第八話 ぼこぼこです ☆
「それじゃあ、初めに得た魔法は何かな?」
「"湿気った指先"ですね」
紙を数えるときに便利な魔法だ。
カサカサに乾燥した指に湿り気ができる。
「それはいつ頃?」
「私が十五歳のときなので、今から三年前の春です」
「一緒にいた人は?」
「初めてなので、魔法司書の男性に同行をお願いして、メイドのメリルも一緒でした」
レナードは聞きながらメモを取っている。
「それじゃあ、同じ質問になるが、次に覚えた魔法は?」
「それは――」
こうして地道な作業が続く。
最初のうちは魔法司書と一緒に行っていたが、そのうち慣れてきたので、メイドだけ連れて入るようになったのだ。
一般開放の階層なら、攻撃魔法を使う魔物の本はいないと言われているからだ。
「十個目の”可愛いあの子にひとっとび”の魔法だが、これは取得が難しいとされるが、よく本を目視できたね」
「え、ええ……」
フィオナは内心ガクブルしていた。
レナードが話す魔法本は、本をめくる速度も他の本と比べて段違いで速く、しかも逃げ足も速いのだ。
初出現のときは、フィオナでも逃げられた記憶がある。
ところが、ちょうどこの魔法を取得する直前に本をぼこぼこにしても大丈夫だと知ったのである。
「ぼこぼこにして大人しくさせちゃえば楽なものですよ」
慌ててフィオナは自分の口を押える。
魔法のせいで勝手に話してしまうではないか。
「今、なんて言ったの?」
それまで静かに話を聞いていたアリスが聞き返してきた。
「俺の聞き間違えでなければ、ぼこぼこにして大人しくさせちゃえば楽なものだと言っていたぞ」
しっかり聞かれている。
二人とも目を丸くしてフィオナを見ている。
レナードの小鳥まで、黙ったままじっと見ていた。
「ぼこぼこって、どういうこと? まさかこうやって拳で殴ったの?」
アリスは手振りで殴る真似をしている。
フィオナは自分の手で口をしっかり押さえて、余計なことを話さないようにしていた。
「んーんんー」
なぜかフィオナの頭が勝手に頷いて彼女の言葉を肯定している。おそらく魔法のせいだ。まさか正直にしか反応できないなんて。
アリスの言うとおり、制限が必要な恐ろしい魔法だ。
「そんな馬鹿な。本への攻撃は禁忌とされているんだぞ。それが本当だったら、クソ真面目に女神の言葉を守っていた俺らは一体なんだったんだ?」
レナードの顔から戸惑いと苛立ちが伝わってくる。
不快な思いをさせるつもりはなかったのに。
心臓が嫌な音を立てて鼓動し始める。汗がにじみ出る。
「まさか、いや、本当なのか……」
レナードがじっとフィオナを見ながら、考え込んでいる。
頭の小鳥も大人しくフィオナを見つめている。
「カサドラ嬢、それは図書館迷宮の禁忌を知っての発言なんだな?」
もちろん知っている。
また勝手に頷いてしまう。
「禁忌って、"武器を持ち込み、本を攻撃するなかれ"って女神からの忠告でしょう? 入り口にも刻まれているし、迷宮に入るたびに受付からも注意されるわよね?」
アリスがわざわざ確認してくれる。
彼女の言うとおりだ。だから、本への攻撃は禁忌とされている。
家族たちがぼこぼこをバレないように気をつけていたのも、その禁忌のせいだった。
でも、ついに発覚してしまった。
禁止行為をして許されるわけがない。
フィオナはまた職をクビになるのだ。
せっかく仕事を得られたのに。
無能だと婚約破棄されてしまう。
慰謝料と賠償金で家族に迷惑をかけるだけでなく、フィオナは愛人に格下げで、悲惨な目に遭うのは明白だ。
そう思ったら、ショック過ぎてぼろぼろと目から涙が溢れてくる。
「愛人に格下げ!? なにそれ最低ね!」
アリスが素っ頓狂な声を上げる。
なんと考えごとをそのまま魔法のせいでベラベラ話してしまっていたらしい。
もう最悪だ。
「ご、ごめんなさい。つい出来心でぇ! 婚約者に腹が立ってストレス発散してましたぁぁ!」
「待て、泣くのはまだ早い! 禁忌なのは、それを破ったら本が凶悪化して暴走するからなんだ。周囲の人間の命が危険に晒されるから、禁止されている。しかし、カサドラ嬢の話だと、殴れば大人しくなるらしい。それは、我々が知っている常識とは大いに異なる」
レナードにハンカチで濡れた目を拭かれ、半ば無理やり渡される。
彼の好意に甘えてハンカチをそのまま使わせてもらう。
