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「おミヨ……澪子はのう、昔から――いや前世からひと一倍気は強かったが、優しいおなごじゃった。じゃから山神の生贄として捧げられることになったときも、はじめは逃げ出そうとはしなかったんじゃ」
澪子――前世のおミヨと、湖沼にやって来た男――タスケは恋仲だった。
しかしときは今よりもずっと厳しい時代。村を飢饉が襲うと、おミヨはこの山一帯を治める神に贄として捧げられることになった。
タスケは愛するおミヨと駆け落ちすることを画策したが、彼が語ったようにその企みは失敗に終わる。
おミヨも、タスケも、その命を無惨に散らすこととなった。
「そのときにあたしも捧げられたんじゃ。あたしのことはおミヨがたいそう可愛がってくれてな。おミヨは自分が腹減らしとるときにも、あたしにご飯をわけてくれたものじゃ。――じゃから、あたしはその恩に報いようと、山神様に頼んだんじゃ。おミヨの魂の代わりに、あたしの魂を差し出す。だから、おミヨをまた人間に生まれ変わらせてくれとね」
「……山神様もお優しい方じゃよ。ただの猫だったあたしを、沼神にしてくださったのだから」
かつて「タマ」と呼ばれていた沼神は、おミヨの姿を借りて沼神になり、この湖沼に居続けた。おミヨと、自身が捧げられたこの湖沼に。
もとより沼神となった時点で、どこぞへ自由に行ける身ではなかったが、沼神はこの湖沼に居続けた。
待ち続けた。
いつかおミヨとタスケが生まれ変わって帰ってくると信じて。
もし、タスケが先に生まれ変わっておミヨを探しに来たとき、すぐに気づいてくれるように沼神はおミヨの姿を借りたのだった。
だが、先に帰って来たのはおミヨ――澪子のほうだった。
「順番は前後してしまったが、澪子もずっと湖沼に居るわけにもいかぬ身であるしな。タスケが来たときのために、あたしは引き続きおミヨの姿で居続けた、というわけなのじゃ」
「……なんだ、あんたの前世の恋人とかじゃあなかったんだな」
ぽろりとこぼれたヌシの本音に、沼神は目を瞬かせたあと、くすりと笑んだ。ヌシは居心地の悪い思いになる。
「ふん、猫だってえのに犬みたいな忠義心だ」
「猫にだって恩義を感じる心はあるんじゃよ」
「するってえとなんだい。俺にちょっかいをかけてきたのは、もとが猫だったからかい」
「ふふ、まあそういうところもあるかのう。もう猫とは程遠い姿となって久しいが……。とにもかくにも、願掛けをした甲斐があったよ」
「願掛け?」
「『この先、あたしのどんな願いも叶わなくていいから、ふたりを再会させてくれ』――ってね。まあどれほどの助力となったかは定かではないが……」
「――いや、きっとあんたのお陰さ。あのふたりだって、あんたにはたいそう感謝していただろう」
「別に感謝されたかったわけでもないしのう」
「……これからは」
「ん?」
「これからは、もっと自由に振舞っていいんだろう?」
「そうじゃのう。沼神となったから、ここから離れることは叶わんが……」
「どこかへ行きたいのか?」
ヌシの声は、自身でもおどろくほどにどこか切ない響きを持っていた。
そんなヌシに、沼神は微笑みかける。
「この湖沼は今や――いわば、第二の故郷とでも言うべき場所じゃと思っとる。離れたいとは思っとらんよ。麓には澪子の家もあるしのう」
「……そうか」
「それに」
沼神はヌシへと近づき、そのヒゲをいつもの調子でつついた。
「ヌシ、お前が湖沼におるからな」
……ふたりが再会したのち、なにやら回り回って「鯉沼」は「恋沼」と呼ばれるようになった。
「恋沼」に願掛けをすれば恋愛が成就するという噂が流れ、湖沼は心霊スポットから一転、知るひとぞ知るパワースポットとなった。
人間とは不思議なもので、パワースポットと呼ばれる場所では礼儀正しくしたいという心理が働くらしい。
心霊スポットとして知られていたころより、無断で山に立ち入ったり、荒らしたりする人間は大いに少なくなり、山を管理する澪子の負担も大いに減ったのだった。
――というような事情はヌシにはあまり関係がなく、今日もヌシは湖沼で巨体で水を切り泳ぎ回り、ときどき沼神にヒゲをつつかれているのだった。
めでたし、めでたし。




