完全記憶
森を疾走するうちに分かったことが2つある。
一つ目は、ここに棲む魔物は俺とアルシェを見掛けたらしつこいぐらい追っかけてくること。遠目に目撃しただけでテリトリーすらも放棄する執念深さが何処から湧いてくるのか皆目見当もつかないが、見つかったら基本的に全ての魔物魔獣を相手に逃走劇を繰り広げる必要がある。これが非常に面倒くさい。
だが悪い事ばかりでもない。と言うのもこの森の植生の中に、奴らが苦手としている花があるのだ。
それは瘴気だけを溶かす毒を持った群生花で、踏むのは勿論のこと刺激を加えると猛毒の花粉を周囲にばら撒くという習性まで持っている。人間には無害だが多かれ少なかれ瘴気を宿している魔物相手にはまさしく効果覿面であり、これが生えてる場所には奴等も近付いてこない。
まあ中には鶏蛇合獣種のように《毒属性》を持つものが侵入して来るから絶対に安全とは言い切れないが。
それが分かってからは花の香りを頼りに休憩場所を探したり、夜はそこを拠点とするなどして襲撃を回避していた。これが2つ目の発見。
「よし、今日はここで朝を待つか」
流石の俺でもヒト一人を腕に乗せて走り回るのは疲れが溜まる。腰を下ろして休んでいると晩御飯の支度を終えたアルシェが2人分の器を持ってきた。
「今日はお肉たっぷりのシチューにしてみました。パンも温めてありますよ」
この数日の間にアルシェの料理の腕前が驚くほど上がった。最初は米炊きすらスキルで誤魔化していたのが今では身体が覚えたのか包丁の扱いも様になってきた。魚を捌くのだけは苦労しているがそれでも十分だろう。
「お隣よろしいでしょうか」
「何時も言ってるが好きにしろ」
「では……失礼します」
俺のために料理を覚えたと公言する割にこういう所で奥手だよな。いや逆か…自分から求める勇気が無いから遠回しなアプローチになっているのか。もしくは俺の方で踏み込んでくれるのを待っている…とか。
「美味かった。けどホワイトソースはもう少し緩くした方がいい。口触りが滑らかになる」
「は、はい! 頑張ります!」
目に見えてご機嫌な様子のアルシェが食器を片付けるのを横目に、安全地帯より外の様子を探るべく意識的に遮断しておいた感覚を通常へと戻した。
その瞬間、聴覚と触角が広範囲の情報を拾い上げる。
(200…300…それ以上か。ここまで来れる個体はいなさそうだが去っていく奴も少ない)
俺達の何がそんなに奴らを躍起にさせるのか。それが分からぬまま日に日に敵の数だけが増えていくことに苛立ちが募る。
ただでさえ勝つことよりも逃げることを最優先にしているためストレスも溜まると言うのに、快眠まで妨げられたら怒りでどうにかなりそうだ。それならいっそ――
「……駄目だな。違う事でも考えるか」
両の瞳を閉じた俺は『記憶の才能』を使い、意識のみを心残りだった“あの日”へと戻すのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
振り下ろされた凶刃が鼻先を掠め、切れた組織の内側からツプリと血が垂れる。少し腫れたかと見紛うほど僅かな量だったが、当の本人は流れる血よりも攻撃を受けたという事実に憤りを覚えた。
本当なら今直ぐにでも拭いたいが、追撃を受けては断念する他ない。最小限の動きでバックステップを踏み、剣の軌道が過ぎたタイミングで反撃に出る。
「ッ――、」
「むっ…」
しかし悲しいかな。青年と男には決して覆くつがえらぬ圧倒的な格差があった。幾ら裏を掻き、奇を衒ったところで根本的な解決に至らない限りは勝利など得られないのだ。
「届かないかッ」
