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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第6章 Riss─綻ぶ─

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56話 太陽よりも……



 ヨハネはデトックスウォーターを一口飲んで、両膝を抱えた。対面で座るキィナもデトックスウォーターを飲んで膝を抱え、ヨハネが話しやすくなるように静かに耳を傾ける。


「僕もキィナさんと似てて、勘違いからケンカして別れちゃったんです。しかも、一方的に僕が責めて、じゃあ別れよう……って」

「そうだったんですね……。彼氏さんは、どんな方だったんですか?」

「第一印象は、遊んでそうな印象を受けました。だけど、本当は優しくて、毎日ちゃんと気持ちを伝えてくれて。ちょっと強引なところは、僕に楽しさとか同じ感情を共有してほしかったからだったり。誰かのために考えたり行動ができる、思い遣りのある人でした。そのギャップに、やられたところもありましたね」

「確かに。第一印象とは違う顔を見せられると、惹かれますよね」

「最後のケンカをした時も、僕の方が悪いのに怒鳴らなくて。すんなり別れを受け入れたんです。なんだ。やっぱりその程度の気持ちだったんだ……って、幻滅しました。でも、時間が経って冷静になってくると、自分の方が悪かったことに気付いて。ちゃんと、謝らなきゃと思ったんですけど……」


 その後の出来事が脳裏に走り、ヨハネは哀惜を甦らせ、俯き鬱屈の表情を浮かべる。


「ヨハネさん?」

「永遠に謝れなくなって、未だにちゃんと謝れてないんです。別れが本当の別れになったのが認められなくて、自暴自棄になったり、現実と妄想の境目もわからなくなった時期もありました」

「結構、酷い状態になったんですね……」

「でも全部、自業自得なんです。極限にまで追い込まれたことも……。あの時、一線を越えていたら、そこで全部整理できたんだろうけど。僕は、まだここにいる」

「一線を……」


 ヨハネの面持ちから、キィナは「一線」の意味が何となく理解できた。自責し続け、自らを追い詰めたほどの罪悪感を想像し、憂えた眼差しを向ける。


「極限状態から、どうやって回復したんですか?」

「ある人との、出会いがあったんです。僕は、その人のおかげで救われたんです」


 一線を越えようとした直前に出会った、ユダ。今でもあの瞬間を思い出すと、先が途切れた人生に突然別の道が現れた奇跡のように感じる。

 鬱屈するヨハネは、想起するだけでもユダに救われ続けている。


「それが、アンデレさん?」

「まさか。僕を救ったのは、あいつじゃありません。アンデレと知り合ったのは、ほんの三〜四ヵ月前ですし」


 ヨハネは顔を上げ、苦笑いした。一応、一度は救われたと言ってもいいが、ヨハネの人生を変えるほどの出会いではない。ある意味、人生は変わってきているのかもしれないが。


「仲間になって、まだ日が浅いんですね。それじゃあ、トラウマを話せないのもわかる気がします」

「キィナさんが僕の立場だったら、話してないですか?」

「だって、まだたったの三ヶ月ですよ? 仲間としては認められても、深い傷となった過去を話すほど仲が深まっていない相手には、簡単に話しませんね。ヨハネさんもそう思っているから、話さないんじゃないんですか?」

「え?」


 行動には、必ず理由がある。〈バンデ〉となった相手にトラウマを明かす理由は、絆を深めるという将来の戦いへ向けての理由が存在する。それが、相互的な有益を生む〈バンデ〉の行動原理だ。

 けれどヨハネには、アンデレにトラウマを明かす理由というものが存在していなかった。相互的に有益なはずの行動原理に、知らないうちにぽっかり穴が開いていることに、キィナに尋ねられたことで気付いた。

 だが。なぜアンデレにまだ話していないのか、自分でもわからなかった。

 そんな、唐突に迷子となったヨハネを導くように、キィナは目論見を潜めた手を差し伸べ始める。


「この前、ヨハネさん言っていたじゃないですか。あいつは、真面目な相談をするようなタイプじゃない。言ったことを間違えて解釈するし、ちゃんと話を聞いてるのかわからない、って。アンデレさんが真面目に聞かないとわかっているから、話さないんですよね」

「確かに、そんなことを言いましたけど……」

「実はボク、アンデレさんが働いているカフェで会ったことがあって、その時少しヨハネさんのお話したんですが。最初は、明るくて素直そうな人だなという印象でした。ですが。あの人は、思い違いをしているなって思ったんです」

「思い違い?」

「自分の都合のいいように物事を解釈しているな、と。ヨハネさんに毎日迷惑を掛けていることを自覚しながら、反省しているように見せかけていますが、ヨハネさんは本当は迷惑に思っていないと、彼は勘違いしているんです」


 キィナは真面目に、ヨハネのためを思ってアンデレに抱いた印象を話した。

 ヨハネは、キィナにアンデレの特徴など言っていないし、写真も見せていない。それなのに、彼の勤務先を知り顔も認識していることに、なぜか微塵も疑問に思わなかった。普通なら気付く違和感に何も引っ掛からずに、ヨハネは心を許す彼の話に傾聴する。


