3―4 異界との闘い その四
翌日の午前9時半までには、儂も野津幌のベースキャンプに転移していた。
既に調査団の全員がそれぞれに準備を整えている。
少し異様なのは、調査団に戦車や装甲車が随伴することであり、前回の陸自の単独調査よりも明らかに人数が多いことじゃろうな。
前回は、中隊規模でいくつかの異界調査を同時並行で実施したわけじゃが、今回は野津幌の異界への接続点単独で、大隊規模の派遣に民間科学者と官僚(課長クラス?)が随伴する形であり、前回には準備していなかったドローンも持ち込むようじゃ。
ドローンが向こうで無事に機能することが分かったならば、いずれ武装ヘリも持ち込む予定らしいが、今回の調査中では無いと聞いておる。
仮に調査団に異常事態が発生しても、通常の連絡手段が無いので、一応、非常事態発生の信号を送伝できる手はずは整えているが、仮に異常事態発生からこちら側で五分で出動したにしても、異界への接続点内部ではその百倍近い時間が経過しており、信号発信から最低でも8時間が経過しておるはずじゃ。
まぁ、救急車が連絡を受けてから到着までに8時間もかかるのでは、物の役には立たんのぉ。
儂は、陸自の部隊と一緒に行動することにしている。
異常があった場合に、内部での有効な通信手段を持っているのは陸自の部隊だから、そのそばにいたほうが儂も動きやすいのじゃ。
因みに、周囲の警戒については、儂もおろそかにはしないつもりじゃ。
ただ、まぁ、病原体なんぞの警戒はほぼ出来んな。
例えばコレラ菌のように、ある程度正体が分かっておるものならば別かもしれぬが、人間にとって危険な因子として何となく感知は出来ても、それがどの程度危険かどうかは流石にすぐにはわからぬのよ。
儂が感知した危険因子全てに対して、アラートを発していたなら、調査団は何もできぬじゃろう。
従って、彼らも一応簡易な防護服を着用しておる。
儂は自らの結界が有るのでそんなものは不要ではあるのだが、陸自の者も全員が装着しているので、儂だけ例外と云う訳にには行かぬようだ。
これまでこの身体一つで何度も異界へ出入りしているから、ある意味今更感が強いのじゃが、まぁ、余計なところで物議をかもしても仕方がないじゃろう。
ここは、見かけ上の年長者の言うことを、おとなしく聞いておくことが利口というものじゃろう。
ところで魔素の測定器は、九幌の我が家を標準値の「1.00」として、零点調整を行っていたのじゃが、やはり、こちらの異界の方が少し濃度が高そうじゃな。
未だ野津幌の異界の外のベースキャンプであるというのに、数値は1.07を示しておる。
飽くまで儂が勝手に決めた測定係数の上での数値じゃから、必ずしも当てにはならんのじゃが、少なくとも比較材料にはなる。
これで、異界の中でさらに高い数値が出れば、異界の中の方が魔素濃度が高く、人間が住む世界へ、魔素が徐々に浸透して来ていることが分かることになる。
検証には、より正確な装置が有った方が良いし、いくつもの観測を行った結果を検討せねばならぬじゃろうが、その辺は学者共に任せるつもりじゃ。
但し、魔素濃度の上昇が早ければ、今後どんな異常が此方側で起きるかは不明なので、早めにこの装置の存在を教える必要があるやも知れぬ。
それと、異界の中での魔素濃度が一定かどうかも、今回調べてみる必要があると思っているのじゃ。
そのために昨夜複製品を多数生み出しており、鬼どもにこの複製品を持たせて、離れた場所で計測をしてもらう算段をしているところじゃ。
◇◇◇◇
そうして午前10時に異界への侵入が始まった。
最初に陸自の先遣隊が入っているのだが、概ね5秒遅れで調査団が一斉に侵入を開始する。
この異界を経験している者ならば、左程は驚かぬじゃろうが、異界に侵入してまず驚くのは異界の侵入口であるドーム内部の構造じゃろう。
あちら側で見たよりも非常に高い位置に半球状のドームが広がっており、一気に異界の景色が広がるのだ。
その上で、かなり獣の臭いと云うか養豚場のような臭いが鼻に着く。
田舎の農場にでも行けば、当たり前に嗅げる臭いではあるが、都市部で机に齧りついているような学者連中にはこれはきついじゃろうな。
そうしてそれとは別に草いきれと云うか、フィトンと言うか、優勢な植物が発する香気のようなものを感じ取る者もいるじゃろうのぉ。
異界は、大自然がいっぱいの世界なのじゃよ。
取り敢えず、ここでなすべきは、異界側のベースキャンプの確認である。
半径100mほどの周囲にトゲトゲのついた高さが5mほどの鉄柵をめぐらし、その中に、プレハブ造りの第二ベースキャンプが構築されていた。
今日の予定は、この施設の確認と研究設備機器の起動確認だけの予定である。
自分たちが使う機器の確認を終えたならこちらの時間で4時間後には異界から出ることになっているのじゃ。
儂に割り当てられた部屋も有るので、それを確認した。
6畳間程度の広さの洋室であり、飾り気のない寝台一つと机・椅子が置かれており、電気も既に送られてきていたので、照明も点くことを確認した。
先遣隊がとりあえず発電機を起動して、通電をしたようじゃな。
従って、必要であれば、ここに電気製品を持ち込むことも可能じゃが、儂が持ち込むとすれば精々ノートパソコンぐらいかな?
