20:……今は駄目です
◇
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月夜の逢瀬。
別れた後。
広い自室で彼が思い出すのは、彼女の叫び。
『お判りになられているのですか? わたくしはまだ、子爵の妻です!』『どうして、絆されるようなことをおっしゃるのですか!』
感情的なリュネットを瞼の裏に、クルードは静かに目を閉じた。
『わからない』と答えたが、それは半分だ。
彼女に伝えていない思いがある。
目を閉じれば蘇る。
彼女と初めて顔を合わせたあの日。
忘れるものか。
時が止まったような感覚。
頭の中で響いた音。
きっとあれが、ひとめぼれというのだろう。
そんなものを信じてはいないが、体感したのだ。
信じざるを得なかった。
纏う髪は銀の糸。
神秘を湛えたかのような深紫の瞳。
英知を宿した表情に、──”美しい”。
そう認識した瞬間、どくんどくんと鼓動が囃し立て、動揺に飲み込まれ、我を失った。
ショーンが声をかけるまで、意識が飛んだ。
その動揺を隠しながらリュネットと対峙したのが、遠い昔のように思えて仕方ない。
いくら一目で惚れたとはいえ、自分は伯爵。
相手はあの子爵の妻だ。
婚姻関係になることは許されないし、恋仲にもなれない。
つながりを持てるとしたら利害関係だが、利用するにしても協定を結ぶにしても、馬鹿な女なら引き込めないし、恋心も冷めるだろう。
だから、試した。
誰にでも愛想よくヘラヘラと笑う女は嫌いだ。
偽善を振りまく女も好かない。
ましてや、自分の愛嬌を振りまく女など虫唾が走る。
そんな女ならば、例え敵が同じだとしても、共闘など申し込めるわけがない。
むしろ、馬鹿な女であって欲しかった。
ひとめぼれの相手が子爵の妻だなんて、負け戦どころか、戦う前から負けているのだから。
──しかし。
『あら。お見通しですのね』
鎌をかけた先で、彼女は笑った。
まるで悪戯がバレたような声だった。
彼女はクルードの想像の上を行った。
すべてを利用していた。
聡い女は好きだ。
強い女も好きだ。
あれほど美しい女は見たことがない。
カルデウスの教えに背くことは解っている。
彼女が「売られた妻」という烙印を押され、傷物として忌み嫌われる女になってしまうことも。
しかし、それでも、クルードは彼女を焦がれるほどに求めていた。
「……今は駄目です。」
別れ際の彼女の言葉が、胸の奥でまだ燃え続けている。
ふと目を開けると、部屋の片隅で揺らめく蝋燭の炎が目に入った。
リュネットが欲しい。
彼女が欲しくてたまらない。
◇◇
──そして、その日は訪れる。
◇◇
「さあ! この私、ダルネスの女を買うものは居ないか!」
柔らかく降り注ぐ陽の元、ダルネス・キルスティン子爵の意気揚々とした声は、広場に響いた。連れられた妻・リュネットの表情は冷静を落としたように動かない。
白銀の髪・神秘を宿したような、深き紫の瞳に宿る、覚悟の色。
「さあ! この私、ダルネスの女を買うものは居ないか!」
柔らかく降り注ぐ陽の元、ダルネス・キルスティン子爵の意気揚々とした声は、広場に響いた。連れられた妻・リュネットの表情は冷静を落としたように動かない。
白銀の髪・神秘を宿したような、深き紫の瞳に宿る、覚悟の色。




