表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/74

第2話 渡来してきた女

 漆喰の倉庫が並ぶ港を抜け、広い町通りに出ていた。

 海の匂いがする潮風。張り付くような湿度のためか、シェーシャは往来の真ん中で足を止め、吹き出る汗を手の甲で拭いながら小さく息を吐く。

 港町と聞き、大陸の商業都市〈ワジ〉に似た町を想像・期待していたのもあり、活気のあるこの町も、どこか辺鄙なものに感じてしまう。


(ま、ワジを基準にしたら、どこも田舎港になっちゃうけど)


 道は人の行き来が多い。立ち止まっている女を迷惑そうに睨むも、その顔を拝んだ途端、誰もが「おっ」と声をあげ、「眼福、眼福」と締まりのない表情に変える。

 言葉が通じていないと思っているのだろう。中には「こんな別嬪さんと一夜を共に出来りゃあなあ」と、垂涎(すいぜん)を洩らす者までいた。


(【東の国は独自的な文化を持つ。非効率を美徳とし、とにかく変化を嫌う】――エルフの調査書にあった通りね。まあ八十年前のだし、それっぽっちで文化なんて変わるはずないけど)


 歩きながら、町や人の(よそお)いを観察していた。

 大陸のチュニックシャツを着たのもいるが、それに向けられる視線からして、伝統を是とする排外的な面が推察される。独自的な文化は、言わばその延長によって出来たものか。

 シェーシャは再び歩を進めた。

 人間よりも高温多湿の気候・風土が厄介だ。

 馬に乗らなければ、荷車に人を乗せることすらしないようで、それによって人でごった返すさまは、見ているだけでも暑苦しい。


【風よ。旋風となりて、薙ぎ払え】

【水よ。凍てつく氷となりて、風と共に舞え】


 自身が編み出したスキル〈二重詠唱(デュアル・キャスト)〉。

 本来はダイアモンドダストのような、氷粒の嵐を発生させる魔法なのだが、


「あー……快適ー……」


 効力を弱めれば、身体を包む冷風のスーツとなる。

 自堕落と怠惰が生んだ“進歩”だった。


(さて、これからどうするかが最大の問題ね。こうも大陸と文化が違うとは思わなかったし、プランを練り直さなきゃ)


 町は小さく、気づけば海が覗く松林の街道に出ていた。

 庶民・商人、帯刀している者を見たシェーシャの頭に、ある人物の名が浮かぶ。


(やっぱり、神楽を頼るべきだったかしら。うーん……)


 腕を組みながら、適当に選んだ道を歩く。

 その果てとなる場所にくると、朱塗りの門が迎える町があった。


「あら。ここは結構よさそうね」


 門から中を、しげしげと覗き込む。

 道幅が広く、中央には石蓋がされた排水路が走る。その道の両脇に、朱色の欄干や格子窓を設けた、黒く絢爛な建物。それぞれ格式を競い合うように、建ち連なっている。

 当面の宿はここでよさそう。

 門衛と思わしき男が呼び止めるも、シェーシャは手をひらひら「案内はいいわ」と聞かず、足を前に進めた。

 大陸に比べると味気ないが、先の港町に比べると遙かにマシな建ち構えだ。また中心部に向かうにつれ、町並みは鮮やかさよりも慎ましさが増してゆく。


(おもむき、と言うのかしらね。通りを歩くのは男ばかりだけど)


 思ってすぐ、「ああ」と頭が答えを出した。


(神楽が『女子(おなご)も男と並んで歩くのですね』って驚いてたっけ)


 しばらく町をうろうろ。

 石を積んだ用水路、風に揺れる柳の葉擦れに目を細め。二往復ほどしたのち、その途中で見つけた緋毛氈(ひもうせん)が敷かれた床机に腰掛け、休憩していると、


「――ちょっとアンタ」


 店の者と思われる女が、下駄を鳴らしながら近づいてきた。


「ウチに何の用だい」

「ああ、そうね。冷たい飲み物をもらえるかしら」


 女の眉が上がった。「ここがどこか知らないのかい」


「あら? ここはお茶屋ではないのかしら?」

「……ッ、異人が物見遊山でこられちゃ、ウチの商売あがったりなんだよッ! 客でも身売りでもないなら、ここから失せなッ!」

「身売り?」


 それを聞いてシェーシャは、ああ、と理解した。

 女の大声に立ち止まった人の合間の、朱塗りの格子窓から、憎々しげに扇子を噛む女たちの姿が。――顔に白粉(おしろい)をまぶし、唇には真っ赤な紅を差し、それと同じ色をした艶やかな薄衣。目の前で睨みつける女もまた同じく、己の美貌が、彼女らの嫉妬を買ったようだ。

