9:伯爵の理由
プレニウス邸からの帰り道。
遠ざかる屋敷を背後に揺れる馬車の中、リュネットと侍女のネネは黙りこくっていた。
2人を支配するのは、もちろんクルード伯爵の申し出である。クルード伯爵を疑う訳ではないが、
両手放しで信用できるわけでもない。
加えて、彼に聞かされた話は、軽い話ではなかった。当然、考えてしまう。
ガタガタと揺れる馬車籠の中。
リュネットに神妙な面持ちを向けるのはネネだ。
彼女は迷いと不安を宿したまま、リュネットに目を向けると、
「……奥様……、クルード伯爵の申し出を、どう捉えますか?」
「彼は賢いお人ね。わたくしたちに事情をお話になられたのも、こちらを読んでのことでしょう」
問われ、口だけを動かし答える。
この馬車はクルード伯爵が手配してくれたものだが……、気は抜けない。御者も信頼できるかわからない。
しかし、そんなリュネットの警戒を読めなかったのか。ネネは思い詰めた様子で口を開き、
「伯爵様がダルネス様に恨みがあるのはわか……」
「──しっ。口を慎みなさい。御者に聞こえてしまうわ」
素早くネネの言葉を遮って。
リュネットは馬車籠の外、馬を操る御者に目を配らせた。
御者はきっと、プレニウスのお抱えだろう。
が、しかし、屋敷で聞かされた情報は、軽く口にしていいものではなかった。
馬車馬の足音を耳に、リュネットが思い出すのはプレニウス伯爵の吐露である。
聞けば、クルードはかねてより、ダルネス家およびその周辺を内密に調べていたらしい。
そこで掴んだ「こちらの事情」。
ダルネスが奪い掌握した販路のこと。
その販路も人脈も、ダルネスが壊しかけていること。
リュネットに関するうわさ。
おそらく彼は、リュネットに商談を持ち掛けても、首を横に振ると分かっていたのだ。それを分かっていながら、発破をかけ、協力を求めてきたのは──奥に、更なる理由があったから。
……驚いたわ。彼にそんな事情があったなんて……
胸の内で呟きながら思い出すのは、クルードの問い。
伯爵ほど地位にある人間が、子爵ごときに目を光らせている理由が脳に蘇る。
『……サラ・マクラベルという名前を聞いたことはあるか?』
静かな問いに首を振った。
聞いたことのない名前だった。
後ろでショーンが驚いた顔をしたが、クルードは続けた。
『……そうか、口にもしないのだな。……報われない』
述べる彼は心の底から悔しそう虚しそうで、その空気に息を呑んだ。
それだけで、おおよその推測は立った。
彼にとって、そのサラが大切な存在であったこと。
サラはもうこの世にいないこと。
そのサラはおそらく、ダルネスと関係があること。
それを裏付けるような長き沈黙の後。
クルードは、絞り出すように話し始めたのである。
『爵位に就いて、内密に調べさせた結果、ダルネスのもとに辿り着いてな。結果、リュネット殿の件も知る由となった』
そう語るクルードには、武骨な痛みと申し訳なさ、云いようのない無念が漂っており、リュネットはそれ以上を問うことができなかった。
おそらくあれが、彼の精一杯なのだ。
子爵の妻である自分に言えることなど、今は限られているのだろう。
「…………」
──事情は分かった。
彼がもう少し、亡き妹サラについて情報を欲しがっていることも。ダルネスがサラに何をしたのか、そこを突き留めたいことも。
そして、そんな彼の無念を通して、今。
リュネットの脳に蘇ったのは、父と母の死である。
唐突の別れだった。
事故と聞かされたがそれ以上は解らない。
調べる術も奪われた。
その上、ダルネスのあの言葉……!
『──天罰だろうなぁ』
ダルネスの軽薄な嘲笑に力が入る。
悔しさが渦を巻く。
と、同時に蘇る、サルペント家の誇り。
領地を支え、民を守り、商会を発展させるという意思。
その全てをダルネスに踏みにじられ、汚されたあの屈辱。
そして、今、自分が「売られる妻」の烙印を押されているという現実。
「……リュネット様? 「このまま乗って」、よろしいのですか?」
「……ええ」
問うネネに、リュネットは静かに頷いた。
これは好機だ。
家の名前・販路・サルペントの誇り。
父と母の名誉……!
自分が売りに出される前に、取り戻す、最後の好機……!
「先方の事情はわかりました。わたくしも、このまま黙って売られる女ではありません」
「……では……!」
「──ええ。こちらから動きましょう。ネネ。力を貸して下さるかしら。貴方にしか頼めないの」
「……はい、奥様……!」
こうして、売られる奥方・リュネットと。
復讐の伯爵・クルードとの間で、事実上の協定が結ばれたのである。
◇
物事は静かに、水面下で行われるものである。
侍女のネネを橋渡しに、リュネットとクルードが連絡を取り合っているなどつゆ知らず。ダルネスとナルシアは相変わらず、他人を蔑みあざ笑う生活を送っていた。




