プロローグ
ようやく推敲が終わったのでアップします。
第二章ネストン・ラプソディ開幕です!
まるで一枚絵だった。
大地は明るくも赤く、頭上には青が広がっていて、天地の二色は混ざり合うことなく地平線に隔てられていた。
大壁に囲まれた街、あのハミンスを旅立ってからしばらくが経った。
今は荒野に一筋の線のように伸びきった街道から離れすぎないよう、スローペースで歩いている。
気ままな徒歩の旅である。
街道といっても、きちんと舗装されているわけではない。
ただ、大きな街を繋ぐために使われているルートであり、荒野に覗く赤土の地肌とは若干色が違った。
おかげで道を逸れない限りは、ほとんど迷うことなく街から街へと歩いて行ける、という寸法である。
「しっかし、結構見慣れたつもりだが……この辺りもすごい景色だな」
「天気にも恵まれましたね。ともあれ、ご主人様が楽しそうで何よりですっ」
「グランドキャニオンとか、こんな感じなんだろうなあ」
「あの、ご主人様。もしかして元の世界に戻りたかったり、します?」
スピカが一瞬沈黙し、それから困惑した声で聞いた。
「多少の未練はあるが、絶対に戻りたいとまでは思わないな」
「そ、そうですかっ」
家族もいない。友達もいない。
突然の失踪でどんな扱いになっているか。そうしたことを考えると、必死になって日本に帰る手段を探すつもりにもならない。
もちろん懐かしき食事の味とか、完結していない漫画や小説の続刊とか、その他諸々で諦めきれない部分もあるにはある。
ただ、いつかの日々を思い起こすに、今の生活より優先したいとは思えなかった。
このあたりの機微をスピカも読み取ったのだろう。露骨に安心した声だった。
燦々と降り注ぐ太陽光もあたたかで、時々抜ける風も気持ちが良い。
街道に沿って進んでいるうちに、たまに馬車が後ろから追い抜いて行ったり、商隊だの旅団だのとすれ違ったりもする。
街道はただの目安だ。しかし、街道周辺には滅多にモンスターが出ない、という特徴がある。モンスターが出にくいルートだから街道にしたのか、それとも街道として人間が使うからモンスターが寄りつかなくなったのか、どちらが先なのかは分からない。
スピカに言わせれば、古代文明が何かしたんじゃないですか、との答えが返ってきた。確かに、モンスターの発生も古代文明が遠因と考えれば、モンスターを遠ざけることも可能かもしれない。
人智の及ばない現象はだいたい古代文明が原因とは前も言っていたが、なんだかなあ、である。
急ぎでもない。
目的地も定かではない。
そんな気楽な旅のつもりで徒歩を選択したのだが、こうした景色を目で楽しむのも、こんな乾いた外気を肌に感じるのも、旅の喜びと言える。
こんなゆっくりとした観光も悪くない。
「やっぱり旅行は、誰にも急かされず、楽しみを探しながら……」
「ご主人様っ」
スピカの声に首を動かすと、砂煙が見えた。
十分前の長閑な情景は、そこにはなかった。
俺が歩いてきたのと同じ、何も無い荒野が続いていた。樹木や障害物もない、赤土の剥き出しになった大地。
地平線の向こうから数匹のイノシシが突然現れた。
そしてずっと先の方で、小さな馬車が吹き飛ばされたのが見えた。
車を牽いていた馬が踏みつぶされ、勢いよく馬車から投げ出された少女に遅れて、青空に鮮紅が散った。
俺は歯がみしたが、まだ間に合うかもしれないと急いだ。
手遅れだったかと一瞬思ったのは、血が噴き出したように見えたからだ。
それは血飛沫ではなく髪だった。
血と見まごうばかりの目の醒めるような鮮やかな赤毛がやわらかく広がって、そして重力に引き戻される。
イノシシの群れは突っ込んで横倒しになった馬車には目もくれず、地面に転がったこの少女にだけ注目し、踏み殺す勢いで群がっていった。
イノシシは出現時には数匹だった。
馬車の横転を目撃した直後、俺は現場に駆け寄って見えた三匹を《氷狂矢》で射殺した。
イノシシの肉体は霧散し、その場に十数枚の銀貨が転がった。