「つまり、どういうことなんですか?」
「カサドラ嬢の異常な魔法取得数から、その方法が嘘とは考えにくい。女神の禁忌に触れたわけではないなら、問題ではなく、新発見となるかもしれない。だから、今現状ではクビにはならないから安心したまえ」
「良かったぁぁぁ!」
安心して再び泣いてしまった。
レナードのハンカチはびっしょり濡れてしまったので、今度は自分のを使う。
アリスまでつられたのか一緒に泣いている。
「カサドラ嬢がそんな辛い目に遭っていたなんて。ううう、なんて酷い婚約者なの」
女性が二人も泣いていて、仕事どころではなくなっていた。
「ごめんなさい、仕事中なのに取り乱してしまって。すみません、続きを再開しませんか?」
「いや、もう少しで休憩時間だから、少し早く休もう。その代わり、少し早く仕事を始めよう」
「それがいいわね。カサドラ嬢も顔を洗うといいわ。泣き跡が消えると思うから」
「はい」
アリスはフィオナの返事を聞くと、颯爽と席を立ち、肩にポンポンと軽く触れてくる。
「大丈夫よ。カサドラ嬢がこれ以上婚約者から酷い目に遭わないように私も協力するわ。夫にも言っておくから、任せておいて!」
そう頼もしい言葉を残して部屋から出て行った。
「セレストさん、すみません。ハンカチを汚してしまったので、洗ってお返しします」
「いや、いいよ。そもそも俺のせいで、カサドラ嬢がガザフから魔法をかけられるハメになってしまったのだから」
「そんなことはないです!」
遠慮されそうになったが、申し訳ないので、なんとかフィオナは自分の主張を通した。
「ところで、カサドラ嬢、個人的な話があるんだが、是非聞いてもらえないだろうか」
「個人的な、ですか?」
「ああ、君の婚約者の家のことなんだが」
ドラン家を思い出す。
「婚約者の家がどうしたんですか?」
「もし、カサドラ嬢があっちの有責で婚約破棄を望んでいるなら、俺と手を組まないか?」
「え?」
驚いてフィオナはレナードを見上げる。
彼の切れ長の赤い目は真剣そのもので、その表情だけで彼が抱える深刻さを感じ取れた。
「私との取引に、セレストさん側にはどんな利益があるんですか?」
「亡き母が濡れ衣を着せられたから、名誉を挽回したいだけなんだ。でも、そのためには証拠を得るために魔法を使う必要がある。でも、その魔法の取得が難しすぎて、困っていたところだったんだ」
レナードの亡き母の存在。
ガザフが言っていた人殺しが、レナードの言う濡れ衣のことだったんだろう。
確かに身内が人殺しの罪をかぶせられたなら、無実を証明したいと願う気持ちは良く分かる。
彼がフィオナの魔法取得について興味を持ったのも納得だ。
「つまり、私にその魔法の取得を手伝ってほしいと」
「そのとおりだ」
彼はフィオナの目を見て頷く。
その視線の力強さから、彼がどれほど助力を望んでいるのか、ひしひしと伝わってくる。
「協力はもちろんします!」
「そうか!」
彼の表情に歓喜が浮かぶ。その安心したような顔を見て、フィオナは彼の期待になんとか応えたくなる。
「でも、どうやって婚約破棄が可能になるんですか? 相手は高位の貴族です。男爵家のうちだって太刀打ちできないんですよ」
すると、レナードは詳細を語ってくれた。
「つまり、セレストさんのお母様の無実が証明されたら、全て解決するというわけですね。分かりました。よろしくお願いします!」
フィオナが握手のために手を差し出すと、レナードは一瞬驚いた顔をしたが、ニヤリと笑うと握ってくる。
彼の手の温かさと大きさに驚き、とても心強くも感じた。
※
密かな取引のあと、フィオナもアリスに続いて部屋を出て行った。
レナードは一人きりになり、机の上を整え始める。
「まさか、あそこで鳥が鳴くとはな」
レナードが思い出すのは、ガザフに問われて答えたときだ。
「あそこで、ハイとは言えるわけないだろう」
あの質問への肯定は、相手の侮辱を認めるのも同意だ。
フィオナが可愛いのは周知の事実だ。
浮き足立っているのは、図書館迷宮で新発見があったからだ。
「……別に、彼女個人に興味があるわけではない」
レナードはため息をつく。
先ほど握った彼女の手は、驚くほど柔らかかった。
くるくる変わる表情。
思わず目が留まる大きな瞳。
安心したように細めて笑う優しい眦。
今日はやけに小鳥がうるさかった。




