ゴングはドラムスティックのカウントダウン!
影待が音香の事が好きなのではないかとは、以前にも裕里に言われたことはあったが、何しろ影待の音香に対する接し方が冷たい印象しかないので、自分のことを好きだと言われたところで、音香本人にとっては到底困るだけだった。 ライブや授業で何度も会っているが、そんな素振りがあったかどうかも全く分からない。 もとより音香の方は、音楽を教えてくれる『先生』として見ていたので、裕里のような感情が生まれるはずもない。
『男同士には、何かテレパシーのようなものがあるんだろうか?』
音香は悶々としたままの気持ちに堪えられなくなって、裕里に相談することにした。
「ハーイ、オッカ! どうした?」
いつもの明るい声が聞こえた。 音香は、さっきギター教室の後で起こった出来事を裕里に伝えた。 すると彼女は
「やっぱりね!」
と楽しそうに笑った。
「彼氏にも気付かれてどうすんのよ? もう、ホントに鈍感ねえ!」
裕里は笑い声を引きずっている。
「ねえ、先生の気持ちなんてどうでもいいんだけどさ、拓也の事、どうしたらいいのか、分かんないんだけど……」
「そうねえ……彼が『これは戦いだ』って言ったんなら、放っておいたら?」
「放っておいていいのかなあ?」
「大丈夫よ! オッカの気持ちがブレなければね!」
からかうように言う裕里。
「ブレるって何よ? あたしは拓也が好きなの! だから心配してるんじゃないっ!」
思わず音香が怒ると、ラブラブじゃん!、と再び裕里の笑い声が聞こえてきた。
「じゃあ大丈夫よ。 もし彼が影待さんに負けたとしても、オッカは彼のもとに居るんだから! 何も変わらないじゃない?」
裕里はまったく心配などしていないようだった。 むしろこの状態を楽しんでいるようだった。 結局何の答えも見つからずに、陽気な裕里の笑い声に音香の相談はかき消された。
「いい気なもんだよ……」
諦めて電話を切った後にそう呟いてみたが、何故か裕里のおかげで気持ちがずいぶんラクになった気がした。
だが、拓也の言う『戦い』の意味がよく分からないでいる今、もし二人が怪我をするようなことになったら……などと不安はまだ残っている。
『なんとかなるのかしら……?』
他のバンドメンバーもいるし、マスターを筆頭に、男のスタッフも居る。 何かあれば止めてくれるはずだ。 音香はなんとか気持ちを切り替えようと、自分の曲作りに専念することにした。 それから一週間、予告通りに拓也からの連絡は一切無かった。
ライブ当日。
音香は観客ではなくスタッフだ。 時間通りにセブンスヘブンに着くと、会場の中はすでに準備万端だった。 リハーサルもすでに済んで、静かな会場にマスターたちスタッフがぽつぽつと居るくらいだ。 音香は仕事モードに心を切り替えた。
「おはようございまーす!」
いつも通りに明るく挨拶をすると、立木兄弟は元気に返した。
「おはようございます! オッカは今日も元気だねっ!」
弟の隼人が、カウンターの向こう側でドリンクの準備をしながらニッコリと微笑んだ。 一年中日焼けをしたように黒い肌が健康的だ。
「今日もよろしく!」
音香は手を軽く上げて返し、その横で音響機械をいじっている影待にも、同じように大きな声で挨拶をした。
「おはようございます、先生!」
「おはよう」
一瞬だけ視線を音香に向けて呟くように言うのは、相変わらずの対応だ。 不意に拓也の言葉が思い出されかけたが、もう気にすることはやめようと決めてきた。 これはバイトとはいえ、れっきとした仕事なのだ。 任された仕事をすることが、今の音香がしなくてはならないことだ。
次に音香は、マスターと共に金庫を持って受付をする小部屋に入った。
拓也とはあれから会っていない。 電話やメールもしていない。 そうは言っても心配ではなかったわけではない。 音香はあくまでも平静を装いながら、さりげなくマスターにリハーサルの状況を聞いてみた。
