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第二十章 〈 二十一時三十五分 記憶〉

 ケイリー・デイジーの登場の約一時間前。


 ラグは映像編集室でスライドの準備とテストを何度か繰り返した後、レンとトモヤ、そしてササヤマらスタッフにに「三分だけ休憩してくるね」と言って部屋の外の通路に出た。

 階下からは大勢の人間のあわただしく動き回っている様子が響いてくるが、この階にはひと気がなかった。

「うーん」

 ラグは軽く伸びをして大きく息を吐き出す。

 準備は整った。あとは本番を待つだけだ。

 心配しているだろうルアシやシーダに状況を教えようと、ジーパンの後ろポケットに入っている携帯電話に手を伸ばしたとき、突然目の前にユウとライラが出現した。

「!」

 あまりにも突然だったので、ラグは叫びそうになって慌てて口を自分の手で押さえる。

「リーダー?」

「れ? ラグ?」

 出現したユウの方がラグ以上に驚いた顔をしてラグを見た後で、隣に立つ小さな少女ライラを見下ろす。

「俺、サワキ首相に会うのかと思ってたけど。なんでラグなんだ?」

 ライラがユウの服のすそをギュッと握り締める。

「どうしたのリーダー?」

 ラグが困惑していると、アミーとライラが来た事と、主要五カ国の首相や大統領たちが自分を探してここの桜道スタジオに向っていることを説明した。

「だからとりあえずサワキ首相を呼び止めように行こうと思っていたら、ライラが追っかけてきて、なぜかお前のところに連れてきたんだよ」

「ライラ」

 ラグは床に膝をつけるとライラの両手をとって、その表情のない顔を覗き込み微笑みかける。

「会いたかったよ。元気だったかい」

「…………」

 ライラの瞳がラグをじっと見つめる。

 ラグの脳裏に、フラッシュバックが起こった。

 濁流と流される家や人。泣き叫ぶ子供。

 歌を熱唱するケイリー・デイジー。

 「マザー」の歌が脳裏に響き渡る。

 大きな部屋の中に一人で人形を抱いているライラの姿。

 見つめる視線の先には亡くなったライラの母の肖像画。

 部屋に流れる「マザー」の歌。

 ラグが訪れた施設の風景。横顔の美しい婦人。

 孤児として母を泣き叫びさまよい求める少女の姿。

 スポットライトを浴びるケイリー・デイジー。

 視界がブラック・アウトする。

「どうやら首相の後始末というより、歌の想いに気持ちが動いたらしいな」

 その声で遠のく意識を慌てて引き戻し、目を覚ましたラグは、床に座り込んでいる自分を知って大きく息を吐き出す。

「ほれ」

 差し出された手を取って立ち上がると、同じものを見たよ、というユウの顔があった。

「ここんところコントロールできてきたライラの共鳴能力がさ、お前が当事者二人に接触したんで無意識にオープンになったみたいだ」

「ライラはこの歌が大好きだったしね」

 ラグは穏やかな微笑を浮べてライラを見つめる。

 ライラは母親の顔を知らない。

 彼女を出産して数日後に体の弱かった母親は亡くなっている。

「会わせてあげたいんだね」

 ラグはライラの頭にそっと手をのせた。

 ケイリー・デイジーの母を呼ぶ悲しいまでに強い想いと歌声が、母を恋しく思い続けるライラの心に響き続けていたのだ。

 いつもなら、ただそれだけでライラの能力は発動しない。

 ライラが慕うラグが行方不明のケイリーの母と接触した、その時からその能力は周囲を巻き込み始めたのだ。

 自国のサイゼ首相を動かし、一番共感しやすいサミーをとんでもない行動に出させた。

 また当のケイリー・デイジーがラグの撮った写真を見て、「母」を見つけたとき、ライラの願いがユウに届いたのだ。

 ライラの共感能力は、五歳の自分の体を一瞬にして火星にまで跳ばした前歴がある。

 すべてを破滅に導こうとしたライラを救い守って以降、ライラは最後の手綱をユウに預けた。

 ユウと共にある時以外は、その制御不能な力を出来る限り使わないことを。

「じゃ、頼んだ」

「え?」

 ユウにポンと肩を叩かれた瞬間、ラグは輝く光の中に包まれていく感覚に慌てた。