「それに。これまでの人生で、全く苦労なんてしていなそうな感じじゃないですか。好きなことをして、何不自由なく、それなりに幸せに過ごして生きてきたような」

「確かにアンデレは、トラウマはないって言ってました」

「それなら、相談する相手にはなりませんね。まともに聞いてくれないかもしれません」


 アンデレには期待は持てないと、キィナは眉尻を下げて首を横に振る。


「そう、ですかね」

「そうですよ」


 キィナと何度か話してきて、人を謗るような性格ではないと思っていたが、彼も人並みにそういうことを言う人なんだ……。自分の〈バンデ〉を軽蔑されても、ヨハネはその程度にしか感じなかった。

 お尻を上げたキィナは座る位置をヨハネに少し近付け、アンデレを軽蔑する言葉をさらに並べる。


「ヨハネさんは、似た境遇のボクの気持ちをわかりますよね。ボクも、ヨハネさんの後悔や苦しみが理解できます。でも。トラウマもなくて、心が潰れそうなほど辛いことなんか一切経験していない人に、ヨハネさんの何がわかると思います? きっと、その苦しみの1ミリも理解されませんよ。何より。悪夢で辛いのをわかっていながら、毎日迷惑を掛けていることを反省もしていない人に、物事を曲解する人に、何がわかるって言うんですか」


 重ねてアンデレを非難されても、ヨハネは一切擁護しようと思わなかった。寧ろその思考は、キィナに引き寄せられていく。その背中に這う黒い影の作用も相俟って、溜まっていたストレスが怒りと憎しみへと変換されていく。


「そう……。そうだ。アンデレはトラウマなんかない、普通の幸せな人生を生きて来た。屈託ない笑顔で、いつもバカなことを言ってふざけて、空気読まなくて。こっちは、いっつも迷惑掛けられてストレス溜められてうんざりしてるのに。笑って誤魔化せばどうにかなるとでも思ってるやつに、大切なものを喪ったことのないやつに話しても、適当な言葉を返されるだけだ」


 暖められた空気に熱されるように、不満を吐き出したヨハネは気色ばむ。キィナはこっそりと口元に笑みを浮かべ、表面化した悪意を手繰り寄せる。


「そうですよ。彼に、ヨハネさんの気持ちなんか理解できません。ヨハネさんの苦しみに、共感できるはずがないです。楽しくて幸せで、順風満帆な人生を送ってきたんですよ? そんな人に、簡単にわかられてたまるかと思いませんか」

「あいつには、絶対に理解できない。理解できるはずがないし、話しても意味はない。話しても、どうせ上辺だけの共感しかできない。そんなやつと感情の共有なんて、絶対に無理だ」

「そうです。無意味なんですよ。それなのに……トラウマもないのに仲間だなんて、ボクは疑問だと思うんですが」

「そうなんです。最初から、不思議ではあったんですよ。トラウマもないやつが、なんで仲間なったのか。そんなやつが僕の相棒なんて、最悪だった。性格も合わないし、嫌だったんです。でも仕方なく……」


 ヨハネはウエアの上から、右腕に刻まれたアンデレの名前を掴んだ。

 名前は、現れてからずっと薄いまま。変化がないということは、未だに発展の見込みがない証拠だ。最初から、刻まれた意味なんてなかったんじゃないか。ヨハネはそんなことさえ思う。


「アンデレさんが相棒になったことが悪影響を及ぼしているなら、今すぐ関係を解消した方がいいですよ」

「解消できるなら、今すぐ解消したいんですが……」


〈バンデ〉は基本、どちらかが使徒の資格を失くさなければ解消とはならない。しかし。キィナの言葉があれば、今のヨハネの希望が叶う可能性もあり得る。

 キィナは立ち上がり、ヨハネの傍らに腰を下ろした。そして左肩に触れ、いつもの柔らかな微笑みで畳み掛ける。


「ご自分の気持ちに正直になることは、正しいことです。そうすることでヨハネさんのストレスが軽減されるなら、そうした方がいいですよ。絶対」

「でも。そしたら僕は……」


 トラウマの痛みや苦しみを〈バンデ〉と共有することで、それらが軽減され、トラウマ克服への足掛かりとなる。しかし。〈バンデ〉がいなくなってしまえば、現在のペトロのように再び一人で抱えていくしかなくなる。


「安心してください」


 するとキィナは、添えていた手を右肩に回してヨハネを抱擁した。


「この前、言いましたよね。ボクだけは、味方でいさせてくださいって。ヨハネさんと似た境遇のボクなら、気持ちの共感ができます。ボクだけが、理解できます」

「キィナさん……」

「ヨハネさんの味方は、ボクだけです」


 そう言って、キィナはふわりと微笑んだ。太陽のような眩しさはなくても、安らぎの温かさでヨハネを包み込む。

 眩しい太陽は、本当はいらなかった。罪悪感を癒し、心の平穏を与えてくれる人が、ヨハネが求めていた存在だった。




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