お祭り編-3
亜弓はメゾン・ヤモメの自室で、薄いピンクのワンピースに着替えた。浴衣でも良いかと持ったが、無難に女子力が高いファッションでまとめた。
髪は一つにまとめる。首が見えたほうが肉食っぽいだろう。メイクも唇にグロスを塗りプルプルにしてみた。
メゾン・ヤモメの住人はもう祭りに行ってしまったようで、亜弓も急いだ。
栗子が取り計らってくれて、サブカル系イケメン・雪也と会える事になった。栗子がどう言って承諾を取ったかは不明だがとにかくラッキーだ。
待ち合わせは16時半、ちょうど商店街の入り口だった。
時間より早く来て雪也をまつ。感染症が流行ってるというが、子供やカップル、女性グループや家族連れで賑わっている。
幸子の出店の方を見ると、メゾン・ヤモメもおばさん連中がはしゃぎながら何か買っていた。特に栗子は新作にロットに取り掛かり、早くも正気を逸していた。シンデレラストーリーなんて書きたくない、コージーミステリを書きたい、亡くなった夫と比べてヒーローが完璧王子様過ぎて辛すぎるとメソメソと鳴き声を漏らしていた。そんな中でこのお祭りは良い気晴らしになるだろう。
「あんたが、滝沢亜弓か? うちのオバタリアに呼ばれて来たんだけど」
そこに雪也がやってきた。あの初対面の時と同じように少々口が悪く、美人の亜弓に向かっても臆せず上から目線だった。亜弓はちょっとゾクゾクとしてながら、雪也に挨拶をした。
「私、この町に来て日が浅いじゃない。案内してくれると嬉しいですよ」
「チッ。オバタリア達と行けばいいじゃんか」
雪也は今日は半袖シャツに半ズボンというユルい格好だったが、長い前髪や薄い顔立ちはサブカル系男子で、亜弓の好みのドンピシャだった。口はどうも悪いらしいが、このルックスだったら一日中顔を見ていていたいと亜弓は思う。
「栗子先生は一応仕事先の上司だし、たまには仕事忘れたいじゃない」
それは嘘ではなかった。家でも仕事でメンタルを悪化させている栗子の相手をするのは、嬉しいわけではない。ただ、逆に仕事中に打ち合わせする事は減ったが。編集長は、何やら誤解したらしく家まで仕事をしているなんてキャリアウーマンの鑑だと喜んでいたが。
「さあ、行きましょうよ」
「まあ、いっか。俺は金が無いから奢らんぞ」
とりあえず二人はベーカリー・マツダの屋台に行き、串に刺さったカレーパンと紙パックもお茶を買い、食べながら歩いた。カレーパンは小ぶりであっという間食べてしまった。売り子をそしていたパン屋の店員が、少し変な顔をして亜弓を見ていたが、心当たりは何もないので気にして屋台から離れる。
「雪也さんはどんなお仕事してるの?」
「あぁ? 俺はネットで動画作ったり、ラノベ書いたりしてるんだぜ」
てっきりどこかへ勤めていると思った。詳しく聞くと趣味のゲームギターや株の動画そこそこ収入はあるらしい。動画配信者であった事は驚いたが、確かに事務や営業はあんまり向いていないかもしれない。
「ラノベは何? 本出してる?」
自分より若干背の高い雪也を見上げながら亜弓は質問した。
「ああ、異世界転生ものだよ。別に書籍化はしてねぇけど、あのオバタリアンまでラノベ書いてると思うと悔しいのさ」
「栗子先生は、ベテランよ。少女小説とはいえ」
雪也は話題が栗子になると明らかに機嫌が悪くなった。血のつながりも無いようだし、こんなもんなのかもしれない。それにおばさんではなく、オバタリアンと言っているのは、言葉のセンスが少々昭和で、どこか間抜けな響きがあり憎めない感じだった。
ケーキ屋スズキの屋台では、色とりどりのチョコバナナが売られていた。SNS映えしそうなカラフルなチョコでデコレートされている。若い女性達がチョコバナナを熱心に写真を撮っている。
「買ってやろうか?」
「いいの? 割り勘とか言ってなかった?」
「いいさ。別にあれぐらいい」
列に並ぶと、香坂今日子がチョコバナナを購入している姿が見えた。彼女はSNSによく顔写真をあげているし、何度か近所で挨拶をしたので顔を知っていた。綺麗に髪をセットし、派手めなワンピースで決めている。確かに美人マダム風である。今日子に若い男が話しかけていたが、どんな関係か不明だが。桃果達は、今日子が不倫していたと騒いでいたが、別にそんな風には見えない。もしかしたら仕事関係なのかもしれない。
チョコバナナを雪也に買ってもらうと、亜弓も写真を撮った。ピンクや黄色、緑のチョコで塗られたバナナは確かに映える。幸也にチョコバナナを持った自分の姿を写真に撮ってもらった。