「よくもまあ、それだけ動ける」
しかしこれは彼自身の問題というよりも、今回の場合状況が最悪だった。
ステータス至上主義のダリミルでレベル一桁の者に出来る事など高が知れてる。突然この世界に放り込まれた彼の力は其処らの農夫と同じかそれ以下だ。
おまけに青年の身体には幾つもの孔がある。無論普通の人間に孔など或る筈もないし、彼の体質が異常なんて事もない。つまりは現在進行形で打ち合っている目の前の男に開けられた傷が、ろくに手当てもしてない状態で放置されていた。
寧ろこれだけのハンデを負いながら普通に戦える方が異常なのだ。凡人が此処に放り込まれても許しを請うか蹂躙されるしかない。
「このッ…!」
左手に持つ刀を巧みに操り、構えを取られるより前に得物を叩く。相手が幾ら強かろうと、腰より上に剣が来ないならやりようもある。攻撃は右の一刀でと決めてあるが、其方は逆に相手に牽制され中々攻め機に恵まれない。
そのまま暫く均衡が続いた後、今度は相手の方から仕掛けてきた。忍耐強く隙を窺っていた青年の動きを逆に利用し、リスク覚悟で腕を掴もうとしたのだ。それに青年も焦ることなく対処にあたる。得物を逆手へと持ち変えて、両者の間に刃が挟み込む形を取った。
「ッ――、」
普通なら負傷を嫌って手を引く場面であり、その怯んだ一瞬の隙を突いて反撃に出ようとしたが――
「な…ッ!?」
「驚いている暇はない。やっと捕まえたぞ」
なんと男は傷が付くことも厭わず、そのまま腕を伸ばしてきたのだ。自分に向けられた刃もろとも青年の腕を掴み、自分の血で相手の袖が滲むのを見ても反応の一つすら示さない。
しかしこの状況、分が悪いのは青年の方である。埋まらぬ身体能力の差を機動力と独特の歩法で補ってきたが、動きに制限が掛かればフィジカルが物を言う。当然力で敵う筈もなく、敵の手を振り解くことすら儘ならない。
「離せ、劣等種がァ!」
身体ごと回転し腕を捻ろうとするが、それすら大した意味を為さない。人体の構造的に不可能な方向へ腕を持っていこうにも、膂力の差で押しきられてしまうのだ。
そのまま収え込まれていた剣を青年の太腿に突き立て、また一つ大きな孔を開けられた青年は歯を食いしばり必死に痛みを耐えると――
「この場面だな」
故に反省を踏まえ、数日後の湊がこの瞬間を思い返すのも不思議ではない。寧ろあれだけ好き勝手やられた事を思えば、彼の性格からして遅すぎるくらいだった。
(この後に俺は左手の刀で奴の心臓を狙った。が、後ろに退かれて服の生地を裂いただけに終わるんだよな)
この行動が間違っていたとは思わない。問題はその前――奴が腕を引っ込めるという前提で動いたことだ。
(あの場面で負傷を躊躇うかどうかは人それぞれ。実際この判断で奴は手に傷を、代わりに俺は脚をヤられた。負った傷の具合からして割に合わない)
利き手なら兎も角、そうでないなら確かに割に合わないだろう。あの一瞬で咄嗟に判断を下せただけでも凄いと思うが、本人は納得してないらしい。不機嫌そうに鼻を鳴らすと、視線を止まっている二人から外し周囲を見回した。
「あぁ、あの日は満月だったか。道理で明るいと思った。せめて完全な暗闇なら俺にも勝機は有ったんだが……なんて、言い訳しても始まらないか」
自分以外停止している世界を眺め、そう嘆息した。
ここは湊が作り出した過去の世界。正確には『超感覚』で読み取った情報を寸分違わず思い起こし、立体的に組み上げた過去の出来事に身を投じている状態だ。
「月は嫌いじゃないが、今回はタイミングが悪かった」
そう言ってまたも嘆息する。
