目が覚めたら人間辞めてた
第2章開始です。
水面だ。空を仰いだらそこに水面がある。
ここが夢と現実の狭間であることを確信したと同時に、そのまま身体が水上に近付くのを感じて良い夢見れたのだと分かった。
「んっ…」
朝日が昇る。木々のざわめきと鳥の囀りが木霊する森の中、俺こと天宮湊は徐々に覚醒を迎えた。瞼を開けた先では自慢の銀糸が東日と反射し余計に眩しく見せようとする――かと思いきや何も見えない。
「…ん?」
おかしい、俺は確かに目を覚ましたはずだ。だが何度瞬いても視界は黒で塗り潰されそれ以外何も映さない。とうとう失明でもしたか…と思ったら上から艶やかな吐息が聞こえ、顔になにかを押し付けられる。
「ううん…」
「むぐっ」
それは例えばパンパンに膨らませた水風船のような……もしくはふわふわの蒸しパンを思わせる重厚感と柔らかな感触。それが顔全体を包みこんだ。
多幸感に思考が塗りつぶされる。抜け出す気勢を削がれそうになるが、次第に息もしづらくなって流石に危機感から頭を働かせ始めた。
「すー、すー」
「…」
この時点で大方の予想は付いたが一応確認のためにそっと頭を動かして上に視線を向ける。
「あっん、あふぅ」
「……」
見ればとびきりの美少女がいた。俺を抱き枕と勘違いしているのか二本の腕で抱き寄せると、あろうことか豊満な胸に俺を押し付ける。ちなみに少女は下着姿だ。薄生地が一枚隔たってるだけで女性特有の柔肌な感触がほぼダイレクトに俺を悩殺しようとしてくる。
「……あー、そっか。俺異世界に来てたんだった」
暫しの熟考の後、漸くその事を思い出した湊は目の前の少女が誰なのかを思い出す。
アルシェ=フィリアム
この世界にあるどこかの国のお姫様で、女神セレェルに仕える宗派の聖女らしい。昨晩アルシェが盗賊に追われているのを、偶々召喚で飛ばされた俺が助けたのだ。
一度は退けるも、その後表れた黒フードの男と交戦、命からがら逃げ延びた先でここに辿り着いたわけだ。服が無いのは盗賊に下着以外を破り捨てられたからである。俺が心肺蘇生を行った時には既に着られる状態ではなく、生地が引き千切られていた事もあって高そうな衣装は完全にお陀仏になった。
(そういえば俺、傷は…)
崖から飛び降りた時にかなりの怪我を負った筈だが完治している。そんな事ができる人物を俺は一人しか知らない。今夢の中を絶賛旅している聖女は傷の回復以外にも何かしたのか、気絶する直前まであった酷い眩暈と虚脱感もキレイさっぱり無くなっている。これには流石に俺も驚かされた。
(疲れてるだろうしこのまま寝かせとくか? けどずっとこの体勢ってのもな)
少し悩んだ末にやはり起こすことにした。
「むぐ…おいアルシェ起きろ。髪が乱れるだろ」
「ん~~」
「おい、起きっ――」
眼を開けたまでは良かった。寝起き特有のとろんとした表情を晒しているが確かに眠気眼は俺を捉えていた。
「あ〜~カナエ様です♡」
しかし予想外だったのは此処から。耳が蕩けるような甘ったるい声を発したかと思えば、静止虚しく逆にグイグイと顔を抱き寄せにきたのだ。これには流石に面食らう。
「おい止ふぇろ! おまへほうじょだろ!」
「やあんっ♡ そこはダメですよぉ」
こいつ、滅茶苦茶寝起き悪いな! 駄目という割に自分から胸に押し付けてくるのを先ずどうにかしろ。
そう言いたくとも両腕でがっちり俺の顔をホールドして喋る隙も与えない。
