292話 幼馴染と、衝撃の事実
悠天環を模した亜空間は、相変わらず気持ちがいい。
雲ひとつない青空の下、浮島の縁から吹き抜ける風が、草の匂いを運んでくる。
さっきまで山が吹き飛ぶだの、時間が止まるだの、物騒なことをしていたのが嘘みたいだ。
俺は土魔法でササッと作ったテーブルと椅子を見下ろしながら、満足げに頷いた。
うん、即席にしては悪くない出来だ。
そのテーブルの向こう側で、ルシア──いや、グルーシャは、椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと空を眺めている。
眠たげな目。
力の抜けた姿勢。
戦闘中とまるで別人だ。
ああ、これこれ。
このボーッとした感じ。
悠天環にいた頃の、いつものグルーシャ。
俺は背中を向け、簡易キッチン代わりに作った魔法の作業台へ向かう。
どんぶりを二つ並べ、湯気を立てる鍋から麺をすくい上げる。
「よっと……天空落とし!!」
網を振る。中⚪︎屋スタイルだ。
チャッチャッチャッ、と軽快な音を立てて湯切りをするたび、麺がきらりと光を反射する。
スープを注ぎ、具を乗せて、完成。
俺はどんぶりを一つ手に取ると、振り返ってニッと笑った。
「ヘイお待ち!」
勢いよく、ドン、とテーブルに置く。
グルーシャの前に置かれたどんぶりから、立ち上る湯気。
醤油と脂の香りが、青空の下にふわりと広がった。
俺も自分の分を置いて、向かいに腰掛ける。
グルーシャは、どんぶりをじっと見下ろしている。
しばらく無言。
そして、小さく呟いた。
「……なにこれ」
俺は肩をすくめて笑う。
「いやー、久々の再会を祝して、俺からの奢りだよ!食べて食べて」
彼女は一度だけ俺の顔を見てから、またどんぶりに視線を落とす。
しばしの沈黙の後、静かに手を合わせた。
「……いただきます」
箸を取り、麺を持ち上げる。
ズルル……
音を立てて、麺を啜る。
そして──
一口目の途中で、カッ!と目が見開かれた。
……お?
次の瞬間、グルーシャは無言のまま、ズルル、ズルルと勢いよく麺を啜り始める。
間も置かず、スープを含み、また麺。
箸が止まらない。
「……」
俺は思わず、その様子をじっと見つめてしまった。
よしよし。
気に入ったみたいで、よかった。
内心でそんなことを思いながら、うんうんと一人で頷く。
俺も箸を取り、自分のラーメンを啜った。
懐かしい味。
地上で覚えた、俺なりの一杯だ。
しばらく、麺を啜る音だけが、青空の下に響く。
やがて俺は、ふっと息を吐いて、何気ない調子で口を開いた。
「色々聞きたい事はあるけどさ」
グルーシャの向かいで、箸を動かしながら言う。
「グルーシャ、いつからこっち──地上に降りて来てたの?」
彼女は麺を啜りながら、ほんの一瞬だけ考える素振りを見せてから、ぽつりと答えた。
「……人間の暦で、半年くらい前」
「へぇー」
俺は感心したように声を上げる。
「結構前からいたんだねぇ。それにしても、グルーシャも人間変化の魔法が使えたなんて、ビックリだよ」
そう言って、呑気にスープを啜る。
その時だった。
グルーシャの箸が、ピタリと止まった。
空気が、わずかに変わる。
彼女は視線をどんぶりに落としたまま、淡々と告げた。
「……わたしが人間変化の魔法を使えるのは、主にアルドのせい」
「えっ?」
思わず声が裏返る。
「俺?」
グルーシャは顔を上げず、そのまま言葉を続ける。
「アルドが星降りの宝庫で魔法を勉強してる時……何か疑問に思うたび」
箸先で麺を持ち上げながら、静かに。
「『ねぇ、グルーシャ。これ、どう言う事だと思う?』って、いちいち聞いてきた」
「……」
あ、あー……。
俺は視線を逸らし、頭を掻く。
「そ、そんな事も……あったかもねー……」
冷や汗が一筋、背中を流れた。
グルーシャは再び麺を啜りながら、淡々と続ける。
「そのせいで、わたしも、いくつかの人間の魔法を覚えちゃってた。だから、人間にも簡単に変身できた」
ズルル、と音を立てながら、実に事も無げに。
……言われてみれば。
悠天環にいた頃、他の真祖竜は、話しかけても返事すら返さず、ただぼーっとしてるやつばかりだった。
ただのしかばねかな?ってくらい、返事が無かったのよ。
その中で、唯一、言葉が通じたのがグルーシャだった。
彼女も基本的には、ずっとぼーっとしてたけど。
でも、話しかければ、ちゃんと反応はしてくれた。