天宮湊は有史始まって以来の天才だ。それは別に誇張でも何でもなく、ただ純然たる事実を騙っているに過ぎない。尤も本人は天才などという蔑称を嫌い、専ら鬼才と呼ぶのに拘っているが。
人の上に立つのを煩わしいと一蹴しながらも、その素質は歴史に名を馳せたどんな偉人にも勝る。幾ら他者を排し距離を取ったところで、世間が彼を巻き込むのだ。まるで太陽の周りを公転する惑星のように、本人の意思とは関係なく物語が進んで行く。
「さて、それじゃあ再開するか」
そう言って彼以外制止していた全ての時間が動き出す。
*
湊を天才たらしめる要因の一つに、その異常とも謂うべき記憶力がある。
湊は一度見たもの、聞いたこと。身体に触れた感触や舌で味わった物を含めそれら全てを記憶することが出来る。
実際に得た情報を寸分違わず脳が覚えており、この異常な記憶力を獲得してからと言うもの湊は一日一時間、1分1秒すら忘れたことがない。
通常、人が何かを思い出す時には記銘・保持・想起の3つのプロセスを踏む必要がある。
記銘は情報を覚え込むこと。一度得た経験ないし体験を頭の中に刷り込んでいき、それが鮮明化するまでの過程を指す。そうして符号化された情報を思い起こす行為を想起と呼ぶが、この記銘から想起の間の保持期間中に一部情報が抜けることで物忘れを誘発する。
しかし他の誰もがこのプロセスを踏んでいく中で、彼だけはこれに該当しない。湊は全人類共通にして普遍である筈の機能の内、記銘する力が致命的に欠けていた。
欠けると云っても不利に働く訳ではなくむしろ逆……必要無いと言った方が正しいか。彼にとって記憶とは覚えるものではない。それは意識せずとも入ってくる、謂わば酸素のようなものだ。呼吸するのと等しく当たり前に行われ、多少障害がある程度では決して損なわれたりしない。
それは謂わば『記憶のプロセスを辿らずに全てを記憶する』ことと等しい。
記憶力が良いだとか、最早そういった次元の話ではない。普通の人が写真で記憶するような過去の光景を、湊だけがビデオカメラで保存し何時でも映像として閲覧可能な状態にあるのだから。
だから湊は覚えるという感覚を知らない。それを記憶するかどうかは別にして、必要とあらば望む記憶だけを見ることが出来る。
これこそ彼だけに許された才能――『完全記憶』だ。
「くッそ…!」
再び時を刻み始めた記憶の中の戦闘。攻撃が不発に終わり悪態を吐くと、更にギアを上げ近くの木を重力を無視したかの如く垂直に駆け上がり始めた。全身から血が吹き出し尋常でない痛み信号が発せられようと、この時の湊には敵を屠る事しか頭に無かった。
「最早何でも有りか。これだけやって動きのキレが増す理由が分からん」
高所を位置取った湊はそこから男に向けて跳躍した。位置エネルギーからの運動エネルギーが加わった一撃は文句なしの必殺の威力だったが、それすらオルガは平然と受け止めた。
一瞬の鍔迫り合いの後、今度はオルガから横蹴りが放たれる。しかし両脚を浮かせた湊がそれに上手く乗ると共に衝撃を利用して宙高く舞い上がった。脚のバネで蹴りの威力を相殺したばかりか、次の動作の機転に繋げたのだ。
再び高所へと位置付ける。しかし今度は木々を見下げるほどの高さに達し、その無茶苦茶過ぎる戦い方に呆れを滲ませつつも男は嗤う。
「来い。次は何を見せてくれる?」
湊が空中でありながら自由に身を翻す。それは宛さながら猛禽類が獲物を狩る瞬間を連想させた。身体を大っぴらに広げ相手を仕留めようとする様は正に空のハントを体現した形だ。ただしどちらが捕食者に回るかは戦いの結果に委ねられるが。
「ハッ、そんなに見たいかよ。なら重い一撃をくれてやるッ!」
