いざ! 音と音の戦い!
アンプ業界の先駆者、マーシャル氏のご冥福をお祈りいたします。
爆風!
音香の身体全体を振動が襲う。 体の芯まで叩き込まれるような爆音。 今までにも何度かクロノスを観てきたが、味わったことの無い、全く初めての感触だった。
『これが、クロノス?』
目まぐるしく色が変わる照明のなかで、メロディアスなギターソロが胸をくすぐる。 伸びやかなボーカルが音に巧みに乗り、挑発する。 リズム隊の低音が腹の奥をえぐる。 全ての音がひとつになって、会場の中を荒れ狂うように暴れまわっていた。
『クロノスって……こんなに……凄かったっけ?』
音香の視線は、不安を伴いながら拓也へと移った。 久しぶりに観るステージ上でベースを構える姿は、いつもながら格好いい。 ファーの付いた黒い革ジャケットは、季節関係なくいつも身に着けている。 コスチュームのようなものだ。 がっちりと魅了しながら、セブンスヘブンのさほど広くないステージの上を所狭しと走り回る。 彼が以前に言っていた。
「俺は背丈が小さいからさ、ステージ上で存在感見せるためにも、動き回って視線を集める努力してるんだ!」
と。
そんなことを思い返しながら、音香は拓也にいつもと違う雰囲気を感じた。 拓也の目が、頻繁に一点に集中する。
「!」
音香がその視線をたどって振り向くと、そこには影待の姿があった。
音響卓を操作しながら、彼もまた、拓也を見ていた……と言うより、二人は互いに睨み合っていた。
『うわ……』
まるで音と音のぶつかりあい。 激しい音の絡み合いが、吐き気さえ感じさせる。
『これが拓也の言ってた、戦い……?』
その壮絶さに、まるで貧血したかのように眩暈を誘発した。
『拓也……先生……やめてよ…………お願いっ!』
音香は思わず壁に倒れかけ、声にならない言葉を込めて拓也を見つめていた。 拓也の表情からは、いつものような『楽しさ』が消えていた。 瞳をらんらんと輝かせ、体全体で攻め続ける。 音香が一番大切にしているものを彼は捨て、まるで観客など映っていないかのように、ひたすら音を出し続けているだけだった。 そこからは、何も伝わってこなかった。
『…………』
悲痛な表情で見つめ続ける音香に気付くことなく、クロノスのライブは熱狂の渦で会場を暴れ回った。
音香は会場の盛り上がりとは裏腹に、意気消沈のまま受付の小部屋へと戻った。
「あれ、早かったね? もっとゆっくりしてきてもよかったのに」
のんびりとした声で迎え入れながら、マスターが座る位置をずらした。 音香は空いた自分の定位置に座ると俯き、ため息をついた。
「どうしたの? 元気ないねえ? 今日のクロノスは楽しくなかった?」
音香は顔を上げ、一瞬マスターに相談しようかと思ったがやめた。 もはやそんな気力さえも無くなっていた。
「別に、なんでもないよ。 相変わらずの人気だなぁって」
音香は気持ちを押し殺して、懸命に愛想笑いをした。 するとマスターは、立ち上がって扉にもたれると、耳を付けるように首を傾げた。
「クロノスの音は、いつもこんな感じ?」
「え?」
彼は、遠くに聞こえるライブの音に耳を澄ませていた。
「刺々しい、攻撃的な……これがクロノスの音なんですか?」
マスターも気付いたようだ。 今日のクロノスの音には、激しさしか無いということを。
「若さの形という点では、評価するに値しますが……」
マスターは腕を組み、あごに手をあてながら、ちらと音香を見やった。
「まぁ、これがクロノスなんでしょうねぇ? 音響器具の具合にもよりますし。 アンプひとつでも音は変わりますから」
彼は明らかに音香を気遣っていた。 音香はそれに耐え切れなくなって、激しくかぶりを振った。
「違うの! こんな音、クロノスじゃない! クロノスはもっと楽しくて温かいの! ……拓也、喧嘩してるの……」
「喧嘩……?」
訳を話そうとしてマスターの顔を見ると、意外にも微笑んでいた。 何かに気付いてしまったような、何かを含んだような微笑み。
「通りで。 影待くんの様子が変だと思ったら、そういうことでしたか」
「そんなに、変だったんですか?」
すがるように見つめる音香に、マスターはフッと思い出し笑いをした。
「まぁ、ここは静観するしかないでしょうねえ。 本人たちが納得するまで」
