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2:厚顔無恥は愚かです


 ……はっ!

 

 思考の闇の中。響いた声に顔を上げた。

 余裕のない視界で確かめたのは、侍女のネネ。

 その、心配を宿した顔に、リュネットは、すぅ……とひとつ息を吸い、整えた。




 どうやら相当な顔をしていたらしい。

 それを映したように、ネネの表情は曇っている。

 


「…………」


 

 ──そんな様子に、リュネットはふっと目線を落とし考えて、一拍。


 その顔に沈痛を滲ませ、悲し気に首を振ると、



「ええ、大丈夫よ、心配かけてごめんなさいね」



 微笑みを浮かべ、しかし眉は下げて。

 気丈に振る舞うリュネットの目の前で、ネネの顔はみるみる『哀れな人に同情する人間』の装いになっていくのだ。


 ネネは『堪らない』というかのように首を振り口を開くと、



「……顔色が優れません、お休みになられてください、奥様……」

「良いのよ、ネネ。気を使うことはないわ」

「しかし!」



 悲痛な声が飛んだ。

 『哀れです、悔しいです』と語るネネの視線。



 そんな彼女にリュネットは、確信した。



 ネネはこの屋敷で着けられた侍女だ。

 長い付き合いではないが、虐げられている自分に十分、心を痛めているのだろう。ネネは間髪入れずに口を開けると、



「奥様はいつもお優しいですもの……! こんな仕打ち、本来ならば」

「仕方ないのよ、ネネ。これがわたくしの運命ならば、………………」


 

 必死になるネネに、リュネットは、静かに苦し気に首を振った。



 身に起きた不遇をすべて背負うかのように。

 その仕草、物言い、振る舞いすべて(ルビ)で、『哀れな奥様……可哀想』と。


 ──「そう映るように」。








 そんなリュネットのもとに、ダルネス子爵が戻ったのは二週間ほど経った夜のこと。驚く従者たちをもろともせず、彼は意気揚々と目の前に現れた。


 隣に、可愛らしい女性を連れて。









 厚顔無恥という言葉がある。

 面の皮が厚い・厚かましい人や行いに、軽蔑を込めて放つ言葉だ。


 愛も情熱も元よりないが、それでも自宅に、愛人を堂々と連れ込んだダルネスに、リュネットはあきれ果てた。



 男性という生き物を良く知らないが、神・カルデウスの教えに背くのも、自分の倍ほど生きているはずの人間の、浅ましい行動に呆れも尽きた。



 しかしそんなリュネットの心情をあざ笑うかのように、ダルネスは腕に絡みつく女性に目くばせして告げるのである。



「リュネット。聞け。彼女が次期正妻・ナルシアだ」

「…………」


「まあ! お話に聞いた通りの不愛想な奥様ですのね?」



 途端、弾んだ声でナルシアが喋った。

 大きく丸めた瞳はシュガーピンク。

 くるんと巻かれた髪は金の糸。


 心底驚いたと言わんばかりに右手で開いた口を隠すナルシアに、ダルネスがふふんと鼻を鳴らすと、



「だろう? 屋敷の人間には笑顔を絶やさぬ奥様などと言われているがね、不気味で仕方ないのだよ」

「ああん、可哀想なダルネス様……、ナルシアが妻となりました暁には、そんな思いさせませんから♡」


「可愛いナルシア。それに比べてお前はなんだ、本当に気味が悪い」


「…………」



 ──「これが愛され女か」。

 目の前で繰り広げられる極寒劇に、リュネットは心の中で呟いた。



 ナルシアは可愛らしかった。

 華奢な体つき・大きな瞳・ふっくらとした唇は柔らかそうで、躰と笑顔で男を骨抜きにしてしまう容姿をしている。



 年のころなら15、16と言ったところだろうか。女性らしさの中にも幼さの混じる女だ。



 正直、子爵の妻にふさわしい風格も気品も感じられないが、こういう女が求められるのは理解にたやすい。……ただ。


 この「離縁も不貞も神への冒涜」と定められたこの国で、正妻である女の前で鼻を伸ばし腰を抱いて居られるダルネスの神経に、リュネットは。


 ただただ、「情けない」の思いしか出なかった。




 ああ、情けない。

 こんな男を夫とし、今まで尽くしてきたなんて。


 ああ、情けない。

 愛が無いのは承知のうえだが、話し方・笑い方・全てに素養のない女に入れ込むなんて。



 心がぴしりと音を立てる。

 呆れの海に、軽蔑の氷が広がっていく。

 この男に恩義も義理もありもしない。

 あるのは欺瞞と自己愛だけだ。


 そう悟るリュネットの前。

 ダルネスはベルベットのソファーに腰かけ、ナルシアを引き寄せるように抱きかかえると、艶めかしい腰を抱き、




「なあ、ナルシア?」

「なあに? ダルネスさま?」


「君もこの屋敷で暮らすと良い。あの女のことは気にするな、居ても居なくても同じだ。今すぐにでも一緒に暮らしたい」

「まあ、素敵。なら、ナルシアお願いがあるのです。聞いていただけますか?」



 可愛らしく首を傾げるナルシアに瞳で「もちろん」と答えるダルネス。途端、その口元が優越をまとい、はしゃいだ声が響いた。



「ナルのお世話役、あのリュネット……いいえ、オバサンにしていただきたいの♡ 若くて可愛いナルシアのお世話ができるのだから、リュネット(おばさん)も幸せだと思うのです♡」

「…………え……?」



 リュネットは思わず呟いた。

 何を言っているのか理解に苦しい。

 何を言っているのかわからない。

 時が止まった感覚に捕らわれそうになったが、しかしリュネットは理解した。



 ああ、この女は虐げたいのだ。

 あざ笑いたいのだ。

 『夫に愛されない女』を、どこまでも貶め自分を満たしたいのだ。 



 そんな思惑を察して、リュネットは静かに二人を見る。

 

 きっと彼らには、負け犬が静かにたたずんでいるように見えるだろう。それを証明するかのように、ダルネスはいやらしくナルシアの躰を味わうように撫でると、



「しかしナルシア? あいつはもう売りに出す妻であるぞ?」

「それまで半年はあるでしょう? その間、せめてものご奉仕してもらわなきゃ! そう思いませんこと?」


「おお、それはいい!」

「…………」



 茶番だ。

 侮蔑しているつもりかもしれないが、楽しそうにはしゃぐ二人に、リュネットはただ静かに「承知しました」と一言告げた。


 恭しく頭を下げたその口元に、微かな笑みを浮かべて。





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