そう言って右の一刀を前方に放り出す。持ち主の手から離れた透明な刀は空中を浮遊し、しかし直後切っ先を下にして凄まじい勢いで落下してきた。
「あれは…」
男は見た。刀を投げ出したと同時に湊が空中で一回転し、落下の勢いと合わせて生み出された力を刀の柄頭に――踵でぶち当てたのを。
踵落とし。一般に広く知られるその技をこの場面で…足場のない空中で、しかも本来飛び道具として機能しない筈の得物を飛ばす為に。
(あれは…拙い)
特殊能力特有の“壊れにくさ”を遺憾無く発揮した一撃にはさしものオルガも危機感を募らせた。
恐らく周りへの被害など一切考慮してないだろう攻撃は地形破壊ほどの威力を秘めている。
これを避けたら第2波の衝撃が辺りに拡散され、オルガはまだしも傍でこの戦いに介入しようとしている聖女姫は無事では済まないだろう。故に避けることはせず迎撃の構えをとった。
「はあぁッ――!」
剣に莫大な魔力を注ぎ込み、それが可視化するまで溜めを作る。属性魔法を介さない放出攻撃は変換効率に優れているが、流石にここまでとなると普通は魔力欠乏を起こす。それでも平然とした様子から察するに、男が覚醒者の中でも上位に位置することが窺える。
そして刀の形を模した破壊の彗星がその脅威を振り撒く直前、両者が激突した。
ズゴ――ッァ!
鼓膜を破らんばかりの轟音が記憶の夜に響き、この世界を創り上げた湊すら僅かに顔を顰める。そんな彼が見つめる先――両者の鬩ぎ合いは一瞬の拮抗こそ見せたものの、徐々に黎明の刀が押し戻されつつある。
(ダリミルに来る前でも家屋の一つや二つ壊せる威力で撃ったんだけどな…それを防ぐって事は相当なバックアップを受けている筈だ)
男は間違いなく覚醒者だ。魔法やスキルさえ見せなかったが、その身体能力は人間をとうに辞めている。こんな奴を量産できる世界のシステムに、湊が何とも言えぬ表情をして呟いた。
「只の人間が俺を凌ぐか。本当に、そんなこと、どうして……考えた事もなかった」
彼にしては珍しく裏のない吐き言だ。それだけあの時は衝撃が強かったし、日が経つと負の感情を反芻していく中で本当に必要な物だけを取り込んでいった。そうしてあの夜を見つめ直し、それがどのような変化を遂げるかは自分次第である。
「……」
湊が口を閉ざしても、記憶の停止に踏み出さない限り戦況は進んでゆく。今まさに所有者の手にない硝子の一刀は、彼が言うところの凡人に弾き返されようとしていた。
だがそこに、更なる追い討ちがかけられる。
「そのまま潰れてしまえぇッ!」
上で攻撃を放った過去の湊が、なんと空中を蹴って自身で送り出した刀に追い付いたのだ。追撃して最大の威力を見舞いたい湊はそれを引き出すのに必要な角度、時間を瞬時に頭の中で思い浮かべ、それらを自らの才能を使って無理矢理に実行した。
「ぐッ!?」
黎明の軌跡とは若干異なる軌道で降った湊は、身体を横に捻り今度は月状骨の辺りで刀に回し蹴りを叩き込んだ。
これだけやっても魔力で形成された神器には傷一つ付かない。その代わり最初の一撃で衝撃を逃がす役割を担っていた地盤は文字通り崩壊し、余りの負荷に立っていた大地が暴発する。
「正気か貴様!? このまま規模が拡がればアルシェ姫にも――」
「ハッ、考えが浅いんだよ! それくらい俺が対処出来ないとでも思ってんのか。如何にも頭の悪い愚物が考えそうな事だ!」
此処にきて声を荒げるオルガを、湊は一笑に付す。
「良いから潰れろよ! 闘うしか能のない粗悪品がッ、俺を煩わせるな跡形もなく死ね!」
