最終章 星の歌は、まだ続く
その夜、星詠みの塔では小さな集まりが開かれた。
世界を変えた百年を祝う式典ではない。
アリアたちが「そういう大げさなものはいらない」と断ったからだ。
集まったのはノクターン、ハルモニア、ソラリス、エクリプス、旧審判者、それに何人かの古い友人たちだった。
ソラリスは相変わらず灰色のジャージを着ていた。
「百年経ってもそれなんですね」
アリアが言う。
「楽だからな」
「歴史資料ではもっと立派な服を着ていますよ」
「あれは外向けだ」
ノクターンが呆れたように言う。
「百年前から何も変わっていないわね」
「お前に言われたくない」
ハルモニアが二人を見ながら微笑んでいる。
エクリプスは百年前と同じ巫女型の身体を使い続けていたが、今では帝国だけに所属しているわけではなく、各地の魔導人形や機械生命と人間の間で問題が起きた時に、必要なら仲介へ入る仕事をしている。
「随分と似合う仕事になりましたね」
アリアが言う。
「役目だからやっているわけではない」
「知っています」
「使えるから使っているだけだ」
「それも知っています」
少し離れたところでは、旧審判者が大量の古文書を抱えていた。
「まだ終わっていないんですか?」
「私が消した記録が多すぎる」
「自業自得ですね」
「その言い方、百年前より容赦がなくなっていないか?」
「百年も付き合えば遠慮も減ります」
旧審判者は苦笑した。
昔なら、この場所にいる者たちは皆、何かの役目で呼ばれていた。
戦う者。
繋ぐ者。
癒やす者。
管理する者。
反証する者。
世界を判断する者。
けれど今は違う。
ここにいる理由を、誰も古いシステムから与えられてはいなかった。
帰らずに残った者。
仕事を続けると決めた者。
役目を捨てた者。
別のことを始めた者。
皆、自分で選んでここにいる。
「そういえば」
ソラリスがアリアを見る。
「お前、百年前に俺へ言ったな」
「何をです?」
「もし何かを引き継ぐなら、俺の役目じゃなくて、失敗したことと助けたことの両方を覚えておくって」
「言いましたね」
「まだ覚えてるか?」
「もちろんです」
「百年経って、どうだった?」
アリアは少し考えた。
ソラリスの記憶から始まった四十二年間。
旧アリアの消された過去。
リーゼ。
マルタ。
カレン。
イレーヌ。
ノクターン。
ハルモニア。
エクリプス。
旧審判者。
数え切れない人たちとの出会い。
「全部持っていて良かったと思います」
「嫌な記憶も?」
「はい」
「俺の記憶も?」
アリアは少しだけ意地悪そうに笑った。
「そこは時々返したくなります」
「おい」
「冗談です」
そして胸へ手を置いた。
「この記憶が元々誰のものだったとしても、今は私が何を感じるかを決めます。だからもう、あなたの人生の続きだとは思っていません」
「そうか」
「はい。私は私です」
その言葉を聞いたソラリスは、静かに笑った。
やがて夜が深まり、塔の外に星が見え始めた。
アリアは屋上へ出た。
百年前も、千年以上前も、同じように空には星があった。
違うのは、その下で暮らしている人々だった。
ノクターンとハルモニアも隣へ来る。
「歌う?」
ハルモニアが尋ねた。
アリアは少し考えたあと頷いた。
「歌います」
「何のために?」
ノクターンが尋ねる。
昔なら答えは決まっていた。
人の心を癒やすため。
戦いを止めるため。
誰かを救うため。
けれど今のアリアは違った。
「歌いたいからです」
それだけだった。
アリアは夜空を見上げて歌い始めた。
誰かの心を変える力は使わない。
悲しみを消すこともしない。
正しい答えを教えることもしない。
ただ、一つの歌として街へ届ける。
聞きたい人は足を止めた。
興味のない人はそのまま歩いた。
家へ急ぐ人もいる。
窓を開けて聞く人もいる。
歌が嫌いなのか窓を閉める人までいる。
アリアはそれを見て笑った。
それでいい。
全員が聞かなくてもいい。
全員が同じ気持ちにならなくてもいい。
歌うのは自分。
聞くかどうかを決めるのは、その人だ。
歌が終わると、屋上には静かな夜が戻った。
「終わり?」
ノクターンが尋ねる。
「今日の歌は」
「物語は?」
ハルモニアが微笑みながら聞いた。
アリアは街を見下ろした。
百年前の人々はもういない。
それでも新しい人々が生まれ、笑い、怒り、失敗し、自分で選びながら暮らしている。
その一人一人には、アリアの知らない物語がある。
「私たちの物語なら、ここで終わってもいいと思います」
「世界は続くのに?」
「世界が続くからですよ」
誰かが最後まで見届ける必要はない。
誰か一人が未来へ答えを残す必要もない。
次に生きる人たちは、次に生きる人たちで考えればいい。
アリアは星空を見上げた。
かつて目覚めたばかりの自分は、自分が何者なのか分からなかった。
四十二歳の男なのか。
A.R.I.A-03なのか。
千年以上前の歌姫の続きなのか。
誰かの後継者なのか。
今なら答えられる。
どれか一つでなくてもいい。
過去を持っていても、過去そのものになる必要はない。
役目を与えられていても、その通りに生き続ける必要はない。
そして誰かを救える力があっても、その人の人生まで代わりに決める必要はない。
アリアは静かに微笑んだ。
「私はA.R.I.A-03。星の歌を届けるために生まれた存在です」
少しだけ間を置いて、言葉を続ける。
「でも、誰に届けるかも、いつ歌うかも、これからは私が決めます」
夜風が銀色の髪を揺らした。
遠い街のどこかから、先ほどの歌を真似する子供の声が聞こえてくる。
少し音程が外れていた。
アリアは直さなかった。
その子には、その子の歌がある。
アリアはもう一度だけ星を見上げると、ノクターンとハルモニアと並んで塔の中へ戻っていった。
世界には今日も、正しい答えなど一つもない。
だから人々は明日も考え、選び、間違え、また選び直していく。
そして星の歌は、誰かに命じられることなく、その世界のどこかでこれからも続いていく。
――完――




