第27話 帰還
フィオナはまだ信じられないでいた。
あのボス本から魔法を取得できたことも驚きだったが、あのレナードからまさか抱きしめられるとは思ってもみなかったからだ。
ボス本を止めなければ本を読めないと思っていたから、偶然止まって開いたページだけで呪文が完成するとは思ってもみなくて、最初は何が起こったのか理解できなかった。
でも、みんなの話を聞いて、やっと魔法を手に入れたんだと分かった途端、嬉しすぎて気持ちが溢れて涙が止まらなくなっていた。
待ち望んでいた自由を手に入れるための手段をついに得られたのだから。
その感激の涙も、レナードの抱擁で止まるくらいの衝撃だった。
レナードは仕事中は私語を全くしない。
真面目な上にストイックな態度で、異性のフィオナに対して他人から誤解されないように配慮ある態度しか取られたことがなかったからだ。
フィオナも彼の抱擁を驚いていたが、レナードも愕然とした顔をしていた。
レナードから抱きついてきたのに、あんな風に自分の行動に驚くなんて、いつもの理性的な彼らしくなかった。
きこちない様子で礼を言っていたが、動揺して誤魔化しているのはバレバレだった。
もしかして——。
少しは意識してもらえたのだろうか。
家族ではない男性に抱きしめられたのなんて、初めてだ。
彼の無駄のない引き締まった身体の感触を思い出して、フィオナは胸の高鳴りが激しくなる。
彼はフィオナの話をきちんと聞いて寄り添ってくれて、大喰らいも令嬢らしくない振る舞いも、全部否定せずに受け入れてくれる。
そんな彼のことを改めて誰よりも好きなのだと認識する。
でも、一瞬だけレナードからの好意を期待したが、その後のレナードを見ても、特にフィオナに対して好意があるような態度ではない。
先ほどの熱が込められた抱擁をまるで隠すような態度に戸惑いを感じずにいられない。
なぜ、そんな真逆な態度を取り、気持ちを隠すような真似をするのか理解できなかった。
魔法を取得できたのだから、フィオナは婚約破棄をすることができるのに。
自由になれば、フィオナは誰とでも恋愛できるようになる。
今は隠す必要なんてなかった。
彼はまだ何か問題を抱えているのだろうか。
でも、今はその踏み込んだ話をする機会ではなかった。
気を取り直してフィオナは蹴りをするために脱いでいた靴を拾って履き始める。
レナードはボス本部屋にある扉の調査を始めたので、フィオナも気を取り直してそれに集中する。
扉は二つあり、一つには古代語で『十六階層行き』と書かれ、一つの扉には『地上行き』と書かれている。
「地下十階層以降で、この地上行きの案内は初めてなんだ。慎重に動きたいと思う」
レナードの説明に一同は素直に同意する。
レナードが扉を開けて中を見れば、狭い四角形の部屋には何も置いてなかった。
他と同じ石造りの壁と床だ。
「待て、動くな。床に何か模様がある」
レナードの指差すほうを見れば、確かに部屋の真ん中の床に丸い模様が描かれている。
円の周辺には、何か文字が書かれている。
四人でその模様を囲むように見下ろす。
でも、石の上に書かれている文字は少し見えづらかった。
ガザフがしゃがみ込んで、一つ一つ確認し始める。
「えーと、なんて書いてあるんだ? 『我、地上に戻りたいと願う者なり』?」
「待て、それは呪文だ!」
レナードが制止した直後だ。
床に書かれた模様が急に激しく光り出す。
フィオナも驚いて、あまりの眩しさに目を手で庇った瞬間、フッと身体が宙に浮いた感覚がした。
次にフィオナが目を開けたら、それまでいた場所ではなかった。
周囲を見たら、フィオナ以外の仲間もいる。
みんな、困惑した顔をしている。
この場所は見覚えがあったが、すぐには思い出せなかった。
「女神像があるぞ! まさか、ここは迷宮の地上部なのか?」
後ろを振り返ったレナードの声でフィオナも振り向く。
そこには悠然とした立ち姿の女神像があった。
それで思い出した。ここは迷宮に入る前に通る場所だ。あの扉に書かれていた古代語の地上行きは、確かにその言葉どおり、地上に戻れる部屋だったようだ。
「またあの部屋に戻れるんでしょうか?」
