30:幸せの裏 2
「……クルード様。貴方がそうおっしゃってくださるのは嬉しいのです。けれど、世間はわたくしを『伯爵の恥』だと捉えるでしょう。そうすれば、プレニウスの名、──っ……!?」
言葉を紡ごうとした彼女の唇が、次の瞬間、鋭く奪われた。
不意を突かれ息を呑む。
大きな手が肩を掴み、引き寄せる力は容赦がなかった。視界いっぱいに広がる金の髪と紺碧の瞳。その瞳は「一切逃さない」と言わんばかりの光を宿していて、音も出ない。
温かな唇に胸が大きく跳ねる。
ただのキスではなかった。
これは彼の「反論」だ。
言葉ではなく行動で、彼女の口を黙らせるような、揺るぎない意思の表明だった。
「んっ……!?」
息苦しさに思わず彼を押し返そうと手を伸ばすが、逆に彼の胸元で力を失う。鍛えられた胸板の硬さが手のひら越しに伝わると同時に、彼の手は後ろ頭を支えた。まるで逃がさないと言わんばかりのそれに、リュネットの心臓がドクンドクンと高鳴る。
キスは激しいはずなのに、その内に宿る熱と優しさが彼女の頑なな心を溶かしていく。怒りと同時に、彼の誠実さが流れ込んできて、胸が痛い。
そんな余韻に瞼を閉じて。
鼓動の早鐘を耳元に感じるリュネットの唇からそっと、彼が離れていく。
リュネットは迷った。
顔を上げていいのかわからない。自分がどんな顔をしているかもわからない。けれど、動揺する頭に逆らうように、瞳は素直に彼を求めて上がっていく。
恐る恐る、見上げた先に飛び込んできたのは──真っ赤に染まりながらも、困ったような彼の顔だった。
「……これでもまだ、俺の言葉を疑うのか?」
「いいえ」と答えたかったが声にならない。
両手でそっと口元を覆い、細かく首を振る。
唇の触れた場所が熱い。
全身の血液が沸騰したかのような感覚に意識を保つリュネットに、クルードはゆっくりと口を開くと、
「俺の名も、家名も、おまえのためにある。世間がどう思おうと、それを押し返すのは俺の仕事だ。おまえは、ただ、俺の隣にいればいい」
その言葉の力強さに、胸がいっぱいになる。
彼の視線が、迷いも、偽りもなく自分だけを見つめているのが分かる。
「……クルード様……」
「……その、なんだ、……すまなかった」
「クルード様?」
そんな熱に応えたくて、掠れ出た声に返ってきたのは、居心地の悪そうな声だった。きょとんと視線を送る中、彼は眉間に皺を作り、顔を背け、右手で口を覆うように握ると、唸りながら首を振る。
「禊も終えていないのに、堪えられなかった。俺はつくづく言葉を知らん……!」
「……ふ、ふふふ……!」
唇を引き結ぶ彼の様子があまりにも「まじめ」で、リュネットは思わず肩を揺らした。
「…………なにがおかしい」
ぶすっと返すクルード。
それがさらに笑いを誘って仕方ない。
ふふふ、と揺れてしまう肩を落ち着けるように、ふうっと息を吸い込んで。目じりに涙すら浮かべながら、リュネットは彼に微笑んだ。
「伯爵という身分の方が、そんなことを言うなんて思いませんでしたわ」
「おまえの前では、ただの騎士……いや、男だ。俺は」
──その、心底恥かしそうな、不器用な一言に、朗らかな花が咲く。
鉛色の不安は、こそばゆい幸福に滲み、霞んでいった。
■
昼下がりの光が、広間のステンドグラスを彩る中、リュネットは一歩一歩、プレニウスの大広間を進んでいた。
クルードの腕を借りながら、目の前に並ぶ顔ぶれに礼儀正しく微笑む。執事や使用人、文官や武官、彼が信頼する重臣たち。すべての視線が、彼女を歓迎する喜びで輝いていた。
クルードが彼女を前に押し出し、一言短く紹介する。
「リュネット・サルペント殿だ。今後、我が側近くに控える者として、皆に紹介しておく」