何も解決策を言わないマスターに、音香はまたため息をついた。 これでは何も安心できたものじゃない。 マスターは、その様子を優しく見下ろして言った。
「ほんと、オッカも大変ですねえ」
「マスター、もしかして面白がってない?」
音香は少し睨んでやった。 そんな八つ当たりでもしなければ、気が治まらなかった。
「それにあたしは、先生の事なんて何とも思ってないし! 勘違いも甚だしいのよ!」
「まあまあ」
頬を膨らませる音香に、落ち着かせるように言っているようだが、どこか楽しんでいる様子は容易に見て取れた。
『裕里と同じ……結局は他人事だもんね……いい気なものだわ……』
音香は何度目かのため息をつきながら、早くライブが終わりますようにと祈った。
音香の心配をよそに、ライブは激しく盛り上がり、異例のアンコールまでやった。 なかなか帰らない観客たちに、マスターがオーケーサインを出したのだ。
「やっぱめっちゃカッコいいよね!」
「マサトの衣装、マジヤバかった! あたしも同じのが欲しい!」
「あたしも~!」
「え~! タクヤの方がいいよ! 今日は特別激しかったよね!」
「あ~~! ナツユキ! 最高だよお!」
帰っていく観客たちは、興奮しながら口々に感想を言い合って行く。
音香は
「ありがとうございました~」
と事務的に言いながら受付周辺の片付けをし、観客の波を泳ぐように逆走して会場の中に入った。 もはや慣れた手つきでトイレ掃除を済ませて出ると、カウンターの辺りで拓也と影待がなにやら話しているのが目に入った。
音香の背中を冷たいものが流れ落ちた。
『これは、止めるべきなのか……?』
殴り合いにでもなったら大変だ。 多少の怪我は覚悟しようと思いながら恐る恐る近づいていくと、二人の様子が音香の予想とは違うことに気付いた。
『……笑ってる……?』
拓也と影待は、まるで仲の良い友人のように笑い合っていた。 さっきまで喧嘩していたとは思えないほど親密に見える。 あの根暗な影待が、あろうことか珍しく大口を開けて笑っている。
マスターがそっと、戸惑っている音香の横に立った。
「どういう事?」
戸惑いながら見上げる音香に、彼は微笑みながら頷いて
「そういうこと、でしょうね」
と、ウインクして見せた。
マスターにはすべてお見通しのようだったが、音香にはさっぱり理解出来ていなかった。
この一週間、一切の連絡を断ってまでこの日に備えてきた拓也が、にっくき恋敵(拓也談)に対して、ああも親しくするなんて考えられない。 だが現に、今目の前に居る二人は、そう見える。
『……一体なんなの? どういう事なの?』
すっかり言葉を無くして立ち尽くしている音香に気付いた拓也が、小走りで近づいた。 マスターに軽くお辞儀をすると、
「オッカ、お疲れ! オッカ、やっぱすげーよ!」
と興奮気味な笑顔で言った。
「な、何が?」
拓也の剣幕に押され気味の音香。 愛想笑いのひとつも出やしない。 彼は構わずに満面の笑みで言った。
「影待さんだよ! 俺、もう完敗だ。 勝てねえ! けど、スゲー楽しかったし、燃えた!」
音香は救いを求めてマスターを見上げた。 だが彼は、微笑みながら頷くばかりだ。 拓也は続けた。
「俺、影待さんのファンになるわ!」
「! えええぇ?」
あまりの予想外の展開に、音香はパニック状態だった。
後に話を聞くと、どうやらライブ中に拓也と影待が戦っていたというのは本当らしく、拓也はどうにか自分の音を認めさせようと必死だったらしい。 だが、拓也の思惑を上回る技術で音を操作していたのは影待だった。
拓也の思わぬところで効果を付けられ、ライブ中盤には、すっかり影待の手の中で踊らされている感覚に陥っていたらしい。
ライブ後、拓也が影待に非礼をお詫びし、その実力に完敗したと告げると、影待もまた拓也たちの演奏に刺激を受けたらしく、むしろ久しぶりに楽しさを感じたらしい。
それで意気投合した二人は、ノーサイドとなったようなのだ。
「で、あたしを好きだって言ってたのは?」
音香が怪訝な顔で拓也の顔をのぞいてやると、彼はけろっとした顔で答えた。
「うん。 それ、気のせいだったみたい」
「はあ?」
「影待さんはいつもあんな感じみたいで、俺、思わず勘違いしたみたいだ。 やっぱ神だよ、あの人は!」
そう語る拓也の瞳は輝き、すっかり影待に惚れ込んでしまったようだった。




