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24/68

24:売られた女は鮮やかにやり返す



「同胞たちよ! もう一度問います! この方々を領主夫妻として、税を納め敬えますか?」



「許せるわけがない……!」



 その声は瞬く間に波紋のように広がり、罵声の嵐を引き起こすのだ。




「神を裏切った背信者が!」

「領を滅ぼす愚者どもめ!」

「恥を知れ!」



 憤怒の声が波紋のように広がる中、広場はまるで嵐の前の海のごとく荒れ狂い始めた。その怒りは、裏切り者への失望と神への忠誠心が交錯し、一人一人の心を燃やしていく。



 しかしそんな中で、青ざめたダルネスが、今もまだみじめに体裁を取り繕おうとしている。



「待ちたまえ! わ、私は領主だ!」

「ああ、今まではな。国王陛下から直々に、お前の処分については一任されている。……さあ。どうしてくれようか」

「ま、まってくださいいいいい!」



 ──それは、事実上の処刑宣告。

 愕然と膝をつくダルネスの脇から、そっと逃げ出そうとするナルシアを、クルードは逃がさなかった。



「嫌だ! 嫌だぁ!」

「まってよ! あたしはかんけいない! かんけいないもん!」



「貴様もだ。ナルシア・ド・ローズ。神に背いた罰、その身をもって知るがいい」



 身を切り裂くようなクルードの声。

 真っ白になって崩れ落ちる子爵。

 最後まで抵抗するナルシア。


 ──怒号と歓声が渦巻く広場で、リュネットは思った。



 ……ああ、これで終わった。

 これで、終わったのだと。










 混乱の中で飛び交った怒号も、彼らを断罪する言葉も、今では静寂の中に消え去っていた。


 リュネットは広場の中央でひとり、薄暗く曇った空を見上げた。



「……終わった、やっと……」



 

 緊張の糸がぷつりと切れたように零していた。

 気づけば頬を伝う涙の感触。

 手に触れた水滴に目を見張り、リュネットは痛烈に眉を寄せて膝をついた。



 ああ、肩は小さく震えている。

 視界がゆがむ。

 瞼のふちが熱い。

 


 誇り高く気丈であろうとしてきたが、今だけは何もかも忘れ、心が解き放たれた気分だった。



 終わったのだ。

 ダルネスのもとで虐げられる日常も、ナルシアの振る舞いに惨めを噛みしめる日々も。



 ダルネスは今後、不貞と反逆の罪に問われ、裁きを受けるだろう。「競売に出された妻」であることは逃れられなかったが、混乱に乗じて買い手もつかなかった自分は、この後──どうしたら良いのだろう?




 リュネットはそこで初めて気が付いた。

 報復に心を燃やし、クルードと手を組み成し遂げたが、自分には何も残ってはいないことに。



 サルペントを立て直すにしても、途方のない時間と金と労力が要る。婚姻と共に吸われたリュネットの私財は、「ダルネスのもの」として国に取り上げられてしまうだろう。



 今の自分には、なにも──……

 ああ、また視界がゆがむ。

 鼻の奥が痛い。

 もう、何に涙が出るのかわからない──

 


「……リュネット?」



 ぐっと奥歯を噛みしめた時。

 後ろから響いた声に息を呑み顔を上げた。

 クルードの声に心臓が跳ね上がる。

 瞬時、涙をぬぐい、気を律した。

 ──泣き顔など見られたくはない。

 


「──はい」

 張った声で答えた。

 音は少し震えていた。



 足音が近づいてくる。

 広場に残る冷たい風に目を細め、気づかれまいと努めて表情を整えるものの、肩の震えまでは止められない。



 ああ、見られてしまうのだろうか。

 こんな無防備な自分を。


 そう思うと胸が苦しい。


 しかし、そんなリュネットを揺さぶるように、彼の優しい声は、低く、ゆっくりと心を撫でた。




「……泣いているのか?」

「いいえ」



 短く、けれどぎこちなく答えた。

 するとクルードは、彼女の視界にゆっくりと現れると、一拍。すぐに視線を反らして、




「……そうか。雨でも降ったか」

 淡々とした声。

 ぎこちなく空を見上げる彼。

「体が冷える。」



 ──ふふ……

 なんて不器用な気遣いなのかしら。


 雨など降っていないのに。

 風も吹いていないのに。

 そんな気遣いが嬉しい。


 彼の存在が心強い。

 武骨な優しさに心が震える。



 ああ、彼が伯爵でなければ、わたくしが「烙印付き(売られた妻)」でなければ、この方の隣にいる未来もあったのかしら。



 ──そう、苦く甘く広がる痛みに、彼女が自嘲気味の笑みを浮かべた時。



 そっと肩を抱かれてよろめいた。

 遠慮がちな大きな手。

 暖かく優しい温もりに、リュネットは一瞬目を閉じた。


 心の奥から湧き上がる涙を飲み込む。

 それを受け入れるかのように、彼は言うのである。



「おまえは、一人で全てを背負いすぎだ。だが、それができるおまえだからこそ、俺はこの手を放すつもりはない」


「……クルード様? それは……」




 ──それは、願っていた奇跡。

 起こりえないと思い込んでいた夢。




 揺れる声に応えるように、クルードの眼差しが返ってくる。

 紺碧の瞳に宿るは、確固たる意志と、あたたかな色。



「禊を終えたら、婚約しよう。俺のそばで生きてほしい」



 言われて、時が止まった。

 

 瞳に映るクルードの表情は、今まで見たどの顔とも違う。

 冷静で毅然とした伯爵ではなく、自分だけを見つめる、一人の男の顔。



 こんなにも嬉しいことがあるかしら。

 

 リュネットは唇にかすかな笑みを浮かべた。

 涙に濡れた顔のまま、首を軽く傾け、冗談めかした口調で──言う。



「……ふふ、わたくし、売られた妻ですのよ?」

「構うものか。俺の心は、おまえのものだ」










 「禊を終えたら、婚約しよう」


 

 その言葉が、彼女を更なる運命の渦へと導いたことを、ふたりはまだ知らなかった。


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