エピローグ
蜂の巣をつついたような騒ぎ、という言葉がある。
誘拐事件の終息から数日経ったハミンスの街は、その比喩通りの大騒ぎに呑み込まれていた。
連続誘拐事件の発生に端を発して、守備隊と警邏隊、冒険者ギルド、そして盗賊ギルドまで一致協力して行われた大捕物は、出てきた証拠と、捕まった数名の証言により、高位貴族の逮捕という結末に辿り着くこととなった。
貴族たる権力を悪用して、他国へと被害者を売り飛ばす人身売買、違法奴隷、そしてこの誘拐を主導した者がいたことが発表され、さらに、そんな巨魁が逃げ切れずに捕まった事実は、ハミンスの街に立ちこめていた重苦しい空気を一掃してくれた。
もちろん嬉しい話題ばかりでもない。
すでに街から連れ出されていた被害者の行方は今以て不明で捜索中、モンスターから街を守る外壁は破壊され、大急ぎで修復作業が進められている。
冒険者ギルドには逮捕された貴族に金を握らされていた職員がいたし、盗賊ギルドでは内偵していた構成員が複数名殺されていた。
一番被害の少なかった守備隊も敵の魔法使いを無傷で捕縛出来たわけではなく、またこの騒ぎの沈静化と後始末のために徹夜の日々が続いているという。
駆除作業に精を出しても、即時にすべての蜂がいなくなるわけではないのだ。
ブラスタインは当初黙秘すると思われた。
が、どういった心境の変化か聞かれれば素直に喋っているらしい。
このため、暗殺の危険があるとして一部の者を除き面会禁止となった。
事件解決に貢献してくれたからと、ナスターシャは特別に面会の許可を出そうとしてくれたが、状況を鑑みて俺から断った。
話だけなら落ち着いてからでも良いのだ。
生きてさえいれば、そのうち機会もあるだろう。
表面上は事件解決のお祭りムードで街は一色、裏ではどこもかしこもピリピリした空気が続いていた。
俺はといえば、ナスターシャ率いる守備隊員の前で正体を晒してしまった。
別に後悔しているわけではないが、かといって何事もなく、とはいかない。
いつかスピカも言っていたが、そもそも魔法使いという存在そのものが強力無比で引く手数多だ。
そこに伝説上の存在である魔導士でござい、と俺が出てきたのだから、味方に付けたいのは当然だろう。
うちに就職しませんか、と連日のように勧誘されている。
誰からかと言えば、守備隊と、盗賊ギルドの二カ所から。
日参してくる守備隊員は目の下に真っ黒な隈が浮かべている。
聞けばここ毎日三時間しか寝る時間が無いとかで、俺に声を掛けている時間は休憩扱いらしい。
うわあ。
体調を気遣いつつも、俺は丁重にお引き取り願った。ご苦労様です。
一方の盗賊ギルドからは、禿頭の眩しいホークアイが来た。
直接的に口にこそ出さなかったが、ことの顛末、特にブラスタインとの一件は聞き及んでいるようだ。さすが親分とか、口を開くたび、俺をダシにしてルピンの見る目を称えている。
不幸中の幸いなのは、どちらも強引な勧誘は避けている点だ。
俺の勘気を被って関係を悪くしたくない、という気持ちの表れだろう。
ホークアイは、有名な菓子を手土産にソフィアの店にやってきた。
そう、俺は今も、ソフィアの店に続けて泊まっていた。
いいかげん他に宿を取るつもりだったのだが、ソフィアから強く引き留められて、断り切れずにこうなった。
「お嬢さんもどうぞ」
「えっ、……いいんでしょうか」
ホークアイの持ってきた菓子は、きっちり三人分あった。
俺とソフィアとホークアイ。最初からそのつもりだったのだろう。
「お茶をお願いしていいか?」
「あ、はいっ。今お持ちしますっ」
そうして三人で席を囲んだ。菓子はなかなか美味で、礼を言った。
しばらくして空になった紅茶を入れ直してくると、ソフィアが席を立った。
二人きりになり、本題に入った。
俺がどこの組織にも所属する気が無いことを重ねて言うと、ホークアイは残念そうな素振りを見せつつも、あっさり引き下がった。
代わりに懐から何かを取りだした。
「これが先日の依頼、その報酬になります。他のものが良ければ、今からでも別のものを用意しますが……」
騒ぎに気を取られてすっかり忘れていたが、ルピンに頼まれた配達があった。
受け取ったものを見ると、またしても封筒だ。
流石にラブレター風ではなかったが、俺が眉をひそめ、手元からホークアイの顔に視線を直すと、とりあえず開いてみてくださいと彼は笑った。
中身は銀色のプレートだった。
意味を尋ねようとして、ホークアイが笑みを深くした。
俺は失策を悟った。
やはり彼も盗賊ギルドの幹部なのだ。決して油断できる相手ではなかった。
「いわゆる身分証明書ですよ。持っていない場合、街によっては門前払いされます。これ一枚で通行証も兼ねています。裏面にも目を通してみてください」