その直後、何かに呼ばれたかのように、同じ種類の魔猪が集結してきた。
少女への突進は続く。
あと一歩遅かったら轢かれていた。俺は地面にうつぶせだった身体を脇に抱え、その場からすぐさま遠ざかることを選んだ。
咄嗟の判断は正しかった。
続いて現れた無数の魔猪、これらの執拗な追跡は、まるで最初からこの少女にしか興味が無いというようだった。
真っ先に壊された馬車には一匹も近づいていかなかったのだ。馬車の中には、少女の父親が乗ったままのはずだ。姿は確認出来ず、無事かどうかは分からない。
大量の魔猪であっても、殲滅するのは容易い。
俺にはあの大量のグランプルを根こそぎ焼却した《不諦焔》があるのだ。
そんな俺の余裕を、スピカは一言で奪ってくれた。
「ご主人様、マナ中毒にご注意ください!」
俺はスピカの言葉に、いつかの説明と、道中で聞いた詳細を思い出した。
浮遊マナ。
別名、経験値。俺にとってはその認識だった。
発生したモンスターが内包する濃密で大量のマナ、その残滓である。
死んだモンスターを中心として、風船や爆弾が破裂するような形で浮遊マナが周囲へと放射され、一挙に拡散し、人体に浸透、蓄積する。
浮遊マナは、取り込んだ量によって頑健さや反応速度、持久力や筋力その他を飛躍的に強化する形でプラスに働く。
レベルアップの常套手段である、経験値の獲得を思わせる効果を持っている。
ファンファーレが鳴らないのが不思議なくらい、レベルアップそのものだ。
しかし、劇薬のようなもので、各個人によって取り込める限界がかなり違う。
浮遊マナそのものは、発生した直後から減衰を始める。
自分の限界を超えず、少しずつ慣らしていけば耐性がつき、肉体強化の程度に比例するように一度に取り込める量も増えていくのだが、これがなかなか難しい。
以前、スピカはこんな表現をした。
「レベルアップするたび、次の必要経験値が上がるようなものですね! ですが、その必要経験値を大幅に超えた量を一度に取り込んでしまうと、浮遊マナに対する中毒状態となり、決して無視出来ない規模のリスクが発生するわけです」
「……順を追って、段階を踏んでレベルアップしないと、強化のプラスよりもデメリットの方が大きくなる、と」
「マナ中毒の症状としては、分かりやすいところでは体調不良や気絶、激痛に苛まれたり嘔吐したり幻覚を見たりします。あるいは強烈な拒絶反応を起こすばかりで結局これっぽっちも強化にならない……どころか、極端に弱体化する危険すらあるわけです」
曰く、最悪の場合は死に至るという。
比喩ではなく、即死だ。
「あと一応気を付けないといけないのは……十把一絡げな冒険者が、一匹倒して問題無かったからと、調子に乗って二匹、三匹と倒していくうちに許容の限界を超えて、敵が残っている状況なのに気絶したり、激痛に苛まれて注意力が散漫になったところで奇襲を受けて死んだ、なんてパターンです。これ、ダンジョンの奥なんかで結構発生しますね」
スピカの上げた事例に、俺は何とも言えない顔をしていたと思われる。
倒しても地獄、倒さなくても地獄である。
実はモンスターを殺すことそのものにも結構なリスクがあったらしい。
「ご主人様に限ってはこの心配は皆無ですが……他の有象無象では、そうもいきませんから。足を引っ張られないように、そうした事例もあると覚えておいてくださいっ」
限度を超えるかどうかは、まず発生した量、次に体内に吸収し、蓄積した量の問題であるため、密度、期間や距離さえ調整すれば、ほとんどそういった問題は起きない。
一応、先の例のようにダンジョンの深部に進んでからマナ中毒になっても、即座に詰むわけではない。時間を置けば中毒症状はだんだんと回復していくため、倒さずに逃げるか、どこかに隠れてやり過ごせばいい。
繰り返すが、浮遊マナの発生は、モンスターの死がトリガーだ。
トドメさえ刺さなければ良いのである。
そもそも普通は自分が苦戦しない程度のモンスターであれば、数匹程度倒したところで得られた浮遊マナでは中毒にならないらしい。