 眩い光の中でラグはユウを呼ぶ。

「リーダー?」

「なんだよ」

 ちょっとかったるそうなユウの声にラグは少し笑う。

「どこに行くの?」

「ライラが行きたい場所で、お前が知っている場所。だろ?」

「うん」

 ライラはケイリー・デイジーを母親に会わせてあげたいと強く願っている。

 あの寂しげな横顔をした婦人。ケイリーが手にして涙ぐんだ一枚の写真に写っていた人物。

 ライラはそこに行こうとしている。

「ねぇ、リーダー。聞いてもいいかな?」

「ん?」

「忘れられて寂しくない?」

 ラグの脈絡のない会話に、ユウは一瞬ほうけたような顔をした後「ああ」と笑った。

 トゥーム星から帰って来たラグ達は、火星で遭遇した事故を最小限にとどめて、大惨事を未然に防いだことで宇宙開発に関わる主要政府から「何者?」と当然その存在を驚きの目を持って注目された。

 「地球に潜伏していた宇宙人か?」「日本が極秘で宇宙開発を進めていたのか?」とか大騒ぎになり注目もされた。

 拘束もされ自由も奪われたが、ニュースには流れず。世間には知らされず、極秘人物として扱われた。

 彼らを担当した管理官からの説明では、日本への帰国は許されず、数年にわたり身体測定やら事情聴取やら、徹底的に調べられるはずだった。

 だが、一日、二日と日が流れるうちに、彼らに関心を持つものは急速に減っていった。

 その隙をぬって、ユウとラグ達はアルファ号で日本に帰国してしまう。

 待っていたのは、自分達が山での遭難事故の被災者になっていて「行方不明」としてニュースで扱われていたことだった。

 やがてそれも一週間と立たずに沈静化した。

 その後何度も宇宙開発局やら、諸外国の妖しげな人物達に身柄を確保されて研究室のような施設に拉致、監禁されたこともあったが、そのたびに関心の薄れた相手の目をかいくぐって脱出し、ほぼ一週間後には日本で普通の学生生活を送っていた。

 完璧といわれるセキュリティシステムも、アルファ号の頭脳ロンがこともなげに操作し、解除、偽装工作のオマケもつけた。

 世界最高のシステムを駆使しても、彼らを捕らえ、留めることは困難だった。

 やがて、宇宙開発に関わる大国たちが日本の政府を通じてユウたちに極秘ではあったものの正式に謝罪と協力を求めてくることになり、現在に至っている。

 しばらくして明らかになったことは、「リーダーって、忘れられる存在能力を身につけたみたい」というアミーとサミーの言葉からだった。

「潜在能力じゃなくて、忘れられる存在能力?」

 シーダがカラカラと笑って爆笑を誘ったことをユウは忘れない。

 つまり、「私たちのことに変な興味を持つ人間がいても、不必要な相手なら自然に忘れさせてくれるのよ」と、何度かの実験を重ねた結果、アミーは結論づけた。

「それって能力っていうか?」というユウ自身の言葉と反論はあったが、ラグたちもやがて認識するところになる。

 ユウやラグ達の一般人以上の能力や環境、経験を知るものは、不思議にその記憶を薄れさせていく事実を。

 面白いのは、まったく消失したわけではなく、ユウやラグ達に会うと思い出す点だ。しかも、懐かしい思い出の中の登場人物程度の存在になっており、好奇心を持って付きまとわれることは一部例外を除いてまずない。

 だから、面倒な事態に巻き込まれそうなときは、ラグ達はユウを呼ぶ。

 少しでも人々の記憶から自分達の痕跡を薄め、消してしまうために。

 だが、ユウ自身はどう思っているのだろうかとラグは日々思っていた。

 自分のことを忘れていく人々を。自分の存在を。

「寂しいとか、寂しくないとか、よくわからないな」

 ユウは「そうだな~」と言って考える。

「だいたい、他人が俺のことを覚えているのが不思議だって思ってるからな。覚えててくれれば嬉しいけど、忘れられててもそんなもんだろうと思ってるしな」

「でも、リーダーが助けてあげたのに、その人たちから忘れられてるんだよ。首相たちだって、日本に来たから『ミーテイング』のことを思い出しただけで、その間はきれいさっぱり忘れてるよね」

