第322話 "銀の新星"を狙え!
───────────────────
地下会議室の空気は、酒と土と、閉じた場所特有の湿り気が混じったような匂いに満ちていた。
石造りの壁に囲まれたその部屋の中央には、傷だらけの長机が一つ。
その周りを囲むのは、ザキ、ギュスターヴ、ロール、ディオニスの四人だった。
机の上には簡易的なルセリアの地図と、明日の本戦ルールを書き写した紙束が広げられている。
蝋燭の火が揺れるたび、四人の影も壁の上で歪に揺れた。
その沈黙を最初に破ったのはザキだった。
「──試合開始直後、アルドくんに奇襲をかけたい? 本気で言うてんの? ギュスターヴくん」
驚いたような、呆れたような。
けれど声の芯には、明確な警戒があった。
対するギュスターヴは、石像みたいに無骨な顔をほとんど動かさず、短く答える。
「……そうダ」
その一言に、ザキは深々とため息をついた。
ロールは呪符の巻かれた目を伏せるようにして、二人のやり取りを心配そうに聞いている。
ディオニスはというと、椅子へ半ば寝そべるような姿勢で酒瓶を傾け、面白そうに口元を歪めていた。
ザキは机に肘をつき、指先でこめかみを押さえる。
「俺、言わんかったっけ? アルドくんは、ラグナと同等……下手したら、それ以上の危険人物なんやって」
それから、まっすぐギュスターヴを見た。
「友達になったから言うてるんちゃうで? プロの目線でも、アレは刺激したらアカンやつやねん。アンタッチャブルや」
言葉を選んでいるようでいて、実際はかなり強く止めていた。
ザキはもう、アルドを“真っ向勝負で勝てるかもしれない相手”の棚には置いていない。
触れていい怪物と、触れてはいけない怪物の区別くらいはついている。
だが、ギュスターヴは一歩も引かなかった。
「──お前に『ラグナを殺す』という目的があるのと同じク、俺にも目的があル」
低く、重い声だった。
「俺の目的ハ……“強欲の魔王”に滅ぼされタ、我が一族の復権。それだけダ」
その言葉が出た瞬間、部屋の空気がほんの少しだけ沈んだ。
ギュスターヴにとって、それは冗談でも、見栄でもなかった。
爬虫人としての誇り。
失われた一族の名誉。
生き残った者としての執念。
「ジゼル・デル・エルディナスに手を貸すのモ、目的を果たす為の手段に過ぎなイ」
そこでディオニスが、酒瓶を口から離して愉快そうに笑った。
「第四とはいえ、エルディナの王子の後ろ盾でもありゃあ、爬虫人が盛り返すのも難しかねぇかもな」
ギュスターヴがギロリと睨む。
だがディオニスは、まるで意に介した様子もない。
ギュスターヴは視線をザキへ戻し、さらに言葉を続けた。
「──その為には、必要なのダ……ジュラシエル……“凶竜”の名を持つ、彼女ガ……!」
言いながら、無骨な頬がぽっと赤く染まる。
そして何故か視線は斜め上へ。
その表情だけ妙に乙女めいていて、部屋の空気が一瞬だけ変な方向へ滑った。
ザキは、こめかみを引きつらせたまま、隣のロールへ小声で囁く。
「な、な。これギュスターヴくん、何言うてんの? 一族の復権と、惚れた女に付き纏うん、どういう関係あるん?」
ロールは困ったように小さく首を振った。
「さ、さあ……? 私にも分かりかねます……」
ザキは「やろなぁ……」みたいな顔で天井を仰ぎ、それから改めてギュスターヴへ向き直った。
「ギュスターヴくんの意見はわかっ……てはおらんけども、とにかく、アルドくんに手出しするんは悪手や。賛成はできひんよ」
今度の声は、さっきよりさらに真面目だった。
「アルドくんは──あれは、真っ向から戦ったらアカン存在や。ラグナと同じく、な」
ギュスターヴはその真剣な声色に、一瞬だけ押し黙った。
ザキが本気で言っていることは分かる。