 ついでに喧嘩も買う。シェーシャは女の顔を検め、ふっと鼻で笑った。


「ごめんなさいね。私がいると貴女、色あせちゃうわね」

「なッ……」


 白く塗られた顔が、みるみる赤く染まるのが分かる。

 これには向かい店から覗いていた女も、くくっ、と笑った。


「今のうちに咲いておきなさいな。三年もすれば、道端の雑草花にも劣るから」


 椅子から腰を上げたシェーシャに、女は「待ちなッ」と声を荒げた。


「下手に出てりゃいい気になりやがって! ちょっと痛い目に遭わないと分からないようだね! 浦霞のお駒の恐ろしさを、その綺麗なお顔に教えてやるよ!」


 女が目を向けた間口には、店の若い衆がずらり。

 一人が縄を持つ以外、全員が素手。ニヤつくその表情から、所詮は威勢だけだと高をくくっているらしい。


(やれやれ、騒動は起こしたくないのだけどね)


 シェーシャは小さく首を振り。

 そして手にしている黒杖をかざした、その瞬間――


『おや、今回は殴り合わぬのか?』


 頭上から茶化すような声がし、その場にいた者たちは顔を上げた。


「一年、いやそれ以上か、エルフの大将」


 その姿を認めたシェーシャは、あっ、と目を大きく瞠った。

 同時に、正面の女も同じ声をあげていた。


「あんた、狼族の……ッ!?」

「白牙の旦那……ッ!」


 ざわめく野次馬たち。

 赤い剣菱に深緑の袴、朱色の欄干に肘を乗せた犬頭――それは、かつての〈模擬戦〉にて、共に剣を並べた〈白牙〉だったのである。

 白牙は(さかずき)を掲げたまま、眼下の遊女に目を向けた。


「お駒、そいつは相手が悪い。退け」

「ッ、し、しかし旦那……ッ、このままではウチのメンツが……ッ」

「その異人と揉めると面倒なことになる。犬も食わぬ喧嘩であるが、わしに預からせてくれ」


 ぐ、と喉を鳴らし、お駒と呼ばれた遊女は一歩下がる。

 それを見て白牙は、ひらり、朱の欄干を飛び越え、地に降り立った。


「貸し一つだ、森の友よ」

「狼族はお節介だって聞いていたけど、その通りのようね」


 うぉん、と白牙は嬉しそうにひと吼え。


「今一度、女同士の殴り合いも観たいがな。ここで異人が揉めると少し面倒なので、邪魔をさせてもらうことにした」


 ふうん、とシェーシャは鼻を鳴らしながら、散ってゆく野次馬を眺める。


「ま、知った顔に会えてよかったわ。右も左も分からなくて困ってたの」

「おや? お嬢の夫に会いにきたのではないのか」

「誰が、って言いたいけど……どうやら頼るしかなさそうね」

「ならば駕籠(かご)を手配してやろう」


 不本意ではあるが、少し見通しが甘かったらしい。

 森に住まう同胞の友の言葉に頷き、(ひるがえ)るその背を追った。


 ◇


 そこは、港町から遠く離れていた。

 狼族がかつぐ駕籠(かご)に乗ること半日。彼らは足の速さもさることながら、無尽蔵のスタミナをもつため、馬で走れば三日はかかるであろう道のりも、あっという間だった。

 ……が、駕籠の乗り心地は最悪だ。

 忍の(さと)の手前にあると言う竹山に入ると、シェーシャはそこから歩くと言い出し、駕籠者が止めるのを振り切って暗い闇に身を投じた。


「エルフの結界でもあるのかと思ったけれど、所詮は人間の住み処よ。なんてことないじゃない」


 陽がすっかり落ち、暗闇と静寂に包まれた竹林を歩く。

 頭上には〈照明(トーチ)〉の魔法による光球が浮かび、一帯を白く照らす。

 見えるのは無秩序に生える青竹に、枯れ落ちた葉の絨毯のみ。さくさくと踏みしめる奏でが心地良い。

 だが、その時――


「――!」


 シェーシャは突然、杖を構え、勢いもって振り返った。

 しかしそこには何もない。息を詰めて構え続けたものの、藍夜と白光のグラデーションに見えるは、落ちてゆく一枚の青い竹の葉のみ。

 気配を感じたような……。

 ふうと息を吐き、手の甲で(ひたい)の汗を拭った。


(やっぱり、少し神経質すぎるかしら)


 背後への警戒心は日増しに強く。

 正直なところ、自身でも疲れを感じるほどである。


(まったく……あのクソ忍者のせいで、私の人生は踏んだり蹴ったりよ。背後を振り返り続けるせいで、自意識過剰な女って嫉妬を買っちゃうし)


 杖を下ろし、再び歩み始める。


(ファファもファファよ。聖職者ならもっとマシな助言あるでしょ。何が『YOU、そう言う関係になっちゃいなよ』よ、馬鹿じゃないの!)


 葉を踏む音が乱暴なものに。

 彼女の背後には長く伸びた影が一つあるのだが、


「だけど、あとどれくらいかしら」


 影が時おり波打っていることに。足を止めるや影が膨れ上がり、加えて、その先端が尖っていることにも気づいておらず、


「狼族から聞いた方角は間違ってないはずだけど。トーチをもうちょっと上に――」


 竹林にシェーシャの絶叫が木霊したのは、浮かぶ光球を見上げた、その直後のことである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