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音香彩々  作者: 天猫紅楼
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ライブの後の珈琲タイム

 改めて音楽のことを考えたことなんてなかった。

 自然に周りにあるものだし、特別無くて困るものでも無い。 カラオケは好きだが、数学や国語とかいう教科の中でも、音楽が特に好きとか嫌いとかいう分類にも属しなかった。

 だから、マスターが『好き』だと思う『音楽』がどういうものなのか、音香にはまだそこまでの理解が出来なかった。

 

「音楽って、そんなにいいもの?」

 

 すると、マスターは驚いたように目を丸くした。

「オッカ、今までだってライブに行ったことあるでしょ? 凄く楽しかったって、言ってたじゃない?」

「うーん……その時はスゴく楽しいと思ってるけど、終わってしばらく経てば、普通に戻るから。 いつもの生活に戻ったら、忘れちゃうかな」

「そっかぁ。 オッカはまだ音楽に浸かってるわけじゃないんだね」

「かもね。 楽器もやったことないし」

「やってみたら?」

 軽い口調で言うマスターに、オッカは両手を振った。

「無理無理! あたしもう二十歳過ぎてんだよ? 今から覚えるなんて、絶対無理!」

 マスターは笑顔で言った。

「さっき、ライブ見て感動してたでしょ? カッコいいって思ったでしょ? それは、与えられて感動を味わったってこと。 自分発信で誰かに感動を与えられたら、もっと感動するし、嬉しいと思うし、気持ち良いと思うけどなぁ」

 そして、

「ま、決めるのはオッカだけどね」

と、もうそれ以上は言わなかった。

 

 

 やがてライブが滞りなく終わった。 この二時間ほどが、音香には長く短いものに感じられた。

「さ、もうひと仕事だよ」

 マスターが二つの扉を開け放すと、すっかり陽が落ちた暗闇が冷えた空気と共に小部屋に差し込んだ。

 音香はマスターに促されて金庫を持ち、流れる客たちの間を逆流して店の中に入った。 熱気に火照った観客たちが流れだした後の薄暗い会場は、すっかり静かになって閑散としていて、かすかに残った熱がライブの余韻を残していた。

「お疲れさま~」

 マスターはカウンターの中で片付けている立木と影待に声をかけ、音香から金庫を受け取った。

「お疲れさまでした」

 音香が声を掛けると、立木からは

「お疲れっ!」

と明るい声が返ってきた。 あまり疲れた表情ではなさそうだ。 始まる前に見た人懐っこい笑顔だ。 影待は相変わらず無表情で、取り敢えずといった感じで

「お疲れ」

と返した。

『疲れてるのかな……? あたし、やっぱりこの人苦手だわ……』

音香が半ばひいていると、

「オッカ手伝って」

とマスターが呼んだ。

 

 振り向くと、トイレの扉を開けて手招きしている。

「オッカはトイレ掃除ね」

 マスターは軽い口調で当たり前のように言いながら、手にしていた掃除道具を音香に手渡した。

「えっ? えっっ?」

 流されるままに掃除の手順を伝えられ、

「じゃ、よろしく!」

と忙しそうに立ち去った。

「えええっっ!」

 音香は戸惑い、しばらく呆然としていたが、

『新人はトイレ掃除からって事ね……』

と思い直して諦めることにした。 そして教えられた通りに掃除を終え会場に戻ると、撤去されていた机や椅子が戻され、スクリーンも下ろされて、いつもの静かなセブンスヘブンに戻っていた。

「変わるもんだねえ……」

 感心したように見回す音香。

 

 その時、表から誰かが入ってきた。 わらわらと若い子達が五、六人、奥にスタッフが居るカウンターの前に並ぶと、深々とお辞儀をして挨拶した。

「ありがとうございました!」

 マスターはニッコリとして

「こちらこそ。 また、よろしく!」

と返した。

 彼らは今日のライブに出た子たちだ。

 その誠意に満ちた姿に、また音香の心が震えた。

 なんて素敵な風景なんだろう。 今の若者に、ここまでマナーがしっかりしている子達が居たのか。

 清々しい表情で帰っていく彼らを見送りながら感動に打ち震えている彼女に、マスターが声をかけた。

 

「オッカ、何飲む?」

 仕事が終わった時は、スタッフの皆に好きな飲みものを出してくれるらしい。 音香はグレープフルーツジュースを選んだ。 そして好きな場所に座り、音香たちスタッフは

「お疲れさまでした」

「いただきます」

を各々言った。

 

 一息ついたころ、マスターが皆に今日のギャラを配った。

「ありがとうございます! わぁ! なんか現金だと緊張するぅ!」

 音香の手の中には、今日の働いた結果がしっかりと握られていた。 会社でもらう冷たい明細書には無い熱と達成感を感じた。

「重みが違うでしょ?」

 マスターは心を読んだように言った。 音香は、そうですね、とニッコリとうなずいた。

 その後は皆で飲みながら仕事に対する感想や反省会のようなものをするのかと思いきや、特にそんな素振りもなく、タバコをふかしながらそれぞれが休憩し、雑談をしてやがて帰って行った。

 

 

 

「何も無いの?」

 

 

 音香が聞いたとき、店内にはマスターと影待が残っているのみだった。 影待はひとり静かにタバコをふかしながらチビチビとコーヒーを飲んでいる。 カウンターの奥で腕に袖止めを付けてバーモードに変身を始めているマスターが、きょとんとした顔で言った。

「何もって?」

「反省会とか、無いのかなぁって」

「反省会かぁ……」

 その今思い立ったような返しに、音香は椅子から落ちる勢いで拍子抜けした。

「あのバンドはどうだったとか、今日の照明はこうだったとか、無いの?」

「う~ん……」

 マスターが助けを求めるように影待を見ると、彼は小さく鼻で笑った……気がした。 そして、

「あまり気を入れてないからね」

と呟いた。

「えっ?」

 音香が驚いてマスターを見ると、困ったような顔をした。

「そう言われると誤解されますが……ライブの営業はあくまで『仕事』としてやっていますけど、ステージに上がりたい子達はまだ無名で、芽が出るか出ないかわからない。 そんな素人の集まりなので、たいして照明や音響なんかに何かを求めるほど経験や知識はないんですよ。 だから僕らは、自分たちのやりたいようにやらせてもらってるだけなんで、特に反省会を開く必要もないんです」

「へえ~……」

 もっとしっかりした仕事場かと思っていた音香は、気が抜けた。

「自由なのねえ……」

「それとは違いますよ……」

 マスターは手を振って否定したが、もはや音香にとってはどうでもいいことになっていた。

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