2日目ー⑧ 黒の逆襲
黒崎白馬は、幼少期から迷子になることがとても多い子供だった。ひとたびデパートに行けばいなくなり、遊園地に行けば姿を消し、家族旅行に行った際も、すぐに家族の元から離れるような子だった。
『おばちゃん、白馬はいなくなってるんじゃないよ!』
そのからくりに最初に気が付いたのは、幼馴染の紅葉だった。紅葉が一緒にいると、たとえ一度見失ったとしてもすぐに白馬を見つけることが出来た。それはどうしてなのかと尋ねると、紅葉は得意げに言ったのだ。
『あのね、白馬はどこかへ行っちゃうんじゃないの。立ち止まっちゃうんだよ。だから、通った道を戻ればいいの!』
そう、黒崎白馬は何かに気を取られると、スイッチが入ったかのように停止し、その「何か」を凝視する。それは白馬にとっても半自動的に起きる事象であり、周囲の音も、他の景色も、すべてが白く薄まって、認識しづらくなっていくのだ。
だから、白馬はよく泣いていた。ふと気が付くと、両親がいない。一緒に遊んでいた友達が、ハッとしたときにはもう消えている。何かある度に直立不動する白馬のことを、他の子どもたちも邪険にして遊びたがらなかった。自分は独りぼっちで、誰とも仲良くなれない。そう思って、白馬は泣いたのだ。そんなときにいつも助けてくれたのは、もちろん家族であり、そして紅葉だった。小学校に入るころにはそこに好奇が加わり、そして今度は白馬自身が誰かを守ろうとするようになるのだが、それはまた別の話だ。
※※※
「最上、悪いけど、好奇の身体を運ぶのを手伝ってくれないか?」
白馬がそう頼むと、最上は薄気味悪そうに顔をしかめた。
「…普通なら、俺はふざけるなって言う。他にも何人も死んでる。1人の為だけに、そんな危険を冒してまでしてやることはない、ってな。」
「けど…」と続けると、最上は素直に白馬の頼みに応じ、そのまま好奇の亡骸を背中におぶらせた。
「今回は聞いてやる。助けてもらった借りがある。それに…お前の親友なんだもんな。」
「悪い。」
「そう思ってるなら頼むんじゃねぇよ。」
最上はそう言いながらも、手伝おうとした白馬に「良い」と断りを入れる。男2人が無防備になることは望まない。そう思ったのかもしれない。そして水原のところへ歩み寄る。
「時雨、突き飛ばしてごめんな。痛い思いをさせた。」
「ううん、いいの。私、銀河くんのしてくれたことの意味、分かってるから―――」
最上に感謝の念を抱きながら、白馬は依然として尻もちをついている2人の少女を見下ろした。湾田は何が起こったのか、ことの一部始終を完全には理解していない。一方の紅姫は、完全に戦意喪失状態だ。カチカチと歯を鳴らして、一歩も動けないと言わんばかりに震えている。
「…紅葉、悪いんだけど、紅姫を立たせてやってくれよ。」
「え…?いいの?だって、紅姫は「クロ」の陣営なのに。」
「関係ないよ。でも、落ち着いたら黄櫨たちのところへ連れてく。だって、可哀想じゃんか。」
「こんな時にもお人好し、だな。湾田はどうするんだ?」
「こいつは大丈夫そうだから、自分の判断に任せるよ。平気だよな?」
湾田は何も分かっていない様に「へ?」と言った後に、首を縦に振った。白馬が歩き出すと、最上たちもそれに続く。
「…黒崎、お前さっきの…どういうことなんだ?あんな状況の中で、よく蒼山の手をピンポイントで狙えたな。」
「そ、そうだね。私もびっくりした…銀河くんが刺されちゃうと思って、すっごく怖かった―――」
最上と水原の言葉には、黄島も紅葉も同感していた。17年間と4年間、2人は差はあれど普段の「黒崎白馬」を間近で見てきたのだ。しかし、さっきの動きはこれまでの白馬のどれにも当てはまらない。
「いや…俺にも、よくわかんねぇんだ。ただ一瞬、すっごく頭がクリアになって、周りの動きが遅く見えた。めちゃくちゃ銚子がいいときみたいな…自分でも、かなりビックリしてるんだ―――」
「白馬…」
紅葉が隣で見つめている白馬の額には、汗が滲んでいた。自分でも困惑しているのだ。それに加えて、好奇の死。動揺しないわけがない。紅葉自身も、今にも泣き叫んで、その場に崩れ落ちてしまいたい衝動がずっと身体の中に残っていた。
「(けど…)」
けど、今の白馬が、あの時の泣いていた白馬に重なってしまったから。自分がしっかりしなければと、僅かな気力が紅葉を支えていたのだ。
「よし、それじゃ行こう。」
「あ、そこの足元にはまだ―――」
紅姫が慌てて言葉を発したとき。白馬はさも当然かのように炭素繊維糸をまたぐと、振り返って仲間たちに呼び掛けた。
「みんな気をつけろ。ここに糸があるから、そのまま通れば転んじまう。」
※※※