刻み込まれているのは、俺の名前と、他には……
「身元保証人として名前を連ねているのは、うちの親分、ハミンス守備隊長ナスターシャさん、冒険者ギルドのリーナ嬢……、ま、今回の関係者の分をまとめて、ですね。親分の名前が微妙に違うのは気にしないでください。そっちは表の顔なので」
「……なるほど」
俺は再度プレートに目を落とした。
「どうでしょう、ご満足いただけましたか?」
「ええ、ありがとうございます」
「これがあれば街の出入りに困ることは減るでしょう。それと、親分が会いたがってましたんで……落ち着いたら、顔を出してやってください」
身分証明書にして、通行証。
理由も分からぬままに、突然この世界に飛ばされて来た俺にとっては、金銭よりも、よほど価値のある報酬だった。
そしてまた、彼らが俺が何をもらえば喜ぶのかを考えた結果であることも、すぐに分かった。
ホークアイは、ゆっくりと席を立った。
「ではヨースケさん、またお逢い出来る日をお待ちしておりますので」
「ええ、そのときは、よろしくお願いします」
戻ってきたソフィアと入れ替わるように、辞去するホークアイ。
美味しい紅茶ありがとうございました、とさりげなく語って去るその背中は、禿頭をものともしない格好良さが滲み出ていた。
客の去った店で、俺はソフィアと向かい合う。
実は今日が服の納品日だったのだが、朝のうちに使いの者が来たのだ。
大物貴族の逮捕に貴族社会も上を下への大騒ぎとなり、受け取りに来る日程が先延ばしになってしまった。
誘拐事件に巻き込まれても、当初予定されていた期日までに完成させたソフィアにとっては、あるいは気の抜ける結末だったかもしれない。
そう、服は昨日のうちに完成した。
俺はそれを見届けた。
ソフィアが俺のスーツから着想を得て作り上げた、女性貴族のためのスタイリッシュでエレガントな装い。
善し悪しを口に出来るほど俺は衣服に詳しくない。
それでも、ソフィアの努力と熱意は知っている。
参考にしたスーツに似てはいる。
だが、決してそのものではない。
これはソフィアのオリジナルだった。この短期間で彼女は作り上げたのだ。
「よく頑張ったな」
「えへへ……頑張りました。途中、色々ありましたけど……」
嬉しそうに微笑んだソフィアは、俺のスーツを手ずから返してくれた。
「もう、いいのか?」
「はい。長い間、ありがとうございました。このスーツはお返しします。あっ、ヨースケさん、また着てみていただけませんか?」
「いや、しかし」
「ヨースケさんが着ている姿を、もう一度見たいんです」
ソフィアの求めに応えるに吝かではない。試着用のスペースを借りて、久しぶりのスーツに袖を通した。
ネクタイをきつめに締めると、この世界に来る前のことを思い出して、なんとも言えない気分になる。
魔導書は、サイズ的にスーツのポケットには収まりきらず、かといって手元から離したくもなくて、テーブルの上にそっと置いた。
助けに向かったとき見られたはずだが、それ以降、スピカはソフィアに聞こえる場所では言葉を発しなかった。今日も同じだろう。
ソフィアは沈黙を守り続けるスピカにちらりと目を向けたが、すぐに俺の全身へと向き直った。
「やっぱり、似合ってますね。……着こなしてる、って言えばいいのかな」
「そうか?」
「そうです。とっても格好良いです」
初めて出逢ったときのように、ソフィアは言葉を探していた。
あのときみたいな必死さではなくて、とても落ち着いて、でも、何かを求めるような空気で。
「……ヨースケさん、今日のうちに、街から出て行ってしまうんですよね」
「そんなに分かりやすいか、俺」
確信を持って口にされた言葉に、俺は肩をすくめた。
ソフィアは店の隅を指さした。
大きな背負い袋があり、中身は少しずつ買い集めていた旅支度の用意だった。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
「俺に答えられることなら」
ソフィアは少し寂しげな笑みを浮かべた。
「ヨースケさん。どうして、助けてくれたんですか」
「ソフィアが誘拐されたのを知って、助けるために動かないって……俺がそんな薄情に見えるか?」
いいえ、とソフィアは首を横に振った。
でも、と目を伏せた。
「その前からです。ずっと、わたしに優しくしてくれました。スーツのことも。あの晩のことも。ずっと、わたしを助けてくれました。わたしは色んなことをしてもらってばっかりで、何も返せてないと思うんです……」
ソフィアの真剣な声に、俺は少し考えた。