妙な形でバランスが取れているというか、何というか。
もちろん、ゴブリン一匹殺しても浮遊マナは発生するし、長く活動してきた冒険者ならばそれなりに耐性があるものだが、戦闘に不慣れな一般人はそうもいかない。
実のところ、モンスター退治とは、周囲の状況にも意外に気を遣うものなのだ。
敵が強力なモンスターであればあるほど、内包する浮遊マナの量も巨大になる。
すると、辛うじてモンスターは倒せたが身動きが取れなくなって死んだとか、護衛対象が流れ矢ならぬ浮遊マナで死んだ、なんて笑えない笑い話も出てくる。
昔、経験値のおこぼれでパワーレベリングを画策した者もいたらしい。
上手く行けば効率的だが、失敗したら足手まといや犠牲者が大量に発生することになる。
お手軽なレベル上げには相応のリスクが伴う、という教訓でもあった。
以前、グランプルを大量かつ短時間で焼き滅ぼしたことがあった。
そのとき発生した浮遊マナを取り込んだおかげで、身体能力が当初より激増したことは記憶に新しい。
そもそも魔法使いであれば、浮遊マナを一度に取り込める限界量が人より多く、魔導士ともなれば、さらに桁外れの量を取り込めるのだとスピカは言った。
「ですが、ご主人様の場合、その上なのです! ある程度の危険を伴う浮遊マナを取り込むことに関して、リスクとデメリットがほぼ存在しません! なんという器の大きさ! 流石すぎますご主人様!」
そう、俺ならば大丈夫だ。マナ中毒にはなる危険はまず無いと言える。
つまり、スピカの忠告は、別の意味を持っていた。
一瞬だけ浮遊マナについて思い返していた隙に、スピカがこう続けた。
「量や密度によっては、その子、死にますっ」
「……マジか!」
「マジです! さっきの三匹で、すでにマナ中毒の危険がありますから!」
俺は、意識を失ったままの赤毛の少女に目を向けた。
走りながらの会話で、語調は強い。いくら軽くても小脇に抱えては走りにくく、折を見て米俵のように肩に担ぎ直した。
返ってきたスピカの声に冗談の気配は皆無だった。
攻撃魔法を放ってモンスターを消し飛ばすのは容易いが、そのせいでせっかく助けたこの少女を殺す羽目に陥ったら目も当てられなかった。
《氷狂矢》で一匹ずつ狙い撃つことも考えたが、少女が浮遊マナの負荷にどれだけ耐えられるかは不明瞭だ。
「対処法は!?」
「この場合、影響がない場所まで遠ざかって倒す以外ありません!」
「クソ!」
悪罵を吐いても酸素が減るだけだった。
そして俺があの魔猪の大群に追いつかれないのも、これだけ走ってもなお体力に余裕があるのも、今問題にしている浮遊マナのおかげだと思うと複雑な気分だ。
「足止めだけならどうだ!?」
「っ! 死なない限り、モンスターはマナを撒き散らしません! それなら」
「《氷狂矢》で行けるか!?」
「まともに当たれば一撃で過剰威力ですし、走りながら急所を外すのは厳しいかと! 威力を抑えて、範囲を拡げた《轟雷嵐》なら行けるかもしれません!」
「やれるな!?」
「やります!」
スピカは声を高くして、肯定した。
実際は威力調整は難しいはずだ。
強弱だけならさほどでもないが、死なない程度に動けなくするなど、こんな忙しない状況で狙えるものではない。
「よし、あとはタイミングだな!」
「ご主人様! あの岩陰に!」
遮蔽の無い荒野だったが、結構な距離を走っているうちに、景色が変わっていた。赤銅色の大地が続く向こうに、大きな岩がいくつも鎮座ましましている区画がある。
スピカの提案に乗って、俺は岩陰を目指した。
雲一つ無いせいか、少し眩しい。
太陽に向かって突き進んでいる気分だった。
岩陰に辿り着いたら、振り返って《轟雷嵐》を放射して足止め、その後可能な限り距離を取って《不諦炎》を使用、これにより大量の魔猪を処理しつつ、俺は浮遊マナの影響圏内からこの子を連れてなるべく遠ざかる。
完璧な作戦だった。
走っている途中、抱えた少女の重さが突然変わらなければ。
5/5誤字脱字修正しました。ご報告ありがとうございます。