怒りで身体が火照っているのが分かる。冷静に立っていることを、叫び出さずにいる自分を、自分自身で褒めてやりたくなった。黄櫨は東原からゆっくり離れると、彼女を庇うように一歩前に踏み出した。
「真紀、2人のことお願い。」
「お願いって、黄櫨アンタじゃ――」
檜皮の声は届いていない。黄櫨はもう一歩、しっかりと地面を踏みしめながら前に突き出した。渋染の笑みは相変わらず崩れない。不気味なほどに冷たく、神経を逆なでするような笑みだ。
「何がおかしいの…?」
「…ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて。」
「じゃあ、どういうつもりなの?どういうつもりで人のことを殺して、平気な顔をして私たちの前に姿を現わせるの?今度は、私たちのことも殺してみる?同じチームなのに。」
沈黙。不気味に思えるような口をつぐむ行為も、今の黄櫨にとっては怒りを助長させる不快な選択でしかなかった。
「そんなこと…そんなこと、しないわ。」
「ああ、そう。それじゃあ、灰場を殺したのはアンタ?」
再びの沈黙。コイツは、間をおかないと話せないようにプログラムでもされてるのか?黄櫨は臨戦態勢にはいるように、両手をフリーにして渋染を睨みつけた。ツメが食い込み、血が滲むほどに拳を握りしめる。ケンカをしたことはおろか、誰かを殴ったこともない。それなのにこうして自然な形で戦いへ入っていけるのは、自分に守りたいものがあって、それを守ろうと心と体が一致しているからだろう。
「さあ、答えてみせてよ。アンタが、灰場を殺したの―――?」
再度質問をした、その時だった。黄櫨は、目の前の渋染がまるで跡形もなく消え去ったかのような錯覚を覚えた。前方数メートルにいた渋染の姿を、この局面で視界が見失う。握っていた拳から、血がぽたりと滴った。
「私じゃないよ。」
「っ!?」
そして次の瞬間、見失っていた渋染が、突如として黄櫨の眼前に現れた。黄櫨はありったけの力を込めて後ろにジャンプし、渋染の振り抜いたナイフをかわした。背中を冷や汗が伝う。今、避けなければ私は刺し殺されていた…?
「…っ嘘つき!!」
「本当。本当に、灰場くんを殺したのは私じゃない。」
「そっちじゃなくて、私に手を出してきたことよ!私たちのことは、殺さないんじゃなかったの!?」
そう非難された渋染は反論もなく黙っていたが、やがて再び薄っすらと微笑んだ。悪寒と嫌悪感が同時に押し寄せてくる。意識を集中させるため、黄櫨は大きく深呼吸して息を吸い込んだ。
「ごめんね。」
渋染が地面を蹴った。想像していたよりもずっと早い。一瞬でも気を抜けば、また彼女のことを見失う。
「(違う…?早いんじゃなくて、私が遅いの―――?)」
大きく吸った息をぐっと腹の中にため込むと、黄櫨は回転して渋染の振りをかわし、その後頭部に回し蹴りを決める。バランスを崩した渋染が地面に倒れこみ、黄櫨がその上に飛び乗り動きを封じた。
「ごめん?何に対して?」
「―――嘘ついて、ごめんね。」
激痛と共に、身体の力が抜けるのが分かった。渋染が自由になっていた方の手に、スタンガンを持っているのが微かに見えた。至近距離で捕まえたと思い、気を抜いた。力が入らないと、このまま殺される――――
「―――きゃっ…!」
そう思ったとき、逆に黄櫨の上に乗らんとしていた渋染が後方に吹っ飛ばされる。檜皮が横から蹴りを入れたのだと、遅れて認識した。
「黄櫨、大丈夫?」
「う…うん、平気…!」
「ならいいけど。こっからは2対1にしよう。桃岬と東原は動かないで。」
顔面に蹴りを入れられた渋染は、その拍子に口元を切ったようだった。指で傷口から流れる血を拭うと、それを舐めてニコリと笑う。
「ねえ真紀、最初の動き、端から見てどうだった―――?」
「…正直、よくわかんない。特別早いわけじゃないんだと思う。うまく口では説明できないんだけど、何か、こっちの反応が遅れたような―――」
檜皮も同じ意見だった。彼女は麹塵のように部活動に所属していないが、その運動神経には目を見張るものがある。学年で一番ケンカの強い女子は麹塵か檜皮、というのは十色高校2年の間では有名な話だが、その檜皮でさえ、渋染の動きは訳が分かっていないのだ。
「(…なに、コイツ―――?)」
「露骨に距離を離し出したね。」
黄櫨が違和感に気づいた時、檜皮もその違和感を察知していた。2対1になった途端、渋染はあからさまに攻めの手を緩めた。檜皮が加わったことで、形勢が不利だと思ったのか。先ほど食らった攻撃が、予想以上に効いているのか。
「…言ったことを破ったのは、本当に悪いことだと思ってるわ。」
「何さ今さら。それって見逃してくれってこと?」
「さよなら。」
渋染はそう言って、踵を返して走り出す。黄櫨は「待て!」と声を張り上げ追いかけようとするも、足に上手く力が入らず、その場に膝をついた。
