4:プレニウスの使い
◇
──絡まり響く唾液の音。
劣情を抑えた男女の吐息が部屋に満ちる。
ダルネスの膝の上、ナルシアは猫のように胸元へ顔を摺り寄せ、瞳で求める。
呼応するように抱きしめるダルネスの腕に、
「あ」
甘い声が漏れ、ダルネスのソコを刺激した。
「……熱いの、ダルネスさまぁ」
ねだるように欲しがる彼女の声は、蜜のように甘ったるく。艶めかしい舌先が求めるのは、ダルネスの唇。
「ああ、ナルシア。お前を想っている」
吐息交じりの欲情に、ナルシアの唇は更に彼を求め──ているのを見届けながら、リュネットはひとつ、瞬きをしただけだった。
欲望に呑まれる彼らは、まるで蠢く虫のように滑稽で。リュネットの胸の内、静かに紡がれ溢れ出るのは”軽蔑”だ。
──愚かなものですね。醜い振る舞いを人に晒し、それが恥とも思わないとは。これが、キルスティン子爵たる者の所業ですか。
本当に滑稽です。
ああ、百の侮蔑の言葉も足りない。
千の凍てつく視線さえ、彼らの罪には物足りない。
神に背き、全てを奪い、尊厳さえも笑いながら奪おうとしている彼らに、なにか、して差し上げられることはあるでしょうか?
──さあ、いかが致しましょう。
◇ ◇
それから、少しばかりの時間が流れた。
ダルネスはあれ以降、自分たちの行為を見せつけることすらなかったものの、リュネットに対する侮蔑は相変わらずであった。
一方でナルシアの行動は日を追うごとに過激になった。それまで密室で行っていた嫌がらせは、メイドや執事の前でも堂々と繰り返されるようになったのである。
記すのを躊躇われるほどの嫌がらせを受けながら、しかしリュネットは、いくら攻撃されても決して反撃しなかった。
やがてそれは、人を動かす事態になった。
明確な派閥が生まれたのである。
勝ち馬に乗ろうとナルシアに着く者。
やられるリュネットに哀れみを抱き、手を差し伸べる者。
彼らはナルシア派に報復を受けたが、リュネットはそれを謝りながら手厚く看護をつけた。
リュネットは徹底して、慈悲と笑顔、そして耐え忍ぶ方をる。それらが功を奏したのか、リュネット派の使用人たちは、皆口を合わせてこう呟くようになっていった。
『哀れみの奥方』『力になりたい』と。
子爵の正妻で有りながら、ひどく不名誉な二つ名を背負うリュネット。
彼女は彼らの声を運ぶように、今日も礼拝堂に通うのである。
◇
──”我らが敬愛する神祖カルデウスよ。
主の定め給うた〈魂の半身〉と、共に歩むべき道を見失いました。どうか聖なる御手により、貴方の御許へ還れるよう、光をお示しください……お示しください。”
ダルネス領・セリアン地区。
ここに佇むセリアン礼拝堂は、古くから民々の祈りの場として親しまれてきた。
高くそびえるアーチ形の天井は声を吸い上げ、天へと届けてくれる。
懺悔室の「響きの壁」は、祈りと懺悔の声を反響させ、その声を高く、高く響かせる。
伝統的なステンドグラスから差し込む虹色の光に、人々は、大いなる主・カルデウスを思いさらに祈りを捧げるのだ。
リュネットの声もそれに漏れることはなく。
透き通った彼女の声は、懺悔の壁を通し、場に響き渡った。
それらは人の心をとらえ離さぬようで、リュネットが懺悔を終えた後はいつも、参拝客の視線を一身に集めていた。
そんな視線をもろともせず、毎日通い詰めた、とある日。
変化は突然訪れたのである。
礼拝堂を出たリュネットと侍女のネネを、待ち構えていたかのように佇む、見慣れぬ男性と目が合い、リュネットは思わず足を止めた。
(……あれは、プレニウスの紋章?)
どこからどうみても〈付き人〉の青年の襟元。
かすかに光を受けて揺れる金の装飾。
それは、この地がダルネスの統治下に入る前、領主として君臨していたプレニウス家の紋章だ。
(……前領主様の使いの者が、何の用かしら)
そう身構えるリュネットと、一歩前に出るネネに。
青年はゆっくりと一歩踏み出すと、礼儀正しく述べたのである。
「……リュネット・サルペント様ですね? 私、クルード・フォン・プレニウス伯爵に仕えております、ショーンと申します。クルード様が貴女にお会いしたいと申し出ております」