「口が悪いな。それが貴様の本性か。こんなに才能に恵まれて、大方人を人とも見ていないのだろう」
だが、と言葉を紡ぐとフードの下から見える口角が目に見えて歪んだ。
「それくらい傲慢である方が良い。いざ使うとなった時に尻込みするようでは期待外れだからな」
「ッ――」
会話の傍ら、一連の押し合いはやはり襲撃者に軍配が上がった。湊の才能を以てしても地力の差で押し切られ、同じ流れに至らぬよう上ではなく横に弾き飛ばされた。手の届かない所から攻撃される恐れがある為、上域を取られる事に警戒を強めているのだ。
「使う…? 使う、だと…この俺をッ」
当然のように着地をきめる湊だったが、男の挑発に全身を震わせた。刀を握る手には力が入り、貫かれた上肢の孔から血が吹き出す。
それで戦いに付いて行けなかったアルシェが慌てて治療に掛かろうとするが、彼女が手を翳した時にはその場から湊の姿が消えていた。代わりにガァンと派手な音がして、半ば確信に近い感情を抱きながらも其方を向いた。
「どうした、こんなものか? これでは幾ら打ち込もうと倒れてやる訳には「何だ結局はその程度か」……何?」
案の定オルガに飛び掛かり、軽く遇われた。だが次なる口撃を発したところで湊が心底どうでも良いと言わんばかりに男の言葉を遮る。
否、まるでではなく本当に男への激憤が喪せたのだろう。その証拠に吊り上がった眼は元の形に戻っていた。視線の鋭さだけは研がれたままだが。
「何だ…先程の威勢はどこへ行った」
「アルシェ、自分の周りを結界で覆っておけ。傷を癒すのはこれが終わってからで良い」
大きく息を整え指示を出すと、一度距離を取り状態を確かめるように身体を動かし始めた。その間痛みに顔を歪ませながらも隙は全く見せず、逆に脂汗を垂らし呼吸が深くなろうが反撃のチャンスを虎視眈々と狙っていた。
「痛――、」
本当に聞こえていないのか、将又無視しているかは定かでないが、これ以上の揺さぶりは無意味と判断しオルガも構える。湊から結界で自分を守るよう言い付けられたアルシェだが、二つ目の要求は了承しかねるとばかりに戦いへ介入しようとする。
その様子を一時停止し、過去を再現する現在の湊が呆れた様子を見せる。
「全くあのお姫様は……堂々の無視かよ。まぁどういう考えで行動を起こしたかは想像つくけど」
そう言って指示を聞かなかった少女に対し軽い溜め息を漏らす。しかしこの後、彼女の介入が間に合わないことを当事者たる彼は知っているが。
「それともう良いだろう。次は俺がやる」
そう言って過去の自分をこの記憶の世界から〝追い出した〟
ただ経験するだけで記憶を生むことが出来る湊だが、だからと言って全部覚えるのは非効率だ。ずっと保持し続けるのも疲れるし、ハッキリ言って面倒臭い。
故に普段は『記憶を無くした』状態にしてあるし、必要となっても使う情報のみを想起する。全て覚えてしまうが故に無駄を嫌い、記憶を残さない。そんな矛盾を孕んでいられるからこそ彼は傲慢なのだ。
湊が立っていた場所には誰も居らず、ただ空白の記憶がそこに存在するだけとなった。そこに湊が足を向け、過去の自分から戦いの権利を簒奪する。
「来い。今の俺が何処まで殺れるか試してやる」
あくまで過去の出来事を繰り返しているだけであり、返事がないと知りつつも声を向ける。或いは、彼にしては珍しく本気なのかもしれない。そうでなければ『完全記憶』を使うことすら普段なら有り得ないのだから。
(再生)
湊が呟くと、手前で待機していた風が吹き抜け落下途中だった木の葉が地上へと降りる。その瞬間オルガの姿が消え、だがそこに新たな記憶が書き加えられる。
「チッ、いきなりか…!」