「んふふ♪ カナエさまったらエッチなんですからぁ」
(このまま■■■してやろうかこの痴態聖女。そんだけ言うなら覚悟も出来てるよなあ)
暴力的なまでの柔らかさと仄かに漂う甘い匂いに、本能を律するのも莫迦らしくなってきた。昨日の様子からして俺に惚れてるのは間違いないだろうし据え膳食わぬのは何とやらだ。
「んうう~♪ う――んみゅ………?」
「あっ?」
いっそ本当に行動に移そうとした、正にそのタイミングでアルシェの意識が完全なる覚醒を迎えた。今度こそ焦点が定まり、とろんとした顔に知性が宿る。
「……」
「……」
目と目が合い、次に自分の身体を見て、今どんな格好をしているかを思い出す。それから俺を拘束する両腕の正体を突き止め、最後にまた目と目が合う。
《b》《vib:1》「っ”~~~!!?ッ///!??」《/vib》《/b》
おおっ…声にならない悲鳴ってこういうのを云うんだな初めて知った。
「ちちち違うんですカナエ様!! いつも何かしら抱いて寝てたのが癖になっているのであって、決して私が痴女だからではッ」
「分かった分かった。つまり噂の聖女姫様は下着で男を抱いてても寝てたら気付かないってことだろ」
「いやー! 言わないでくださいー!!」
あー少しすっきりした。昨日からやられっぱなしだったから久々に痰飲が下りた。本当なら心行くまで味わい尽くしたかったけど今はこれで善いや。普通に疲れてるし。
(にしてもこれからどうするか。昨日は考えないようにしてたけど、元の世界に帰る方法はあるのか…)
――ゴソッ
(…ん?)
そこまで考えたところで何やら不審めいたモノが置かれていることに気付く。それを手に取ると訝しげに眉を寄せた。
(何だこれ?)
手に取ったのは奇妙なお面だった。パッと思い付く限りでは日本にあった狐のお面。赤と白のコントラストがわりと不気味なのだが、夏のお祭りなんかでは毎年見かける風物詩みたいなアレ。
これは本来のそれとはどこかかけ離れていて、しかしデザインは日本で見たのとそう変わりない。日本だと赤で塗られる部分が黒に変わっていたり、目と思わしき線がだいぶ細かったりと違う点も多いが。またオリジナルは立体的な構造をしていることで知られるが、これは普通の面のように顔全体を覆う綺麗な楕円の形になぞらえている。湊はこれに地球で見たよりも物静かで不気味な印象を受けた。
しかし湊が最も気になったのは目の部分にも視界を確保するための覗き穴が無いことだ。これでは全然前が見えない。
(設計ミスか? いやこんな明らさまなものに気付かない筈が……って、そうじゃなくてどうしてこんな所に。前に誰かが落とした?)
こんな辺境な地に人が訪れるのかと疑問に思う。アルシェの持ち物というのも無いだろう。現在の彼女は下着姿なのだ。そんなものを運んでいる余裕も無かっただろうし。
(…まぁどうでもいいか)
考えるのも飽きてその辺に戻しておいた。こういうのは深く悩んだだけ無駄になる。
「ぐすっ……もうお妃に行けません」
再度アルシェに意識を戻すがまだ落ち込んでいた…ってか異世界にも有るんだその言葉。微妙に立場の違いが出てるけど。
「馬鹿なこと言ってないでこっちに、お――っと!?」
びっくりした、ふらついたのなんて何年ぶりだ。後遺症は無いと思ったが立ち上がるだけで蹌踉くのだからまだ安静にしてた方がいいか?
(いや違う、重心の位置がおかしい。なんだこれはッ!)