「電流流されたんだ、無理ないよ。」
檜皮はそれを見て、すぐに渋染を追いかけることを断念した。東原が泣き声をあげて黄櫨に抱き着いていく。黄櫨はそんな中で、渋染と戦った後の奇妙で気持ちの悪い感覚を、その身体で味わっていた。
※※※
呼吸を整える。平静さを失えば、いざという時に弾が的に当たらなくなる。情を持ちすぎれば、その引き金を引くことが出来なくなる。射撃訓練の時と同じだ。敵を的だと思って、平常心のままに撃て。自分には、それが出来るはずだ。
「…なんて、そんな簡単に割り切れるもんじゃないな。」
白馬たちと紅姫たちが、接触の後に話をしているのは視界に入っていた。紅姫たちが何か企んでいるようにも見えたが、銃を発砲するほどのことではない。それに、ここにいることの最終的な目標は、鬼銅瞬を狙撃すること。変に目立つことで、敵に居場所を探られたくないと思った。
「いや、言い訳だ。」
蒼山の言ったことは正しい。枝野は、あの時人を殺すことに恐怖心や躊躇の念が芽生え、引き金を引くのが遅れてしまったことを自覚していた。それだけでなく、結局は急所の頭部や胸部ではなく、指先を選んだ―――
「クソっ」
枝野は悔しさのあまり、1人でそう呟きながら拳を握っていた。だが、それは当たり前のことだった。ただの高校生が、人を殺すという行為にどれだけ踏み切れるのかどうか。渋染は異常であり、蒼山は麻痺していた。枝野は自分を責めていたが、それが真っ当な人間である証拠だとは、自身では思えなかった。
「…しまった、長くここに居座りすぎてしまった…!」
一刻も早く移動をしなければ、今の銃声を聞きつけて鬼銅がこちらにやってくるかもしれない。狙撃手からすれば、居場所を特定されるのは致命的だ。もしかすると、最初から近くにいて声を聞かれていることだってありえる――――
「…っ!」
不意に、枝野は強烈な殺意と視線を感じた。動物的本能。虫の知らせ。枝野はすぐさま銃を背負い、雑居ビルの屋上から駆け出して行った。
※※※
「銃声が聞こえた。」
縹が立ち上がり、そう呟く。もちろん、言われずとも萌葱と海松も聞いていた。巨大な銃声と、その数分後に流れてきた灰場の訃報。2日目になって、2人目の犠牲者が出た。
「鬼銅じゃ…昨日と同じ手口で、やつが殺しを再開した…!!」
「いや、早計過ぎる。昨日とは発砲音が違う。たぶん、銃の種類が違うんだ…ということは、一概に鬼銅だとは決めつけられない。」
「それじゃあ、他に誰が銃を持ってるの…?」
「昨日の集合で見た限りだと、銃を持っていたのは枝野だけだが―――」
「アイツは灰場や儂らと同じ「シロ」陣営じゃあ!灰場のことを殺すはずがなかろう!!」
それは縹の言う通りだった。渋染と鬼銅の一連の流れで麻痺してしまいがちだが、そもそも同じチームのメンバーを殺すというのは、どれだけ忌み嫌い合っていてもそうそうあり得る話じゃない。ということは、考えられることは2つ。「クロ」の誰かが新しく銃を手に入れたか、それとも鬼銅が新たに武器を手に入れたか…
「(後者は最悪だな。ただでさえ相手にしたくない鬼銅が、さらに強化されたことになってしまう。)」
もっとも、昨日よりも銃声からアナウンスまでのインターバルが長い。発砲音がしたからといって銃で殺されたと決めつけることは出来ないと、萌葱は冷静に推理していた。冷静に推理しているからこそ、目の前の修羅の殺気がどんどんと熱を帯び、今にも破裂寸前であることを危惧していた。
「縹、早まるなよ。まだ銃殺と決まったわけじゃ―――」
「萌葱、お前さんにはお前さんの役割がある。今お前がやっとることは、お前自身にしか出来んことじゃ。誇りに思うといい。儂はそれを咎めはせん。じゃが―――」
掴んでいた柱にひびが入った。握力で木材を破壊できる人間がいるのなら、おそらくそれは人間ではない。
「じゃが、儂はどうじゃ?儂の力の使い道は、ここでただじっと機を伺うことじゃろうか…?本当に、そうだと言えるか――――?」
「…冷静さも必要だ。俺たちがそうでなくてどうするんだ。」
「お前さんのような男には笑われるじゃろう…じゃが、それでも予感しとるのだ…直感が、野生の勘が告げとる…今の銃声が鬼銅であろうとなかろうと、鬼銅は動く…それも、今この瞬間にな。」
何の根拠もない、議論にすら値しない意見だった。しかし、それは当たっていた。縹の第6感は、萌葱の推理をこの1度だけ上回った。
※※※
雑居ビルの上。その姿が確認できた。銃声と声が聞こえた。近くにいると分かれば、上から調べた方が手っ取り早い、そう判断した。そして、鬼銅のその判断は正解だったのだ。
「…始めるか。」
ターゲットは枝野浅葱。彼女を殺すことは、鬼銅瞬の意思だった。