しかしそれが終わってしまうと、話題も消え、二人の間に沈黙が落ちた。そういえに特に共通点がない。田辺のようなスケベジジイだと下ネタや妻の文花の悪口で盛り上がっていたが、この男とは何を話そうか。チョコバナナをすっか全部食べて口の中はまだ甘ったるい。口の中ほど頭の中は甘くならず、肉食スイッチもしぼむ。
「あれ、幸子さんの店の方騒がしくない?」
「なんだよ?」
メゾン・ヤモメの住人の幸子がやってる見せの前で初老の男がガミガミと文句をつけていた。
見覚えのある男だ。そういえばベーカリー・マツダでクレーマーやっているのを見た事がある。ここに始めてやってきた日の事である。
「だから!なんでこのクッキー先が割れてるんだ!」
初老の男は唾を飛ばしながら喚いていた。可哀想に幸子がすっかり恐縮し、プルプルと小動物のように帯怯えている。
ただ幸子に周りに何人か男がいて、守られてはいたが。いかにも男性の庇護欲を掻き立てるようまモテそうな女だ。亜弓はあれほど露骨に怖がれない。というかクレーマーの一人や二人ぐらいやっつけるが。
「おいおい、クソじじい! うるせーな!」
雪也がガラ悪く初老の男を睨むと、さすがに初老の男はしっぽを巻いて逃げていった。
「助かるわぁ」
幸子はホッとしていた。
「また工藤さんが怒ってたんかよ」
「あのおっさん、工藤さんって言うの?」
雪也は頷いた。
「この町の嫌われもんだよ。滝沢さん、アンタも気をつけな」
「そうよ。工藤さん、ちょっと頭変っていう噂があってね」
温厚そうな幸子も同意しているのだからよっぽどなのだろう。
「気をつけるわ」
そういうと幸子も雪ともホッとした顔を見せた。一応雪也が助けたという事で、アイシングクッキーやアイスコーヒーを幸子からただで貰った。亜弓までそのおこぼれにあずかれてラッキーだった。
「なんかお腹減った!」
その後、子供みたいに不満を漏らし始めた。やはり見た目と違って、性格は難がありそうだったが、顔はいい。顔はいいので、多少の性格の癖はスルーするか。
「なんかいい匂いしない?ごま油?」
「キムさんところのチヂミか」
雪也は輸入雑貨店のキムの屋台に直行し、熱々にチヂミを購入していた。キムによると栗子や桃果も作曲チジミを買っていったらしい。意外と似たようなコースを辿っている様だ。
「タッキーっていうんだっけ? 桃果サンがそう言うのを聞いたヨ」
少し訛った口調でキムさんが聞いてきた。
「滝沢亜弓よ。別にタッキーって呼んでもいいけど」
「じゃ、俺もタッキー呼びでオッケー?」
雪也にそう呼ばれるのはなんとなく釈然としない。この呼び方で果たして肉食関係になれるだろうか。どうも小学生同士のような名前の呼び方だ。
「別にいいけど」
「じゃ、タッキーで決定。なんかタッキーって面白いよ」
「何が? あのオバタリア連中とシェアハウスしてんのも面白いし、見た目と違ってけっこうサバサバしてねぇ?」
それはよく言われる。栗子達の同居は色々考えてこれが一番自分に利益がありそうだったので決めた事だが。
「まあ、俺のことはユッキーって呼んでいいからさ」
「ああ、そう…」
亜弓のテンションはどんどん落ちていく。これだと本当に小学生同士のような呼び方だ。雪也は、草食系男子とは思えないが、あまり恋愛に興味がないのかもそれない。ネットニュースでも恋愛しない二十代三十代が問題視されていた。外見もサブカル系だし、恋愛自体に今が興味がないという態度がありありと伝わってくる。
今回の恋愛も前途多難である。
こうも恋愛がうまくいかないと、あの田辺の妻・文花の呪いが今も効いていそうだ。やっぱり不倫は良くないと思った。
その後、亜弓と雪也は商店街のすぐ隣の公園に行った。ここにはテーブルと椅子があり、イートインスペースになっていた。屋台で買ったチヂミやパン、焼きそばやたこ焼きなどを食べる客達で混んでいて、二人はどうにか席についた。公園の奥の方は鬱蒼とした森と廃神社があると聞いたが、公園の中は賑やかでやかましいぐらいだった。
出来立てのチヂミは美味しく、亜弓も雪也もあっという間に食べてしまった。
ネットニュース映画の話題などくだらない話題で盛り上がる。やっぱり、どうも会話に色気が生まれず、小学生同士の会話のようになってしまった。
遠くのテーブルでは栗子と桃果の姿も見つけらた。近くに香坂今日子に旦那もいて楽しそうに雑談している。
変な組み合わせだなとその姿を見ていた。