでいてだらしない笑顔を向けてきた。
「今日はねー、梛にお洋服選んでもらってー、梛とご飯食べてー、梛と一緒にいっぱい遊ぶんだよー!」
「……なんかすごく疲れそうだな」
「大丈夫! 梛が疲れたらベンチで膝枕してあげるから!」
言って、凜桜は指を絡ませてくるだけでは飽き足らず、梛の腕にまで抱きついてくる。
瞬間、周りの目が一層厳しくなった気がした。
「何が大丈夫なのかはわからないけど、絶対に休んではいけないってことだけはわかった」
「ま、そんな感じだから、まずは洋服から見に行こっか」
梛の服の袖をぐいと引っ張って、美卯が催促してくる。その光景にどこか懐かしさを覚えつつ、梛は素直にそれに従った。




