表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/68

62:聖女にまつわる語り草




 ──はう……

 漏れこぼれたのは、老婆の、諦めたような息遣いだった。



「やれやれ。こんな若造を何度見たことか。だから嫌じゃよ、聖女選別の時期は」

「……ご婦人?」



 顔を上げ小さく問うクルードに、老婆は皿のナッツをひとつ、つまみ上げると、手指さきで弄びながら言う。



「教会は極秘にしちょるがね、聖女選別ってのは心の選別だ。候補生の心の奥ん底を揺さぶって揺さぶって、素養があるかどうかを確かめる。方法は知らんがの」



 くるりくるり。

 指の先のナッツが回る。

 老婆が軽く力を入れると、小さな音を立てて亀裂が走る。



「生還できるのは試験を乗り越えたものだけじゃ。大概は”混沌の水面”に呑まれ戻ってこん。運よく身体がこちらに戻ってきても、心が壊れて元には戻らん」


 ぱきっと音を立て、割れたナッツを前にして。どくん、と、ひとつ、鼓動が嫌な音を立てた。



 老婆は語った。

 混沌の水面──噂によれば、それは人の心を反映する鏡だという。揺らぎの中で過去の罪や後悔を見せられ、立ち向かえなければそのまま心を引き裂かれる。選別に失敗した者は、そこから還ることはないと。


「だからの、可哀そうなのはアータたち身内の方じゃよ」


 どくん、どくん。

 ──視界が暗く成りゆく中。

 老婆は、諦めと憂いを宿し、彼に述べる。



「言われるがまま連れて行き、今生の別れも、覚悟も出来ぬまま。もう……会うことは叶わんのじゃから」







「────開けろ! リュネットを返せ!!」



 セラフィア大聖堂前。

 無駄だと解りつつも、クルードはその大扉を叩いていた。


 老婆の話を聞いてすぐさま駆け出した。

 彼女の言い分では、選別の結果次第では、リュネットに金輪際会えない可能性がある。聖女選別に通ればそれなりの使命が科せられるだろうし、落ちてしまえば命がないなど──冗談ではない。


 知っていたらこの場に連れてなど来なかったのに。


「──くそ! 開けろ! 開けろと言っている!」


 ──ドンっ!

 クルードは力任せに扉を叩いた。

 しかし、重厚な扉はびくともせず、彼の拳に痛みを残すだけだ。



「彼女を取られてたまるかッ……!」

 ぐっと拳を握りしめ、絞り出すように呻いた時。後ろから聞こえたのは慌ただしい足音。その煩さにクルードが眉を顰めた瞬間、声は、息も絶え絶え飛んできたのである。


「オ~ララ! アータ! すっ飛んでいくんじゃないよ、はぁはぁ……!」



 ──先ほどの老婆だ。

 怪訝を押し込めゆっくりと振り向けば、先ほどの老婆が息苦しそうに肩を揺らしている。


 ──いったい何の用だ。

 彼がそう声に出す前に。

 老婆は大きく息を吸い込むと、歪んだ顔で彼に述べるのだ。



「見かけによらず激情家だねぇ、ひぃ、ひぃ、正面叩いても開きゃしないよ、阿保かいな」

「……ッ冷静でいられるか! 俺はリュネットに何も伝えられていない!」

「……オララ、だから追っかけて来たんじゃろ、ひぃ。ひぃ。……まったく困ったもんだよ、最近の若い衆は話も最後まで聞けないのかい」

「──…………?」



 その言い分に、クルードは眉を顰めた。

 この老婆は、どうやらからかいに来たわけではないらしい。

 もったいぶった言い方がまどろっこしいが、彼女はどうも、こちらを悪いようにするつもりはないようだ。


 彼は、怒りを納めて老婆に向き直ると、疑問の眼差しで問いかける。



「意図が読めん」

「アータ、その婚約者に別れの挨拶もできておらんのじゃろ? 今飛び込めばまだ、壊れる前に取り戻せるやもしれん」

「…………扉の鍵でも持っているのか?」

「ハハ! あったとして、ここの鍵なんか渡してどーにかなるもんか!」



 心底おかしい、と言わんばかりに笑う老婆に、クルードの眉に皺が寄った。

 ──しかし、老婆は構わず続けるのである。

 その重たい瞼をもちあげて、じろりと見上げると、クルードにやけ気味の笑みを向け、



「アータ扉叩いてるでねぇ、今頃向こうじゃ臨戦態勢だろうよ! 聖女の資質があるモンは、ひとりでも多く試したいのが教会らのやることさね!」

「……何がしたい」


 いい加減、苛立ちを露わにすごんだ。

 こんなことをしている時間は無いのだ。

 話を聞いてやっているというのに、この老婆は《まだ》、含みのある言い方をする。


 ……こいつ──時間稼ぎが目的では?

 クルードの紺碧の瞳が疑いに染まった時。

 

 じゃらり。

 老婆の手の内から現れたのは、年季の入った鍵の束。

 それらを目の前に、彼女は不敵に笑う。



「──手を貸してやる・ちゅーとるんじゃ」

「……は?」

「──いいかい、よく聞きな。右手奥に勝手口がある。そこから忍び込んだら左。回廊をぐるりと回りこめ。したら”聖女の泉”に出る。婚約者さんはそこじゃろ」

「……待て、理解不能だ」



 カカカ、と笑う老婆に首を振った。

 急な展開について行けない。

 彼女が自分に手を貸す理由もわからない。

 都合の良すぎる展開に、クルードは戸惑いを露わに口を開くと、



「何故だ。どうしてそこまでする。俺をはめようとしているのか」

「無粋な男だねぇ、ンなこと聞くもんじゃぁないよ、アータ。手を貸したるっつぅんだから、大人しく借りておくもんさ」



 陽気に、しかし、どこか怒りを宿して述べる老婆の雰囲気は、どこか説得力に満ちていて。クルードは躊躇いがちに手を開いた。


 伸ばした右手に預けられる鍵の束。

 それら全ては古ぼけていたが、さび付いては居なかった。


 そこから感じる執念のようなものに、一瞬。

 気圧され沈黙する彼に、老婆は述べる。

 


「……アタイだってね、聖女選別の方法さえ知ってりゃあ、娘を差し出すことなんてなかったんじゃ。……無かったんじゃよ」



 言いながらこちらを見上げる眼差しには──寂しさと、希望と、反骨の色が宿っており、彼はそれで理解した。


 彼女が託してくれた理由と、重さ。

 ──見えぬ『老婆の過去』が、クルードの胸を焼く。


 差し出された鍵の束は、ただの金属ではなかった。彼女の想いと人生だ。



「さあ、奪い返してきな! 漢を見せるんだよ! アータ!!」

「────礼を言う! 必ず連れて帰る!」



 託された鍵束を握りしめて。

 クルードは正面扉を背に、駆け出していた。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