分かった上で、それでも引けないのがギュスターヴだった。
「──貴様にも悲願があるだろウ」
爬虫類特有の縦長の瞳孔が、じっとザキを射抜く。
「これが、俺にとっての『それ』ダ」
それを言われると、ザキも強くは返せない。
彼自身、ラグナを殺すという目的のために、ここへいるのだから。
「それを言われると、なぁ……」
頭をかきながら、ザキは困ったように眉を寄せた。
重くなりかけた空気を破ったのは、ロールだった。
「ディオニスさん。いつまでもお酒ばかり飲んでいないで、貴方も何か意見を言ってみては?」
ザキも視線を向ける。
「ディオニスくん、君ぃはどう思う?」
ディオニスは空になりかけた酒瓶を逆さにし、最後の一滴まで口へ落とし込んだ。
ごくりと喉を鳴らして飲み下すと、にやっと笑う。
「俺だってよぉ、ラグナと同レベルの化け物とやり合うなんざゴメンだぜ」
そこまでは、いつもの軽口みたいな言い方だった。
だが、次に続いた言葉には妙に筋が通っていた。
「だがよ……条件によっちゃ、ギュスちゃんの案に乗るのもアリだと思うぜ?」
ギュスターヴが「ほウ……?」と目を見開く。
ザキも、少し楽しそうな顔になった。
「──聞かせてもらおか。君ぃの考える、条件ってのをな」
ディオニスは、空いた手で机の上の簡易地図を指差した。
「いいか? 本戦は予選上位チームからスタート位置を決めていくルールだ。俺たちは三位。ラグナたちと、“銀の新星”のチームの後だ」
「だが、ヤツらは同率一位。同時にスタート位置を決める事になる。位置関係がどうなるかは、誰にも予想がつかねぇ」
ディオニスは一本指を立てる。
「俺らの目的は、“銀の新星”をラグナにぶつけて漁夫の利を狙う事だろ?」
そして二本目の指。
「ってことは、だ。“銀の新星”のスタート位置がラグナと近ければ、ヤツらが勝手に潰し合うのを期待して、俺らはほどほど離れた位置からスタートして静観」
三本目の指。
「もし、ラグナと“銀の新星”のスタート位置が離れてたなら……ちょっかいかけてラグナの位置まで誘導する、ってぇならアリじゃねぇか?」
しん、と一瞬だけ会議室が静まった。
ザキ、ロール、ギュスターヴの三人が、揃ってディオニスを見る。
その顔には「お前そんなこと考えられたんか」がそのまま浮かんでいた。
最初に口を開いたのはザキだ。
「ディオニスくん……君ぃ、やっぱり、ただのアル中やなかったんやね」
ディオニスは胸を張るでもなく、椅子にもたれたまま肩をすくめた。
「ったりめぇよ。酒は友、酒は叡智だぜ?」
そう言いながら、どこからともなく新しい酒瓶を取り出し、もう飲み始める。
ザキは静かに顎へ手をやった。
案そのものは、筋が通っている。
理屈だけで言えば悪くない。
問題は、その実行役だ。
「いや……だとしても、やはりギュスターヴくん一人でアルドくんに挑んで誘導する言うんは、危険過ぎる」
ギュスターヴはムッとした不満そうな顔をした。
だが、予選会で見たザキの実力を思い出したのか、そのまま言葉を飲み込む。
するとディオニスが、明るく割って入った。
「なーに言ってやがる」
そう言って、嫌がるギュスターヴの肩へ腕を回す。
「俺も付き合ってやるぜ、ギュスちゃんよ」
「離セ、酔っ払イ」
「いくら“銀の新星”が化け物だっつっても、二人がかりで行きゃあ、いざとなりゃなりふり構わず逃げるくらいは出来んだろ!」
ギュスターヴは鼻を鳴らした。
「フン……俺はおめおめと逃げ帰るつもりは無いガ……その策、乗ってやル」
ザキも、最後は渋々ながら頷く。
「そういう事なら……まあ、やってみる価値はありそうやね。ただ、アルドくんを本気で怒らせたらアカンで。マジで」
その忠告だけは、最後まで崩さなかった。
ディオニスはギュスターヴへ無理やり肩を組んだまま、けらけら笑う。