「普通だったよ」
簡単な言葉が返ってきた。
「皆、緊張もしてないみたいだったしね、ライブ慣れしてるのがよく分かったよ」
「どうして?」
「特にベースの彼がね、音響に色々と注文してたんだ。 『もっと低音が欲しい』とか、『マイクの音量を上げて欲しい』とか」
「それって……他のバンドさんは言わないことですか?」
マスターはフッと笑って顎の髭を触った。
「あまり言わないねえ。 だから、これはちょっと他とは違うなって思ったんだ」
「そうですか……」
『やっぱり拓也、先生に喧嘩売ってるのかしら?』
音香はマスターの話を聞いて、余計に心配になってきた。 そんな気も知らず、マスターは続けた。
「ここでライブをする子達は皆、まだ音響だ照明だっていう演出のことなんてよく知らない子たちばかりだからね。 よっぽどライブやってないと気にしないものだよ。 『こんなものだろう』って」
「先生は、何か言ってました?」
「そりゃあ、ぶつぶつ言ってたよ。 『そんなもん自分で頑張れ!』って。 馴染みの相手じゃないし、さすがに、若い子に色々と指図されるのは気に入らないんだろうね」
マスターは肩を震わせて面白がっているようだったが、音香の心境は穏やかではなかった。
やがて開場時間が来て、音香は受付の仕事に追われた。
マスターの厚意で格安で借りられたとはいえ、三組の対バン形式でライブは開催された。 少しでも経費削減をしながら、他のバンドよりも人気とファンを取りたい。 そんな気持ちは、どのバンドも同じなのだろう。 しかし……。
『クロノス効果』なのだろうか? 音香は今回の入場者がいつもよりも多い気がした。 それはマスターも感じたようで、
「今日は多いね」
と受付に追われながら、もうすっかり冬だというのに珍しく汗ばんでいた。 やっと両方の扉が閉じられ、二人が息をついていると、最初のバンドの音が聞こえてきた。
女の子のボーカルのようだ。 甲高く伸びのある歌声が響く。 もっとも、厚い扉に阻まれてはるか遠くに聞こえるだけだが。
彼女達は、有名バンドの曲をコピー演奏していた。 楽譜通りながら、自分たちのレベルに合わせて少しスローテンポに演奏している辺り、初々しさを感じさせた。
次のバンドは男の子たちのようだった。 一昔前のパンクバンドのコピーをして、それなりに盛り上がっているようだ。 そんな楽しそうな音や声も、音香にはただのBGMにしか聞こえなかった。 ステージ裏の楽屋に居るであろう拓也の事が頭から離れなかったのだ。 彼が今何を思っているのか、全く想像も出来ない悔しさが、音香の胸を締め付けていた。
『拓也、大丈夫かな……』
いつもよりも口数が少ない音香を気遣ったのか、横に座っていたマスターが少し顔を覗き込んだ。
「彼のバンド、中で観てきてもいいよ」
音香は思わずマスターを見上げた。
「だけどココは……?」
「大丈夫だよ。 もうここの仕事なんて、あって無いようなものだしね。 さ、観ておいで」
マスターはそう言って、軽くウインクした。
音香は椅子から飛び降りた。
「すみません! じゃあ、ちょっと行ってきます!」
重い扉を開けて中に入ると、ちょうど前のバンドが終わったところだった。 ステージの上は、次のバンドの為に片付けを始めている。 彼らが手早くはけると、暗がりの中、次のバンドメンバーが現れた。
今回の主役、ロックバンド:クロノスの登場だ。
彼らが現れた途端、会場の中は一気にヒートアップした。
「すごい!」
音香は、改めてクロノスの人気に驚いた。
ファンの方はすでに気持ちが出来上がっているようだ。 昂ぶる気持ちを抑えきれず、それぞれに好きなメンバーの名を叫んでいる。
その声援の中で手早く準備をし、弦楽器の音を確認したあと、アイコンタクトでメンバーたちとタイミングを計ったドラム:ユウジのスティックが打ち鳴らされ、そのカウントが会場に響いた。