そもそも、儂にはインベントリが有るので、必要なものは常時持ち歩いておる。
ここでは、トイレや洗面所は、学校と同様に共同じゃし、風呂も共同風呂が有る。
サウナは無いが、風呂とは別にシャワー設備が有るので、必要な場合には汗を流すことはできるな。
儂の場合は、必要ならば即座に家に戻ることもできるので、特段の心配はないが、向こうでの時間の百倍で異界の時間が進むのじゃから、余り勝手に異界から出るのは要注意じゃな。
一方で、その儂の部屋で魔素の数値を確認したが、計測器は1.10を示していたな。
やはり、異界の方が、魔素濃度が高いのは間違いない。
儂の部屋の隅に箱に入れた計測装置一台を設置しておき、次回来る時に数値の比較をするつもりでおる。
それから、この異界のベースキャンプの周囲の危険の有無を再度確認してから、一旦は、ベースキャンプを離れた。
鬼どもが居る所へ転移して、彼らに色々なところでこの機器を使って魔素の計測を頼んだのじゃ。
鬼どもが残してくれる記録は、次に来た時に回収するつもりじゃ。
鬼達は気安く請け負ってくれたな。
彼らも、この魔素が濃い異界の方が活動しやすいと見えるのじゃ。
何しろ、餌が豊富なことが彼らの最も気に入っているところらしい。
現在までのところ、鬼どもが強敵と感ずるようなモンスターには出遭ってはいないようなので、彼らが最強の存在なのじゃろう。
鬼どもに依頼をして、すぐに儂は部屋に戻ったよ。
それからベースキャンプでも正午に一応食事が出るんじゃが、陸自の携帯食なるものを初めて食べてみた。
携帯食と云うので左程美味いものでは無いだろうと思って居ったのじゃが、意外と美味かったので驚いたよ。
儂が長時間にわたって異界に居っても、九幌の時間ではさほどの時間では無い。
仮に、異界の地に2週間滞在したにしても、九幌では3時間半の時間しか経過しておらんのじゃ。
従って、土日に各一度3時間半ほどの不在で、ほぼ一か月分の活動ができることになる。
これは調査団全員が味わうことになる時間のパラドックスじゃ。
毎日3時間半ほどの不在で仮に一月の内20日を異界での作業時間に充てれば、1年間で9年程歳を余分に取ることになるな。
仮に老化がそのまま進めば、教授クラスはかなりの老齢になることも覚悟しておかねばならぬじゃろう。
ただ、儂の感覚としては、老化は余り無いのではないかと考えている。
無論、明確な根拠なんぞは無い。
この辺は、いずれ医者か生物学者が探求するのじゃろうと思う。
いずれにせよ、特段のことも無く、異界での確認作業は終了し、異界での滞在時間4時間で我々は異界を退去した。
その際に発電機を止め、全ての機器を停止することになるが儂の置いた計測装置だけは別だな。
儂の計測装置については、消費電力も少ないのでスイッチを入れた状態で2年程は持つはずである。
九幌の時間で言えば一週間程度じゃな。
従って、土日にはチェックのために儂だけでも異界に入ることにしておる。
電池の交換だけなら九幌の時間で数秒単位の時間経過で済むじゃろう。
野津幌に戻ると、すぐにも検討会が開催された。
儂が出る必要も無いのじゃが、一応顔見せはしておくしかない。
翌日は、向こうの時間で12時間の滞在を確認してみる予定となっている。
徐々に、身体を慣らし、少なくとも異界で二週間程度の滞在が可能になるように少しずつ滞在時間を延ばして行く計画なのである。
儂の場合、お付き合いできるのは夏休みの間だけで、その後は土日に限って参加することで全体計画にも入っておるのじゃ。
さて、それはともかく、慶応大学生物学部の高島教授に老化の検証について、儂の疑問を打ち明け、動物による検証を行ってはどうかとの提案を行った。
「なるほど・・・。
佐島君としては、異界では老化が遅延しているのではないかと考えるわけですね?
但し、それが感覚的なものであるから、別途の検証が必要であると・・・。
確かに、イソハゼ科のEviota sigillataは非常に寿命が短い脊椎動物として知られていますな。
あれが手に入れば、彼の地で寿命が延びるかどうかの検証が可能かもしれない。
手頃なところでは、カゲロウを使ってみるか、それともモルモットで6年程経過したものを使うという手もありますな。
カゲロウの場合、成虫になるまでの時間がほぼ一年それから死ぬまでわずかに一日です。
また、モルモットの場合は、概ね寿命が7年前後ですから、1年も保てばよい方でしょう。
向こうでは96倍の速さで時間が過ぎて行くのが間違いなければ、こちら側の時間で四、五日も経てば確認は出来ましょうな。
但し、モルモットの場合、人が居なくても自動的に給餌と給水ができるような仕組みを考えねばならないということですな。
監視装置の設置と共に、可能な範囲で検証を行ってみましょう。
仮に、老化の遅延が確認されれば、あるいは、この異界への移住を望む者も出て来るやもしれませんな。」
どうやら、前向きな話として取り組んでくれるようだね。
異界へ来て老化を回避するか・・・。
なるほど、そこは儂も考えては居なかったな。
そう言えば、不老不死は、徐福の時代から人類の夢であったな。
不死は無理でも、老化が少しでも防げるとなれば、それを望む金持ちが確かに異界へ移り住むことはありそうな話じゃな。
その場合、発表をどうするかは学者連中と官僚どもに委ねるしかないな。
儂が率先して何かをするような事象ではない。




