44話 密やかな浸透
触手の追手から逃げるヨハネは、重力を無視して旧集合住宅の壁を駆ける。触手は、ヨハネの走ったあとの壁やテラスに突き刺さり、音階のように穴を空けていく。
「降り注げ! 祝福の光雨!」
屋上に上ったヨハネは、触手への攻撃から悪魔本体への攻撃に切り替えた。悪魔は、光の弾丸に触手を断ち切られながら避けるが、防げず胴体にも穴が空く。しかし、深層潜入中のヤコブの効果が効き始めていて、全ての穴は塞がらない。
「ミハη§レタ……」
諦めの悪い悪魔は、新しい触手をズルンッと生やし、中央分離帯の街頭に絡ませ自分を移動させる。ヨハネは旧集合住宅の屋上から飛び降りながら、攻撃を放つ。
「貫け! 天の罰雷!」
「ダ£φ……$ンジηΨ!」雨雲もない上空から雷が落とされたのと同時に、悪魔は触手で車を持ち上げ、雷を食らいながらヨハネに向かって投げた。
「!?」まだ地上に降りきらない空中にいるヨハネは、予期せぬ攻撃のタイミングに態勢が取れず、車に落ちた雷はガソリンタンクを貫いていて、ヨハネの目の前で爆発した。
「ヨハネ!」
「ヨハネくん!?」
悪魔はわざとヨハネの攻撃を食らい、ガソリンタンクに穴を開け、雷で爆発するように仕掛けたのだ。
車から炎と黒煙が上がり、ヨハネの安否がわからなくなる。しかし彼は、爆発を一瞬で予期してギリギリで防壁を張り、爆発には巻き込まれなかった。だが、目の前で起きた爆風で吹き飛ばされ、コンクリートに身体を打ち付け転がる。
「ぐっ……!」
防壁のクッションがあるとは言え、爆風の衝撃は身体全体に響いた。
「噴出せ! 赫灼の浄泉!」
「グ@∀ア……ッ!」負傷したヨハネを援護するために、後方のペトロが光の泉を悪魔の足元から噴出させた。触手は垂れ下がり、悪魔の動きが止まる。
「大丈夫か、ヨハネ!?」
「なんとか……な!」
ふらついて立ち上がったヨハネは、屁でもない怪我を気合いで打ち消し、悪魔に突っ込んで行き懐に飛び込んだ。
「爆ぜろ! 御使いの抱擁!」
「ア"∀£ァσυ……ッ!」ヨハネは返り討ちに成功し、トドメを食らわした。
「ペトロ、ヨハネ!」
そのタイミングで、ヤコブが深層潜入から戻って来た。二人は、ハーツヴンデ〈誓志〉と〈苛念〉を具現化する。
「はあっ!」
「濁りし魂に、安寧を!」
ヨハネが槍で老父と繋がっている鎖を断ち切り、ペトロが剣で悪魔を切り裂いた。
「ギャ¿ア@∅ァ……!」
悪魔は黒い霧と化し、消え去った。危険が去り、守護領域が開放されていくと、日常の喧騒が戻って来た。爆発して車体がバラバラになった車も、何事もなかったような元の状態となり、持ち主の男性もホッとした。
ペトロは負傷したヨハネに肩を貸し、歩道に一度座らせ身体の異常を確認する。
「ヨハネ、大丈夫か? 火傷は?」
「ギリギリで防御したから、火傷はしてない。受け身は取ったけど、身体中打った」
ヨハネは肩や腕を触り、少し痛そうに顔を歪める。激しく打ち身をしたので、恐らく痣が幾つかできているはずだ。
「アンデレくんが、治癒できるんだよね。呼んだ方がいいんじゃないの?」
「いや。たぶん打ち身くらいだから、そこまでじゃない。ペトロ。悪いけど、ちょっとだけ治癒してくれないか」
「わかった」
「ハーロルトは、憑依された人の介抱を頼めるか」
ヨハネは、ハーロルトにも重要な指示を出した。
「えっ。うん……。どうしたらいいのかな」