「どうだろう? ここにはそんな装置は見つかったことがないから、一方通行なのかもしれない」
フィオナの疑問にレナードはあちこち探しながら答える。
他の二人もきょろきょろと怪しいところを一緒に探すが、何も見当たらない。
「すまない、俺のせいでいきなり戻るはめになって……」
「ガザフ、気にするな。元々帰る予定だったからな」
「そうですよ。おかげで余計な緊張をせずにすみました」
ハンスはうんうんと頷いている。
それを見てガザフはホッとした顔をする。
「では、このあとは一度魔法省に戻ろう。勤務時間までまだあるからな。色々迷宮で起こりすぎて報告書の作成が大変だぞ」
そのレナードの言葉にみんなは苦笑する。
フィオナも自分でやらかした立場ながら、突っ込みどころ満載だと思ったからだ。
気持ちを切り替えて戻ろうと思ったときだ。
急に女神像が光り出したのだ。
「今度はなんだ!?」
慌てたガザフが叫ぶ。
女神から放たれた光は、空間に文字を綴り始める。
『汝、我を楽しませた者なり』
そう古代語で書かれていた。
その光る文字は、いきなりフィオナに向かって飛んでくる。
あっと思ったときには、身体の中に吸い込まれていた。
「カサドラ嬢、大丈夫か!?」
「ええ、セレストさん、大丈夫です。あの光は魔法や加護を得たときと同じ感じでした」
びっくりはしたが、特に身体には何も違和感はなかった。
攻撃ではなかったようだ。
「それなら魔法省に戻り次第、調べさせてくれ。何か後で困るような効果だったら困るからな」
「はい、ありがとうございます」
心配してくれるレナードがとても頼もしい。
予想外なことが起きたが、彼なら何があっても助けてくれると信頼していた。
魔法省に戻ると、予定より早い帰還にみんなは驚いていた。
「すまない。上に報告する前には詳しく話せないが、空いている会議室を大至急借りたい。調べたいことがあるんだ」
レナードが部屋を借りてくれたので、フィオナたちは会議室にそのまま向かう。
そこで速攻でレナードはフィオナを鑑定して調べてくれた。
「称号が追加されているだと……!?」
レナードの言葉にフィオナたちは顔を見合わせる。
「それで、一体何て書いてあるんですか?」
「女神のお気に入り、だそうだ」
一瞬の間のあと、大きな喚声が部屋に響き渡る。
「それって、どういう効果があるんだよ?」
ガザフの問いにレナードは黙って首を振る。
「特に効果なしだそうだ」
「いやでも、効果なしって言っても、すごいことだよな?」
「レルトニーさん、そんなことはありませんよ。みんながセレストさんみたいに鑑定は使えませんから、きっと分からないですよ」
「レナード君、その称号の取得条件は分かるのかな?」
「ああ、ゴードンさん。取得条件は、長年解き明かされなかった女神の仕掛けを二つ以上解き明かしたこととある。一つ目は無駄本、二つ目は——」
「食堂か」
フィオナ以外の声が見事に重なった。
「しかし、困ったな。どうやって報告すればいいのか悩むな。無駄本から加護をもらうには本を倒さないといけないが、カサドラ嬢以外に本を倒せないから、他の人には無理な話だろう? それを報告して、カサドラ嬢に負担がいくのは絶対に避けたい」
レナードの優しさが本当に嬉しい。
仕事人間とはいえ、思いやりを何より大切にしてくれる。
そんな彼だから、フィオナも頑張りたいと思えたから、迷宮内で最後まで諦めなかったのだ。
今回も悩むレナードを助けたくて、ふと考えてみたら、一つ思いついたことがあった。
「あの、今気づいたんですけど、私の攻撃力になるくらい、他の魔法司書さんたちを集めたら、攻撃力が同じくらいになって無駄本を倒すことは可能でしょうか?」
おずおずとフィオナが提案すると、レナードたちは顔を見合わせて目を輝かせる。
「さっそく検証したいが、みんなは大丈夫か?」
「もちろんだよ。すごく気になるからね」
「その仮説が合ってるなら、魔法省がさらに大騒ぎだぜ。マジで」
席を立つレナードにみんなは続く。
「ほんと、レナードの仕事中毒がうつったみたいだな」
そう言って笑うガザフの言葉にハンスとフィオナは微笑み、レナードは可愛らしい小鳥を頭に乗せたまま、困ったように苦笑していた。