湊の視界から抜けた男が再び表れた時、血を滴らせた剣で何かを刺していた。
何か、ではない。あれは恐らく今消した当時の湊を貫いているのだろう。突如ギアを上げたオルガの動きに眼が付いて行けず、そのまま致命の一手を食らったとみる。
先読みは目的の意味を失うからと、一連の応酬を記憶から封じた湊が紙一重で避けた後にそう予測した。
そこから連撃が飛び、それを寸でのところで回避、打ち合いを演じる。
湊が今いる世界――『暇の記憶』は文字通り彼が経験した過去になぞらえている。
あらゆる情報を身に写す完全記憶と超感覚、それと意識を切り離しそこに没入できる集中力があって初めて為せる芸当だ。
左後方から大人一人分の質量が地面を通して伝わり、それと共に鋭利な剣で風を割る音が湊の耳に届く。
その情報から男の体勢を視覚化し、追撃を受けない立ち回りで男の間合いから抜け出した。
(今反撃したら当てられただろう。相手は俺が見失ったと思ってるし、逆に視覚外から仕掛けることで奇襲を掛けられた)
それでも回避手段を取ったのは、それが意味無いことだから。湊が綺麗に躱した直後、男の持つ剣の切っ先から血が溢れた。
またもや過去の湊が攻撃を受け、恐らく脇腹を貫かれた。そこで戦いは刺してから抜くまでの、一秒にも満たない小休止を挟むこととなる。それに攻撃を当てても過去の記憶でしかないオルガが新たなアクションを起こす筈もなく、故にここでカウンターを決めてもそれは憂さ晴らしにしかならないのだ。
(黒フードの情報を基に動かしても良いが、それは俺がイメージした奴というだけで奴本人ではない。実際より高く見積もるのは良いが、もしイメージとの戦いに慣れて過小評価でもしたら目も当てられない)
殺るなら確実に。下手に先入観を持たないのがベストだ。それを理解しているからこそ余計な手間を加えない。
「チッ、また高速移動か。さっきの一撃で警戒されたな」
湊から得物を抜くと同時に、また視界の外へと逃げられてしまった。どうやら敵は様子見を止めたらしく、圧倒的なステータスで以て湊を仕留めに来たようだ。
しかし最初こそ男のスピードに反応すら出来なかったが、そもそも超感覚とは別に湊の反射反応は一流アスリートと比べても抜きん出ている。時間が味方し、経過と共に回避率が上がっていった。
(いや、それにしたって可笑しい。どんなに速く見積もっても奴のスピードは拳銃から放たれる弾丸程度。素のステータスでも避けられる攻撃をどうして…)
何かカラクリが有る筈だ。俺の探知をすり抜け、攻撃できた訳が。
「……仕方無い。俯瞰視を使うか」
上空から俯瞰するイメージを流し込み、あたかも視覚で感知しているかのように淡青色の瞳へと投射した。それと同時に記憶の時間経過を0.5倍速にし男の一挙手一投足に注目した。
男は湊の動体視力の良さに気付いており、専ら死角からの攻撃を突いて攻めてくる。だが今の湊なら相手の位置と大まかな体位まで見ることが出来た。
完全記憶は全ての五感情報を記憶する。
喩え認識出来ずとも行動を起こせば必ず足跡を残す。であれば湊がそれを見れない道理はなく、訳も分からず斬り伏せられた過去の惨劇すら彼の糧になる。
スッと眼を閉じ、周囲を俯瞰する。湊から離れた男は予想通り距離を詰めて湊に襲い掛かろうとしていた。
(さあどうする。お前はどうやって俺の視界から逃れた)
実際にその時立っていた位置に身を置き、男の攻撃を待った。減速した記憶の中で男が一歩、また一歩と近付き、残り三メートルに差し掛かった所で湊は瞠目した。
「これは――」
よければ感想、または評価お願いします。