「もうすぐ気が付くだろうから、気分が悪いとか、身体に不調がないか訊いてくれ。見たところ付き添いはいないから、一人で帰れそうなら、無理しないようにどこかで休んでから帰るように言ってほしい」
「わかった」
ハーロルトは、老父のところへ駆けて行く。老父は既に自我を取り戻し、ぼんやりと歩道に座り込んでいた。
ヤコブはその姿を横目で見遣り、言う。
「あいつ。戦闘で邪魔になったり、迷惑掛けなかったか?」
「大丈夫だったよ。オレの側を離れて、勝手なことなんてしなかったし。むしろ、オレが一瞬他のこと考えちゃったから、逆にちょっとだけ危なかったけど」
「もしかして、あいつを一般人だと気付かれて、狙われたか? 結局、足手まといになってんじゃん。やっぱ、連れて来るの早かったんじゃね」
ペトロに治癒をしてもらいながら、ヨハネは自分を見下ろしながら意見するヤコブに反論する。
「て言っても。ハーロルトは、戦うことに前向きになってくれてるんだし。慣れさせるためにも、まずは雰囲気を知ってもらった方がいい」
「それはわかってるよ。けどよ、初っ端から領域内に入れることなかったんじゃね? 外で見学させときゃよかっただろ」
「それは、まぁ。そうかもしれないけど」
「戦闘未経験者が一人いるだけで、ペトロがそいつのために行動を制限された。それで、お前が実質一人で戦うことになって、怪我をする羽目になった」
「怪我って言っても、大したことじゃ……」
ヨハネの治癒がひとまず終わったペトロは、雰囲気が若干悪くなる二人と少し距離を取り、ひとまず静観することにした。
治癒を終えたヨハネは立ち上がり、腕を組み言及するヤコブとさらに異見を交える。
「守護領域内での体験は、時期尚早だった。所詮はまだ一般人なんだから、最初のうちは見学でいいんだよ」
「でも。またいつ、死徒が現れるかわからない。備えるためにも、ハーロルトには早めに決意を固めてもらった方がいいだろ」
「お前の言うこともわかる。けどそれは、ただ焦ってるだけじゃないのか?」
路上で言い合い始めた二人を静観しながらペトロが困っていると、ハーロルトが戻って来た。
「あの人は、大丈夫そうだったよ。ちょっとアルコール臭かったけど、ちゃんと言うこと理解してくれて、一人で帰って行ったよ。何があったのって訊いたら、役所に不満が溜まってたんだって」
「そっか。酒の勢いもありそうだけど、その他にも、何か核となる原因がありそうだな」
ただ酔っ払った勢いで区庁舎前で事象が起きたとは思えない。溜まりに溜まった不満の他にも、老父は何かを抱え込んでいたに違いない。しかし、その真相を知るヤコブは、ヨハネと異見を述べ合い続けている。
「二人はどうかしたの? ケンカ?」
「ケンカってわけじゃないよ」
「もしかして、僕のせい?」
「違うよ。死徒と戦って先のことが不安になって、ちょっとピリピリしてるだけだから。気にするな」
ペトロは、歩道に置いていたデリバリーバッグを背負い、ヘルメットを被り電動キックボードに足を掛けた。
「おい、二人とも。こんな所じゃ迷惑になるから、続きは帰ってからにしろよー」
ペトロは相手にしていられないと、デリバリーに行ってしまった。
周囲の一般人の視線を気にして、ヨハネとヤコブも一旦落ち着いた。だが、お互いにスッキリしていないようで、そんな宥め方で大丈夫なのかとハーロルトは心配そうな面持ちで、颯爽と去って行くペトロの背中に視線を送っていた。
三人がいる向かいの歩道に、黒髪黒目で黒尽くめの男が立っていた。男はハーロルトを見ていたが、その視線をペトロに向けた。




