第291話 真祖竜 vs. 真祖竜
白銀の空島──悠天環を模した亜空間の中央で、二人は向き合っていた。
雲ひとつない空。足元には風に揺れる草原と、遠くに連なる浮島の影。そのすべてが現実と見紛うほどの質感を持ちながら、どこか作り物めいた静けさを纏っている。
アルドは肩を回し、首を左右に倒しながら軽く準備体操をしていた。まるでこれから稽古にでも入るかのような、気負いのない仕草だ。
「──『力を見せろ』って事は……」
彼はそう前置きしてから、ちらりと正面の少女を見る。
「ある程度、本気で戦ってもいいって事なんだよね? ルシアさん」
その声には探るような慎重さと、どこか楽しげな響きが混じっていた。
ルシアは返事を急がない。眠たげな瞳でアルドを一度見つめ、次に視線を下げる。そして、静かに口を開いた。
「……ご自由に。わたしは、わたしの仕事をするだけ」
淡々とした声音だった。そこに感情の起伏はほとんどない。ただ、それが逆に、この場が“遊び”ではないことを際立たせていた。
ルシアの両手が、ふわりと宙に浮く。
指先が舞うように動いた瞬間、彼女の背後に立つ白銀の人形たち──ナイト、ルーク、ビショップが、一斉に構えを取る。甲冑が擦れる低い音が、草原に不気味に響いた。
さらに。地面が、ゆっくりと歪む。
黒い渦が開き、そこから“引き戻される”ように、ひとつの影が浮かび上がった。
ポーン。
先ほどアルドに殴り飛ばされた人形だ。その胸部には、はっきりとした亀裂が走っている。
白銀の装甲は蜘蛛の巣状に砕け、内部の魔力が微かに漏れ出していた。
それを見た瞬間、ルシアの内心に、ほんのわずかな揺らぎが生まれる。
(……スキルでも、魔法でもない。ただの、パンチ一発で……?)
疑念ではない。事実への、純粋な驚愕だった。
ルシアは一度だけ深く息を吸い、両腕を胸の前で交差させる。そして、優雅に、まるで舞踏の始まりを告げるかのように振り上げた。
「──"傀儡演舞"……」
呟きと同時に、白銀の戦士たちの背中から、銀色の光が噴き上がる。
ゴォォォ──ッ!!
爆風のような音とともに、光は翼の形を取り、周囲の空気を震わせた。草がなぎ倒され、雲が引き裂かれる。
アルドはその光景を見上げ、口元に小さな笑みを浮かべる。
「なるほど」
軽く息を吐きながら、呟いた。
「それが、本気モードって感じなんだね」
ルシアは答えない。右手をすっとアルドへ差し出す。
「──"刺突跳躍"」
その瞬間。
ナイトの翼が、轟音を立てて炸裂した。
地面を抉り、衝撃波を引き裂きながら、槍を前方に突き出したまま、音速を超える加速でアルドへと迫る。視界が歪むほどの速度。
空間そのものが引き延ばされる。
だが──
アルドは、逃げなかった。
足を一歩、深く踏み込む。
ドンッ!!
大地に亀裂が走り、周囲の草原が波打つ。
「よいしょおっ!!」
掛け声と同時に、アルドの両手が伸びる。
槍先を、正面から、掴んだ。
次の瞬間、ドゥン!!という鈍く重い衝撃音が亜空間に響き渡る。
アルドとナイトの衝突点から衝撃波が放射状に広がり、悠天環を模した草木が一斉に揺れた。浮島の縁で、雲が弾ける。
ナイトの突進は、完全に止まっていた。
その直後。
左右と正面、三方向から殺意が迫る。
ルークが大斧を振り下ろし、ビショップがメイスを唸らせ、ポーンが片手剣を突き出す。
いずれも背中の銀光の翼によって加速され、刃の軌道は肉眼で追えない。
だがアルドは、楽しげに息を吐いた。
「いい連携じゃん……!」
その声と同時に、彼はナイトの身体を──槍ごと、持ち上げる。
人形の重量など、意にも介さない。
ガシャン!!