だから俺は、何かあるたびに、彼女に話しかけていたんだ。
……無自覚に。
思い出して、胸の奥がちくりと痛んだ。
「ご、ごめんね……!」
俺は思わず、そう言っていた。
すると、グルーシャは少しだけ顔を上げて、俺を見た。
相変わらず淡々とした表情。
でも、声は──ほんの少しだけ、柔らかい。
「いい。別に、嫌ではなかったし」
その一言に、俺は少しだけ目を見開いてから、ふっと笑った。
「……なら、よかったよ」
それだけ言って、俺はまたラーメンを啜る。
ズルル。
青空の下。戦いの後。
幼馴染と並んで、ラーメンを食う。
……悪くない時間だ。
◇◆◇
ラーメンを半分ほど平らげたところで、俺はふと思った疑問を口にした。
「……っていうかさ」
箸でどんぶりの縁を軽く叩きながら、何でもない調子を装う。
「そもそも、なんでグルーシャが大学にいるの?」
グルーシャ──今はルシアとして人間の姿をしている彼女は、黙々と麺を啜っている。
「しかもさ、ラグナのチームに入って“統覇戦”にまで出てるなんて、正直ビックリなんだけど」
俺は肩をすくめた。
「まあ、俺も他人のこと言えないけどさー。グルーシャも、地上を見てまわりたくなって、悠天環を抜け出して来ちゃったの?」
その言葉に、グルーシャの箸がピタリと止まった。
湯気だけが、静かに立ち上る。
一瞬。いや、ほんの数秒かもしれない。
でも、その沈黙は、やけに重かった。
やがて彼女は、箸を持ったまま、静かにラーメンを啜る。
ズルル……
そして、淡々と答えた。
「……わたしが大学に通ってるのも、ラグナのチームに入ったのも」
眠たげな目が、一瞬だけ、鋭く光った気がした。
「“真祖竜”としての仕事の一環」
──その瞬間。
俺の手が、完全に止まった。
箸を持ったまま、固まる。
……あ。
そうだ。
久々の再会で、すっかり浮かれて忘れてたけど。
グルーシャ……さっきまで、俺にガチで殴りかかってきてたんだった。
面倒くさがりの極みみたいなグルーシャが。
理由もなく、あんな手間のかかることをするわけがない。
脳内で、嫌な想像が一気に膨らむ。
えっ……?やっぱり、真祖竜の上層部とかが、
「アイツ、宝めちゃくちゃ盗んでったし、"七大怠惰戒律"も破りまくってるし、数え役満で死刑!」
みたいな感じで……俺を消すために刺客を差し向けてきた、とか……?
背中に、じわりと汗が滲む。
俺が無言で固まっているのを、グルーシャはじっと見つめていた。
眠たげな目が、じっと俺の顔を捉える。
そして、ぽつり。
「……別に、アルドが“星降りの宝庫”から持ってったお宝については」
ズルル、と一口啜ってから、続ける。
「悠天環の誰も気にしてない。というか……たぶん、気づいてもいない」
「……」
一瞬、時が止まった。
(あっぶねぇぇぇぇ〜……!!)
心の中で、全力で叫ぶ。
(真祖竜が怠け者一族で助かったぁ〜……!!)
俺は大きく息を吐き、胸を撫で下ろした。
危なかった。
冷静に考えたら、あの宝物庫、誰も管理してなかったもんな……。鍵もかかってなかったし。
だが、安堵したのも束の間。
「……えっ?」
俺は顔を上げた。
「それじゃ、グルーシャは、何で俺に殴りかかって来たの?」
素朴な疑問。
本当に、それだけだ。
グルーシャは静かに箸を置き、どんぶりをテーブルの上に戻した。
湯気が、ふわりと上がる。
「それは……」
一瞬だけ視線を伏せてから、静かに言う。
「確認するため」
「確認?」
俺は眉をひそめた。
「何を?」
グルーシャは顔を上げ、真っ直ぐに俺を見た。
その目には、さっきまでの眠たげな色はない。
真剣な眼差し。
「……それは、まだ言えない」
そう前置きしてから、はっきりと言った。
「そういう“命令”だから」
(言えない……?)
俺は内心で首を傾げる。
(守秘義務がある仕事、とか?
真祖竜にも、そういうのあるんだな……)
勝手に納得しつつ、口に出す。
「というか、命令って……誰からの?」
その問いに、グルーシャは一瞬だけ、空を見上げた。
そして、静かに告げる。
「……悠天環の女王」
その言葉だけで、空気が変わった。
「真祖竜の頂点に立つ、原初の竜」
彼女は、淡々と、しかし確かな敬意を込めて名を告げる。
「──“聖妣竜”マーテラクシア様」
うわぁ。
名前からして、もう伝説感がすごい。
(マーテラクシア……この世界のマスタードラゴン的な存在なのかな……?)