だが原因が他にあると分かった途端、即座にスイッチを切り替え後ろを振り返った。
「は…?」
そこにあったのは白銀の尻尾。尾てい骨の辺りから生えた獣尾がゆらゆら揺れており、俺の後ろで否応なく存在を主張していた。
やってしまった。
恋に発展している自覚は無いが、少なくとも好意を寄せている相手に自分から肌を重ねにいった己の所業を深く悔いていた。しかも辛うじて下着を身に着けたほぼ裸の状態でだ。誰がどう見たって100%色仕掛けではないか。
(弟を窒息しかけてから姉さまに同衾を禁じられていたのに。でも隙間から見上げてくるカナエ様も可愛かったなあ――って何を考えているのですか私はっ!?)
思考がそっち方向に流れてしまうのを必死に言い訳するが、その度に「でも嫌って言われてませんし」とか「カナエ様が喜んでくれるなら…」と最後には肯定してしまい自分から墓穴を掘って入るを繰り返す始末。
世間から慈愛の聖女と云われるアルシェであっても意中の相手を前にしたら形無しだ。今この瞬間だけはエッチな妄想を膨らませた何処にでもいる思春期の女の子でしかない。
(とと取り合えず服を着て誤解を解きませんと。このままではフィリアム王族の名誉に関わりますぅ!)
一旦この場を離れようと足を踏み出して……ぶるんっ! 息を弾ませる前に別のナニカが弾んでしまったようだ。
一応擁護しておくと盗賊やら川に落ちた時の衝撃によって元より耐久がギリギリだったのだ。だから物の寿命が来ただけでアルシェにも……彼女から発せたれる特大の衝撃をいつも受け止めてくれたソレにも非は無い。むしろ衆目に晒さずよくぞここまで耐えてくれたと称賛を送りたいぐらいだ。
また最近胸がきつくなってきたなと思いつつもこう短い期間で新調するのは気が引けるし、遠征が終わってからでいいやと後回しにした彼女にも責任はあるがそれはそれ。
いや…やっぱりアルシェの方は自業自得じゃないか。
とにかく支えてくれるものが無くなった聖女姫の大きな胸が零れ、顔を真っ赤にしたアルシェが必死に隠すが全部は覆えずその場にへたり込んで動けなくなってしまった。
「な、なっ……!(嘘っ、こんな姿カナエ様に見られたらもう生きていけない!)」
ありのままの自分を見て欲しいとは言ったが、生まれた状態を見て欲しかったわけじゃない。いずれそういう関係になれたら…と秘かに想像したりもするが断じて今ではないのだ。
「なあアルシェ、一つ聞いてもいいか」
「あ、待ってください今振り向いちゃ――って、へ…?」
湊の呼びかけを反射的に突っ撥ねてしまうが、その時彼は突然生えた尻尾に意識が向いていた。
「えっ、え……え? なんで尻尾が…」
そしてそれを見たアルシェも自分の状態を忘れて食い入るようにそれを凝視してしまうのだった。
「あ。よく見たら耳も獣になってるじゃん。まあでも髪と同じ銀色なら別にいっか」
湊は純粋にヒトから獣へと変わったことに驚いているがアルシェの場合はそれに留まらない。なにせソレはとある神獣と全く同じ姿形だったから。
「白銀の毛並みに〈狐獣人〉を思わせる尻尾。でも耳が頭頂部でなく人間と同じ位置に……間違いなく〖白銀妃〗の特徴と一致しています」
「白銀妃? そいつは一体…」
聞こえてきた言葉に振り返り、辛うじて下だけを残した聖女の姿に動きを止めた。露になった全身を一切の躊躇なく、余すことなく凝視すると、やがて一つの確信を得た。
「ふぅむ…やはりHだったか」
それに漸く視線に気付いたアルシェが我に返り、顔を真っ赤に紅潮させて身体をわなわな震わせた。
「きっ」
「き?」
「キャアアァァ~~ッッ!!」
朝から良いものが見られた。その代わりに種族チェンジという特大の地雷と、それによって元々人間離れした聴覚が更に度し難いレベルまで引き上がっていたことを、耳を塞いで尚漏れる悲鳴を聞きながら面倒くさそうに想像した。
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