振り下ろされるルークの斧に向かって、ナイトの巨体が叩きつけられた。金属同士がぶつかる轟音が空間を震わせ、火花が宙を舞う。
戦いは、完全に火蓋を切って落とされた。
そしてこの瞬間、ルシアは確信する。
──目の前の存在は、ただの"同族"ではない。
規格が、違う。
◇◆◇
左右から、殺意が迫る。
ポーンの剣が空を切り裂き、ビショップのメイスが唸りを上げる。
二体とも、銀光の翼による加速を乗せた一撃だ。
直撃すれば、空島ごと砕けかねない威力。
だがアルドは、一歩も引かない。
むしろ、わずかに口角を上げて呟いた。
「──"竜泡"……!」
その瞬間。
アルドの前方に、無数の銀色の泡が弾けるように出現した。
それは、まるで光を内包したシャボン玉。ひとつひとつが淡く輝きながら、瞬時に連なり、壁となる。
ポーンの剣が、ビショップのメイスが──
ボヨン。
拍子抜けするほど柔らかな音を立てて、弾き返された。
衝撃は吸収され、反発し、攻撃は軌道を失って宙を舞う。泡の表面が歪み、揺れ、しかし一つとして割れない。
ルシアは、その光景を見て、思わず声を漏らした。
「……"竜泡"……そんな、使い方が……!」
魔力の糸を操る指先が、わずかに止まる。
本来、竜泡は“封じる”ためのスキル。対象を包み、隔離する。それを──防壁として、しかも衝撃制御にまで使うなど、想定されていない。
アルドは振り返りもせず、軽く笑った。
「封じて捕まえられれば一番よかったんだけどね」
肩をすくめるように言う。
「さすがに、真祖竜スキルで真祖竜スキルを完全に封じるのは、無理みたいだったからさ」
そのまま、彼はクイッと手首を返した。
指先で、何かに命令を下すような、軽い仕草。
すると──
銀色の泡の壁が、ゆっくりと回転を始める。
渦を巻き、連なり、形を変え──次の瞬間、それは東洋の竜のような姿を形作った。
泡でできた竜が、しなやかに身をくねらせながら、ポーンとビショップへと絡みつく。
ギチィ……!
泡の竜が締め上げ、二体の動きが止まる。白銀の装甲が軋み、魔力の流れが乱される。
アルドは、その一瞬を見逃さない。
「そーれっ!」
地面を蹴り、二体の腹部へ──
ドゴォッ!!
容赦のない蹴りを叩き込んだ。
ポーンとビショップの身体が、同時に宙へ浮く。
「!!」
ルシアの目が、見開かれる。
「エリアルコンボッ!!」
アルドは叫びながら、自身もギュンッ!!と跳び上がった。
空中。バランスを崩した二体に追いつき、拳と脚が嵐のように叩き込まれる。
ガガガガガガガガッ!!
音が連なり、衝撃が連続する。パンチ、キック、肘、膝──すべてが無駄なく、寸分の迷いもなく打ち込まれていく。
そして、空中で一度身を翻し──回し蹴り。
ズドォン!!
その一撃で、魔力の糸がブツリと切れた。
制御を失ったポーンとビショップは、流星のように吹き飛び、遥か遠くの山へと叩き込まれる。
ドガァァン!!
轟音とともに、山が二つ、消し飛んだ。
その光景を背に、アルドは空中で体勢を整える。
だが、休む暇はない。
下から、ナイトとルークが──銀光の翼を唸らせ、凄まじい速度で追撃に入る。
その刹那。
アルドは、右手をかざした。
「──"竜渦"。」
黒い渦が、二体のすぐ目前に出現する。
抗う間もなく、ナイトとルークは渦に飲み込まれ──
次の瞬間。
ルシアの左右、至近距離に、二つの黒い渦が開いた。
そこから、勢いそのままのナイトとルークが、互いに向かって突撃する形で吐き出される。
ルシアの思考が、一瞬、凍る。
(!? 上手い……!)
“竜渦”を、対象の強制移動だけでなく……攻防一体の手段として使った。
ルシアは、反射的に後方へと身を翻す。
その直後。
ガァァーーン!!
正面衝突したナイトとルークが、凄まじい音を立てて砕け散った。白銀の破片が、空に舞い、消えていく。
アルドは、ふわりと地面に着地する。
スタッ、と軽い音。
そして、ルシアを見て、肩の力を抜いたように言った。
「力を試されてるってんならさ……」
少し照れたように、しかし真剣な目で。
「真祖竜スキルも、使ってみせた方がいいんだよね? たぶん」
ルシアは、静かに頷いた。
「──そうだね」
その声は、先ほどよりも、ほんのわずかだけ──楽しげだった。
◇◆◇
アルドは、一度だけ深く息を吐いた。
真剣な表情で、コキッと首を鳴らす。
その仕草だけで、周囲の空気が一段引き締まった。
……かと思った、次の瞬間。
「……あ、あのー……」
急に、声のトーンが落ちた。
恐る恐る、といった様子で頭をかきながら、アルドはルシアを見て言う。
「これ、どのくらい力を見せればいいんですかね……? なんか、一定以上の力を見せたら……ほら。お宝パクって来た罪が免責されたり、とか……しません?」
命を賭けた神域の戦いの最中とは思えない、あまりにも俗っぽい質問。
ルシアは、一瞬、完全に固まった。
きょとん、と目を丸くする。
数拍の沈黙の後、彼女は小さく息を漏らすように呟いた。
「──そういうとこ、変わってないね」
あまりにも小さな声だった。
アルドは聞き取れず、首を傾げる。
「え? 何か言った?」
ルシアは視線を逸らし、静かに首を振る。
「ううん」
そして、ゆっくりと視線を戻し、淡々と言った。
「もう少し、力を見せてもらいたい」
その言葉と同時に。
ゴウッ!!