俺は、悠天環にいた巨大な成竜たちを思い出す。
ただでさえデカいのに、基本的に誰も動かず、喋らず、存在感だけが圧倒的だったあの連中。
……あの中に、いたのかな。
マーテラクシア様。
そんなことを考えつつ、俺は首を傾げた。
「でもさ」
箸を持ち直しながら言う。
「なんでグルーシャが、そのマーテラクシア様からお使い……というか、仕事を任される事になったの?」
「俺と同期(?)だしさ。グルーシャも、真祖竜界の中では、めちゃくちゃ若手だよね?」
すると、グルーシャはあっさり言った。
「それは……人に変身する魔法を覚えてたのが、私だけだったから」
「……」
俺は、言葉を失った。
(あー……)
脳裏に浮かぶのは、星降りの宝庫での記憶。
俺が魔法書を広げては、いちいち横にいたグルーシャに質問していた光景。
(俺に付き合って魔法覚えちゃってたから、逆に、真祖竜の中では異端みたいになっちゃったのかも……)
胸の奥で、ちくりとしたものが走る。
(なんか……ごめん!)
内心で、深く謝った。
グルーシャを見つめながら、俺は思う。
(グルーシャも、頑張ってるんだなぁ……それにしても……)
究極の面倒臭がり種族である真祖竜たちが、
わざわざ使いを出してまで、人間界でしなきゃならない仕事。
しかも、その途中で、俺を殴りに来る必要がある仕事。
……結局、理由はよく分からない。
俺は少し考えてから、肩をすくめた。
(ま、いっか)
真祖竜たちの考える事なんて、どうせ分かんないし。
今は──
久しぶりに会えた幼馴染との再会を、素直に喜べばいい。
俺は、そう結論づけて、再びラーメンを啜った。
ズルル……
温かいスープが、妙に沁みた。
◇◆◇
はー……と、思わず深いため息が漏れた。
ラーメンの湯気が、青空に向かってふわりと溶けていく。
俺はどんぶりを両手で持ち、気の抜けた調子でズルズルと麺を啜りながら言った。
「しかし……」
啜る音の合間に、ぼんやりとした独り言みたいに。
「真祖竜に女王なんて、いたんだねぇ……」
スープを一口飲み、遠くの空島の縁を眺める。
「悠天環の大人の真祖竜達ってさ、基本的に誰も何も喋らないし、ただジッとしてるだけで、ほとんど動きもしないじゃん?」
思い出すのは、あの光景だ。
巨大な成竜たちが、空に浮かぶ大地の上で、ただそこに“在る”だけの姿。
「正直、そんな人……いや、竜? がいるなんて、全然知らなかったよ」
本当に、心の底からの感想だった。
ズルズル〜ッと、もう一度勢いよく麺を啜る。
その、次の瞬間。
「知らなかった?」
向かいから、あまりにも何でもない声が飛んできた。
「アルドのお母さんなのに」
「へぇ〜……俺のお母さんなの……」
反射的に相槌を打ちかけて──
ブーーーーッ!!!!
盛大な音と共に、口の中のラーメンが噴き出した。
「!?」
視界の端で、ルシアがサッ!と素早く動く。
まるで戦闘中の回避行動みたいな切れ味で、自分のどんぶりを横へスライドさせた。
セーフ。完全にセーフ。
俺はアウトだけど。
吹き出したスープと麺は、テーブル上に盛大に散らばっただけだった。
「ゲホッ! ゴホッ!!」
俺は前屈みになり、鼻から麺を垂らしながら激しくむせる。
「おっ……お母さん!?!?!?」
涙目で顔を上げ、叫ぶ。
「俺の!? お母さんなの!?
真祖竜の女王が!?!?」
混乱。完全なる混乱。
心臓がバクバクと暴れ、頭の中が真っ白になる。
対するルシアは、相変わらずだった。
無表情。落ち着き払いすぎていて、逆に怖い。
「うん」
アッサリとした一言。
「アルドのお母さん」
まるで、「箸、落ちてるよ」くらいのテンションで言われた気がする。
俺は、その場で固まった。
……。
…………。
………………。
数秒。
いや、十秒くらいは、そのままフリーズしていたと思う。
脳内で、今までの情報が、ガラガラと音を立てて組み替わっていく。
真祖竜。
悠天環。
女王。
原初の竜。
聖妣竜マーテラクシア。
そして、その息子、俺。
「……えっ?」
ようやく、声が出た。
「えっ!?!?じゃあ俺……」
ゴクリ、と喉が鳴る。
「俺、真祖竜の……王子様だったの!?!?」
自分でも信じられない叫びだった。
だって、俺が?
地上でカレー作って、ラーメン作って、犬の散歩して、大学に通って、二股のオロチとか不名誉なあだ名付けられてた、この俺が?
ルシアは、そんな俺をじっと見てから、あっさりと頷いた。
「そう。」
それだけ。
世界が、音を立ててひっくり返った。
俺は鼻から垂れた麺を指でつまんで引き抜きながら、呆然と呟く。
「えっ……なんで俺は今までそれ知らなかったの?」
「……さぁ。」
真祖竜の王子。
いや、聖妣竜マーテラクシアの息子。
この事実が、これから何を引き寄せるのか。
この時の俺は、まだ知らなかった。
ただ一つ確かなのは──
平穏な学園生活が、また一歩、遠ざかったってことだけだった。