 いつになく真剣な様子のラグにユウが困ったような顔をする。

「俺は自分が覚えていれば別にいいよ。それに、お前らが覚えているだろ」

「僕たちが忘れちゃったら?」

「そうだな。俺も知らん顔して、見ててやるよ。お前らが困ってなければそれでいいし、困っていたら何かしてやれるように」

「何を?」

「その時にならないとわからないだろ。それに近所のおばちゃんたちは俺をよく覚えてくれているからそれでいいよ。通学路の人たちなんて忘れるどころか、俺の走る時間帯まで覚えているぞ。今日はどうした?」

 ラグは唇を軽く噛んだ。

「ケイリーのお母さんは、彼女のこと忘れているから」

「ああ」とユウはうなずいた。

「自分にとって大切な人なら必ず思い出すさ。アミーが言ってたよ。医学的ではないかもしれないけれど、例え脳が機能を失ってもDNAは髪の一本から、爪までその人物のすべてを記憶している。心に至っては医学では多分解明は出来ないし、機械の様に自由自在にコントロールもできない。でも全部記憶されているから、あとは引き出すだけだってさ。ケイリーのお母さんは、お前と出会えただろう、そしてライラにつながった。思い出すさ」

 なんの根拠もなさそうなのに、間違いのない答えをもらったようで、ラグは危惧していたことが消えていくのを感じていた。

「リーダーって、いいよね」

「よくないぞ。お前が替わってくれ」

 あきれたようにユウがそう言ったと同時に、三人はケイリーの母親が過ごしているロシアナ共和国のとある施設の前に立っていた。

「さて、誘拐犯になるか」

 ユウは欠伸をしながら思いっきり伸びをした。


 二十分後、ユウたちは桜道スタジオに向っている途中のロシアナ共和国のミハイル大統領の車を停止させていた。

「何者だ?」

 今にも襲い掛かってきそうなSPに両手を挙げて、隣に立っているサワキ首相を目で示した。

 隣には首相のサワキと、側近の男性、後ろにはラグ達が立っている。

「おお、マサオカじゃないか」

 車内から様子をうかがっていたミハイル大統領は、街灯の下のユウの顔を見つけると部下の制止を聞かずに車から降りてきた。

「サワキも一緒とは、さては彼の存在を思い出したのか?」

 ミハイル大統領は、やや皮肉めい口調でサワキに問いかける。

「申し訳ないことに、彼に来てもらってなんとかね」

 サワキは苦笑を浮べる。

「首相になった直後、前首相のマツヤマ君の細君から、くれぐれも極秘事項だからとマサオカ・ユウをはじめ、彼等に関するデータを直に受け取っていたんだ。当初は彼達と会う予定を何度も組んだのだが、不思議なことにすべて実現しなかった。しかも、申し訳ないことに多忙にまぎれてうっかり忘れていた。申し訳ない」

 サワキがユウとラグそして、ミハイルに深々と頭を下げる。

「さきほどマサオカが、記者会見直前の私の部屋をたずねてくるまで、あなた達が何度も口にした『ミーテイング』の意味をまったく理解できていなかった。資料にはきちんと書かれていたのだが、目を通したことも忘れている始末だ。もっと早く会うべきだったのだが」

 素直に謝罪するサワキを見てミハイルは貫禄のある笑みを浮べた。

「日本の政府が忘れていても、『ミーティング』が必要な限り、私たちは忘れない。『ミーティング』は世界平和のために最も重要なプライベート・タイムだからな。覚えている者から動くしかないだろう。謝罪はいらない。私もサイゼ首相とニア首相に言われるまで、すっかり忘れていた口だ。マサオカ、『ミーティング』はどこでやるのだ?他のメンバーはもう集まっているのかね?」

 すぐにでも『ミーテイング』をしようといわんばかりのミハイルをユウが困ったように制する。

「ちゃんとやりますって、サワキ首相も約束しましたから。それより頼みごとかあるんです」

「君に貸しを作れるとは望むところだ」

 ミハイルは拳をつくり、どんとユウの胸元を軽く叩いた。

「どうせ忘れるくせに」

 引きつった笑いを浮べるユウを囲んで、大爆笑が起きた。

 そのユウの背中には、ぐっすりと眠っているライラの姿があった。


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