銀色の魔力が、ルシアの周囲から一気に噴き上がった。風が巻き、空気が震え、悠天環を模した空島が低く唸る。
ルシアは、口元に巻いていたマフラーに手をかけ──すっと、それを下げた。
口を、アーンと開ける。
次の瞬間。
ゴリッ。
ためらいも、痛みを感じさせる表情もなく、彼女は自分の奥歯を一本、引き抜いた。
アルドの表情が、一変する。
(──自分の……真祖竜の歯を、媒体に……!?)
一瞬で、理解した。
(”竜牙兵”……ポテンシャルを、最大まで引き出すつもりか……)
ルシアの手の中で、その歯が淡く輝き始める。
魔力が込められ、膨張し──
やがて、歯は形を失い、白銀の光へと変わった。
光は分裂する。
一つが、二つに。
二つが、四つに。
そして、十四。
十四体の、人型。
ルシアは両手を広げ、静かに呟く。
「”傀儡演舞”……」
指先から、銀色の魔力の糸が伸びる。
十四体すべてに、正確に、迷いなく繋がっていく。
続けて、ルシアは一歩、前に出た。
「”極光円舞”。」
その宣言と共に。
十四体の人形が、一斉に変質した。
八体が、ポーン。
二体が、ビショップ。
二体が、ルーク。
二体が、ナイト。
白銀の戦士達の背中から──
ゴォォォッ!!
眩いほどの銀光の翼が、一斉に噴き出す。
空を覆う、十四の光。
まるで、天使の軍勢だ。
彼らは空から、静かにアルドを見下ろしていた。
ルシアは、低く、問いかける。
「これなら……どうする……? アルド」
だが、その瞬間だった。
ルシアは、異変に気づく。
アルドの中に──
あり得ない密度の魔力が、収束し始めている。
(……これは……!?)
反射的に、身構えた。
次の瞬間、アルドが、静かに呟く。
「──”竜刻”」
世界が、止まった。
音が消え、風が凍り、草木が揺れることを忘れる。
色が抜け落ち、すべてが灰白色へと沈んでいく。
時間という概念そのものが、圧縮され、固定される。
ルシアの思考が、走る。
(”竜刻”……真祖竜の中でも、数千年の歳を生きた、極々限られた成竜にしか扱えないはずの……神級スキル……)
(やっぱり、アルドは……)
そこまで考えた瞬間。
超高密度の魔力の奔流が、彼女を呑み込んだ。
思考が、ぷつりと途切れる。
──次の瞬間。
「……あ。」
ルシアは、はっとして目を開けた。
視界に映ったのは──
崩れ落ちた十四体の戦士。
砕け散った白銀の破片。
そして、その破片の一つを片手に持ちながら──
少し困ったような顔で立っている、アルド。
「……これ、壊しちゃってよかったんだよね?
これで更に罪が重くなる的な罠じゃないよね?」
本気で不安そうな声だった。
ルシアは、目を見開いたまま、しばらく言葉を失う。
やがて──
ふっと、小さく笑った。
「……そんな事、しない」
静かに、しかしはっきりと。
「この勝負、アルドの勝ち」
アルドは、心底ほっとしたように肩を落とす。
「よかった〜」
その後、ちらりとルシアを見て、笑いながら言った。
「……ってかさ。これだけ魔力出してれば、いくら俺でも、気づくよ」
ルシアは、何も言わず、ただアルドを見つめる。
アルドは一歩、近づく。
「何でもっと早く言ってくれないのよ」
ルシアは、小さく息を吐いた。
「……少し魔力の波長を変えたぐらいで、気づくのが遅すぎるアルドが悪い」
アルドは、彼女の目の前で立ち止まる。
そして、照れたように、少しだけ目を逸らしながら言った。
「悪かったよ。──久しぶりだね……グルーシャ」
ルシアは、一瞬だけ目を瞬かせ──
それから、淡々と答えた。
「うん。久しぶり、アルド」
ルシア・グレモルド。
その正体は──
悠天環で共に時を過ごした、アルドの幼馴染。
真祖竜、グルーシャだった。




