第5話 帰省(大渋滞)
エルフの郷を、人間は〈理想郷〉と謳う。
確かにその通りだろう。正面に広がるのは海のように広大な湖。それを囲う苔むした岩は、自然のうねりに色の濃淡をつける。緑の絵筆を走らせたような森、山脈は背景は、まさに自然が描く芸術と呼ぶに相応しい。
そして、自然と創造の調和、と呼ぶべきか。
粛然と並ぶ白壁の建物群が、山の一画・斜面に沿って並び連なっている。
春の空に、郷全体が薄霧がかかったように淡く輝く。
シェーシャは懐かしい景色を前に、気鬱な気持ちが少し晴れたような気がした。
(さて。外から来たのは、誰か気付いているだろうけど)
青空と舞うブルーバードが、チチッと鳴いた。
つがいだろうか。もう一匹があとを追って、踊るようにくるくると回り始める。
「あら?」
足下に青羽が一枚落ちていることに気づいた。
「ふふ、歓迎の挨拶かしら」
人を引き合わせると言われるブルーバードの羽。
何かいいことあるかしら、と羽を拾い、指で回しながら建物群に向かって足を進める。
さっそく羽の効果が出たのか、シェーシャが予想していた通り、白馬に乗ったエルフの男が向かってくるのが見えた。
「おや、このようなところをお一人で――」
「結構です」
シェーシャが小さく頭を下げると、男も同じ仕草をして走り去る。
たまたま通りかかった風を装って声をかける――所謂ナンパだ。
それから四人ほど、同じ様な男がくるも、シェーシャは頭を下げて拒否を示し続けた。
(最後の〈ナラフの花〉を差したのは、なかなかお金も持ってそうね)
胸に花や、それを模した装飾品を差すのが礼儀であり、地位とセンスの証明である。
ただし……エルフの郷はしょせん田舎町に過ぎず。
馬に乗り、街のカフェでお茶をするだけで、誰が誰という噂が飛び交う。そのあと宿屋にしけ込もうものなら、考えるだけで頭が痛くなる閉鎖的な土地だった。
小さく息を吐いた、その時、
『――お姉様っ』
後ろから声をかけられ、え、と振り返ると、
「マナサっ」
「お姉様、お久しぶりですっ」
それは、シェーシャの妹であった。
春らしい若草色のドレス。シンプルだが、裾や袖の山吹色のラインがよく映えている。三つ編みにした髪を後ろに巻き付ける、ティアラ風ハーフアップにしたプラチナブロンドが、可愛らしさを引き立てる。
姉妹は満面の笑みで抱きしめ合い、そして頬にキスを三度おこなった。
「元気そうね、マナサ」
「はいっ、お姉様こそ――ああこの前、夢をみたのはお告げだったのですねっ」
年は十歳下の三十一歳。
人間で言えば十七歳にあたる、最も輝かしい年頃である。
妹はそれを体現するかのように、姉ですら危機感を覚えるほど、可愛らしさと美貌の両方をたたえていた。
「お姉様。突然、お帰りになられた理由は?」
「ちょっと色々あってね。お父様に用があるのよ」
「お父様に……? あっ!」
何かを察したように、顔を綻ばせる。
「お姉様、ついに――っ」
「貴女が考えていることは、絶対にないわ」
人間嫌いであるが、女は人間とのロマンスが大好物。
郷を出て、帰省して父に話すことは婚約報告が定番なのだ。
それもあった、と思い出し、シェーシャの肩がずんと重くなった。
◇
シェーシャの実家は、建物群の上の方にあった。
突然の帰省に驚く母への挨拶もそこそこに、緊張に顔を強張らせながら奥の書斎へと足を運ぶ。
「――やっと帰る決心をつけたか」
開口一番、本を見ながら言い放つ。
いえ、と首を振ると、ページをめくる手を止めて、そのまま言葉を待った。
「少し問題が起こりました」
そう言って、リュックから取りだした木箱を目の前に置いた。
訝りながら蓋を開くと、父は目を飛び出すような勢いで目を見開いた。
「こ、これは……!」
「二日前。王からの荷を運んでいる最中、彼女たちに襲われたのです」
王が、と言葉を震わせる。
木箱の中には、腹に痛々しい疵を残す妖精の遺体。エルフですら、五百年は見ていないとされる種族であった。
「厄介なことになる。一刻も早く、郷に戻れ」
「できません」
立ち上がる父の顔に、憤り・不満・失望の色が浮かぶ。
「自分の立場を分かっているのか」
「分かっています。だから人間界で暮らしているのです」
「成長しているのはその減らず口ばかりだ。お前はこのナージャ家を継がねばならんと言うのに、四十一歳にもなって人間界で惚けている。杖を振るのは構わぬが、頃合いを知れ」
ぐっ、とシェーシャは奥歯を噛む。
妖精の件でもう少し後だと思っていたが、さっそく小言とは思わなかった。
「いい機会だ。妖精族の件を調べている間、家のことをしろ。お前が遊んでいる間に見繕った男がいるので、会って――」
言いながら窓際に向かう父。
ふと横に二つの人影に気づき、目を向けた。
「十蔵殿。この時計、銀でござろうか?」
「いや、それにしては輝きが違う。ミスリルとやらではないか?」
「ほう、これが……。ではこの、黄土色のペーパーナイフは何でござろう」
「うーむ。分からぬ」
「シェーシャ殿、これは何でござろう?」
水を向けられたシェーシャは、オリハルコンよ、と答えた。
「これがオリハルコンでござるか」
頂いておこう、とペーパーナイフを懐に入れる十蔵。
シェーシャの父は、無言で視線を窓の外に戻した。
「何人か会えば、お前も考えも変わろう。中には伯爵家の次男も――って、おいいいいいッ!?」
父娘といいノリでござる、と隼人が言う。
「な、なんでッ、なんでここに人間がいる!」
「あ、ああ、あんたたち、なんでッ!?」
知り合いと見抜いた父が、なに、と娘を睨む。
「ち、違います! わ、私はくるなと申しつけて――」
シェーシャは眼前で手をブンブンと振りつつ、忍者たちに目を向けた。
「なんで入ってこられるのよっ、結界あったでしょ!?」
「忍者に結界なぞ通用しないでござるよ」
腕を組む隼人。同様に十蔵も。
シェーシャは頭が真っ白になり、父は愕然と、そしてじわりじわりと腹の底から怒りが這い上がっているようだ。
「き、き、きさま……っ」
「貴殿に用があって参った次第」
十蔵が腕を組み、真剣な表情で父と向き直った。
「――『お義父さん』と、呼ばせていただきたい」
「シェーシャァッ! この家の跡取りであることを忘れたばかりか、よりにもよって人間となど――ッ!!」
「ひあぁぁぁッ!? ち、違いますッ、う、嘘ですッ、この男の――このクソ忍者ッ、火に爆薬投げ込むんじゃないわよッ!? と言うか、あんたそんな冗談言うキャラじゃないのでしょうがッ!?」
傍らでは顔を真っ赤にした父の姿。
初めて見る形相を前に、洒落になんないのよ、と当事者・隼人と手をハイタッチする忍者どもに唾を飛ばすしかない。
そしてまた、書斎の入り口では、
『お姉様、マナサは人間との恋を応援しますっ』
と、全力で勘違いする妹の姿があった。