「任せとけ任せとけ! 俺とギュスちゃんのコンビの力は知ってんだろ? ホラ、予選会の時だって……」
そこまで言って、ふと口を止めた。
「──あん?」
ディオニスが眉をひそめる。
「なぁ、ギュスちゃんよ。俺ら……予選会でも、手を組んで強敵に立ち向かったよなぁ?」
ギュスターヴも、わずかに首を傾げた。
「……? 何を言っていル。そんな事、無かった……だろウ……?」
そう答えながらも、言葉の最後が少しだけ鈍る。
二人とも、何か引っかかっている。
記憶の中にぽっかり空いた穴のような、気味の悪い違和感。
だが、その正体には辿りつけない。
ザキは二人を見比べて首を傾げた。
「二人とも何言うてんの? まあええか。決まりやな」
そこで会議は、ひとまず形としてまとまった。
だが、まとまったのは作戦だけで、思惑までは揃っていない。
ザキは内心で、小さく息を吐く。
(アルドくんには、ちょっと申し訳ないけども……)
だが彼の中で優先順位は決まっている。
(ラグナを確実に殺すためや。アルドくんには、ラグナとぶつかって、少なくとも隙を作ってもろう)
ギュスターヴはまた別のことを考えていた。
(“凶竜”ジュラシエルが惚れ込んだ男、アルド・ラクシズ……その力、直接この目で見極める)
爬虫類じみた横顔に、妙な熱がこもる。
(あわよくば、俺がヤツを倒し……ジュラシエルの心を、俺に向けさせる……!)
やっぱり理屈がおかしいが、本人の中では繋がっているのだから仕方ない。
ディオニスはそんな二人を横目で見ながら、酒瓶の口元を指で弾いた。
(コイツらは、この“統覇戦”そのものを目的としてねぇ)
口元がにやりと吊り上がる。
(だが、俺の目的はまた別にある……“統覇戦”そのものの優勝だって、諦めちゃいねぇぜ)
彼の視界には、ラグナも、アルドも、全部“勝つための障害”として映っている。
(隙がありゃ、ラグナも“銀の新星”も食っちまって、優勝を掻っ攫ってやるぜ)
ロールはそんな三人の様子を、何も言わずに見つめていた。
呪符に覆われた目は表情を隠しているけれど、空気の揺れだけで分かる。
彼女は少しだけ、不安そうだった。
かくして、それぞれの思惑が交差するザキチームの作戦は成立した。
───────────────────
現在。
鏡像領域、第一領域。
フォルティア街道沿いの商店街を見下ろす建物の屋上。
ディオニスとギュスターヴは、石造りの屋根の縁に立ち、下を歩く一人の少年を見下ろしていた。
銀色の髪。
気の抜けたような歩き方。
観光気分みたいに、きょろきょろと街並みを見回している。
アルド・ラクシズ。
ディオニスは酒瓶を傾けながら、ニッと笑った。
「……ったく。思いっきりラグナと逆方向のスタート地点を選んでくれちゃってよぉ」
ごくり、と喉を鳴らす。
「こりゃ、俺たちが誘導してやらなきゃなぁ」
ギュスターヴは黙ってアルドを見据えていた。
その片手では巨大な金棒が軽々と回されている。
金属の塊が唸りを上げながらくるくると回る様は、普通の人間が見ればそれだけで怖気づくはずだ。
だが、ギュスターヴの意識はその武器よりも、目の前の銀色の少年へ向いていた。
「──その前ニ」
低く呟く。
「ヤツの力……俺が見定めてやル……!」
そう言って、くるくると回していた金棒を肩へ担いだ。
ディオニスは横目でその様子を見て、口の端を上げる。
「祭りの前座にしちゃあ、随分豪華だな」
「前座では無イ。本番ダ。俺にとっては──ナ」
「はいはい。じゃ、派手にいこうぜ、ギュスちゃん」
二人は目配せを交わす。
次の瞬間。
屋上の縁を蹴り、商店街の通りへ向かって一気に飛び降りた。
その先にいる銀色の少年が、自分たちの想定を遥かに超えた怪物だと、この時の彼らはまだ知らなかった。