泊めてくれたお礼だとか、可愛い女の子のためだから、と答えるのは容易い。
あるいは単なる気まぐれ、話の成り行き、それだけの力があるから。これらの理由も決して間違いではない。
嘘ではない程度の理由がいくつも脳裏を過ぎっては、どこかに流れて消えていく。
どれも全部正しくて、けれど、それだけじゃない。
「別にお返しなんか望んじゃいない。俺は、やりたいようにやっただけだ」
ソフィアは真剣な顔のまま、じいっと俺の目を見つめていたが、やがて諦めたようにため息を吐いた。少しだけ怒ったような口調で、
「ヨースケさん、目を瞑ってください」
「え?」
「いいから」
ソフィアの手に力がこもるのが分かった。握り拳か、それともビンタか。
俺だってデリカシーに欠けている自覚はある。痛い思いは覚悟の上で、ソフィアに言われるまま目を閉じた。
一秒、二秒、三秒、いつまで経っても衝撃はない。
代わりに、唇にやわらかな感触がふれた。
驚いて目を開けば、そこにはソフィアの顔が間近にあった。
頬と首筋と耳、きめ細やかな白い肌がほのかな朱色に染まっていた。
唇同士が触れ合う感触が離れると、ソフィアは息を吐き出して、言った。
「わたしもやりたいようにやっただけ、ですから」
硬直している俺を前に、一度微笑んでから、ソフィアは背を向けた。
エプロンドレスの裾が翻る。
店内に差し込んだ光が、編み下げの亜麻色の髪を明るく照らした。
「……すぐに行くんですよね、なら、さっさとどうぞ! あの晩、わたしに手を出さなかったことを後悔しても、もう遅いんですからっ! あと、そこにある袋、出て行くヨースケさんのために用意しておきましたから、必ず持っていってください……それから……それから……」
後ろを向いたまま、ソフィアは声を詰まらせた。
よく見れば、俺が支度しておいた旅装や携行食糧入り背負い袋の影に隠れて、中くらいの袋が置いてあった。
肩が震えているが、俺が近づこうとすると、それを後ろ手に制した。
「大丈夫……大丈夫なので、いまは近づかないでください。……顔を見たら引き留めたくなるから、そのままで。……いつかまた、このお店に来てくれたそのときは……」
声も震えていた。
俺は言われた通りに荷物を持って、店の扉に手を掛けた。
「またな」
「……はいっ、また……っ」
そして俺は、ソフィアの嗚咽を聞きながら、ドアから出た。
足早に先へと歩いて、少し離れた場所で、用意してくれた袋の中を覗いた。
何着もの服や外套が入っていた。
仕事の合間合間に、暇を見つけてサイズ直しもしてくれたのだろう。
しかも、どの服にもポケットが縫い付けられ、丁度スピカが入る大きさになっていた。
「ご主人様、ご主人様」
「なんだ」
「ワタシは空気の読める魔導書なので、口を挟むような野暮は控えましたが……もうしばらくこの街で過ごしても良かったのでは?」
袋の中に服を戻して、俺はソフィアの店を肩越しに振り返り、それから止めていた足を動かす。
朝の涼しい風を指先や額に感じながら、人の少ない道を、正門の方へとゆっくりと歩いて行く。
「前から決めてたんだ。ソフィアの作る服が完成したら、その時点で出て行こうって」
「ソフィアさんはご主人様のこと、引き留めたかったみたいでしたけど」
「でも、結局そうしなかっただろ。それが答えだ」
そう付け加えると、スピカは納得したようだった。
「さすがはご主人様……」
「何がだ」
「本気で惚れさせるための深謀遠慮だったとは……。先見の明ありまくりですねっ。もうソフィアさんはメロメロですよ! 堕ちてますよ! どっぷりですよ!」
「人聞きが悪すぎる!」
「ま、それは冗談ですが」
「なあスピカ……最初からずっと思ってたんだが、お前って意外と自由だよな」
「その方がご主人様好みだと思ったので!」
自信満々な返答に、俺は言い返せなかった。
「どうぞ、思うままに行動してください。このワタシはそれを支えるためにいるのです。たとえこの先にどんな困難が待ち構えていようとも! ご主人様が望む限り、この魔導書スピカ、いつもどこまでもご一緒しますから!」
からかう口調から一転、スピカは楽しげにこう続けた。
そして俺たちは初めての街、ハミンスから胸を張って出発するのだった。
というわけで、ハミンス編終了です。
改訂版にもかかわらず誤字脱字のご連絡、ご感想、ブックマーク登録、ならびに評価いただきありがとうございました!
以降も更新する予定ではありますが、今後は書き溜めて、一章分ごとに書き上がった時点で投稿することにしました。
筆の進み具合は落ち着いて書ける時間が取れるかとモチベーション如何ですので、今後もお付き合いいただける読者の方は、気長にお待ちいただければ幸いです。




