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「なにを始めるかわからないから目を離せないとは思っていたけど、お勤めの後、聖典を片付けに行っているほんの数秒の間にいなくなるなんて思わないじゃない!」
「聖女様が見つからなかったらソフィーは大変なことになるのではないの?」
「なるわよ。ああ、もう……最悪の場合はこの首が物理的に飛ぶわね」
頭を抱えてしまったソフィーの頭を撫でる。きっと見つかるわ、と慰めれば、見つからなかったら困るのよと本日何度目かの大きな溜息を吐いた彼女は立ち上がった。
「お邪魔したわね。ベアトリス。私、もう行かなくては。またね」
「ええ。ソフィーも気を付けて」
「年頃の令嬢を一人で行かせるのは心配だ。僕も一緒に行くよ。二人で探した方が早く見つかるかもしれないだろう?」
遠慮するソフィーをエスコートするようにして、お兄様も聖女様探しに行ってしまった。
それにしても、かなり自由奔放な様子の伺える聖女様とあのエミリオ様。そんなお二人が結婚して大丈夫なのかしら? いくら王族と聖女の結婚が国の繁栄をもたらすと言われているとしても、とんでもない苦労をする人たちが出てくるのでは? と不安になる。
「ソフィエル嬢は、聖女の世話係を押し付けられたようだな」
お父様の言葉にマクス様も頷いて口を開く。
「国から見れば、現段階で教会に属しているわけではない珍しい存在の聖女だ。今、自分たちの手の内に入れられたら、教会側が彼女の処遇に関して口を挟むことを拒否できると思った人間がいたのかもしれない。教会の手を離れている元聖なる乙女とは、なんとも都合のいいお嬢さんがいたものだよ」
聖女様に、教会のしきたりや儀式の手順だけではなくこの国の貴族社会の作法も教えられて、王家の人間でもなければ教会所属でもなく、聖女様と年齢も近く、堅苦しすぎるわけでもなければ型破りなわけでもない、しかし根は真面目な性格。確かに、国から見たらソフィーは適任すぎる存在だった。
「しかも、彼女は娘とも仲が良い。ついでにビーを聖女の妃教育の補佐として指名しようとしている可能性もなくはない」
「ビーがエアルトリアの保護下にいたとしても、聖女のためなら契約も関係ないと言い出すつもりなのか? 舐められたものだな」
不機嫌そうに顔をしかめたマクス様は、長い指でトントンを机を叩く。
「まぁ、ここでこうしていても仕方がないな。また誰が訪問してくるとも限らない」
「そうですね」
「私も、ビーが憂うようなことにならないよう考える。さて、随分と長居をしてしまったな。ということで、先程も説明した通りビーとは書類上の夫婦ということにはなったが、2年後には婚姻関係を解消する契約だ。その時期に合わせて、彼女の婚姻相手を探しておいていただいて構わないよ」
マクス様は綺麗な笑顔を浮かべて私の腰を抱く。
「だが、この期間は彼女を我が最愛の妻として最大限に大切にすると約束する。悪いようにはしない」
「……よろしくお願いいたします」
家を出る直前、マクス様になにやら耳元で囁かれたお父様が顔を赤くしたり青くしたりしていた。その様子が少し気になったけど、見上げた私にマクス様は意味深に笑っただけだった。
「城へ戻る前に、なにか街で買っていきたいものはないか」
「それでしたら、お菓子を買っても良いでしょうか」
結婚式に合わせて甘いものを控えていたから、今日久しぶりに食べたお茶菓子はとても美味しく感じられた。これからお世話になるエアルトリアの使用人のみんなにあのお菓子を渡すのもいいかもしれない。
「ああ。もちろん構わないよ」
笑顔で応えたマクス様とパティスリーに向かう。
人目を避けて転移魔法で店の近くに移動すれば、貴族平民を問わず人気で連日列が出来ているはずの店頭に今日は妙に人が少ない。広場で盛大なお祭りが行われているし、あちらに店を出しているのかもしれない、なんて思ったのだけど――それは私の勘違いだった。
店のドアを開ければベルが鳴り、同時に大きな声が聞こえてきた。
「まぁ! どれも美味しそうですねっ、あれは作りたてをこの場で食べられるものなんですか。わぁ! 食べてみたい!」
「ミレーナ様! それ以上は持ちきれませんっ」
「良いじゃないか。こっちで荷物持ちをするって言っているんだから……」
「そういう問題ではありませんわ」
ついさっきまで聞いていた声が聞こえる。綺麗で愛らしい焼き菓子が並ぶショーケースの前に、見事な金髪の長身の男性とストロベリーブロンドの緩やかにウェーブのかかった髪の小柄な少女。そしてその二人を止めようとしている女性がいて――
「ソフィー?」
思わず呟きが漏れると、声に気付いてこちらを振り向いたソフィーは慌ててその人たちの視線から私を隠そうとした。しかしあちらから肩越しに覗き込まれてはその努力も無駄だった。
「ああビー、いいところに」
助けを求めるような顔でこちらを見たのはエミリオ様だ。王子が街中に現れたとあっては騒ぎにもなるだろうに、この店の周りに人はいない。どうやら、人払いをされている地域の中に、マクス様と私は直接移動してしまったようだった。
「ソフィエル嬢を説得してくれないか? お金ならあるし、これくらいはいくらでも買ってあげると言っているのに――」
「お金の問題ではありません! ミレーナ様のお口に入るものは全部お毒見が必要なんです。エミリオ様のお食事もそうでしょう? 大体ご令嬢と王子様が買い食いなどなさらないでくださいまし」
「じゃあ、ソフィエル嬢が毒見をしてくれたらいいよ」
「どうしてそうなるのですか」
話が通じない、と露骨に嫌な顔をしながらソフィーは自分の胸に手を当てる。
「私、これでも元々は聖なる乙女なのです。聖なる乙女たちに毒物が効かないことはご存じでしょう? 私では毒見役になりませんわ」
「君は去年聖なる乙女を引退したんだったね。あ、でもさ。でも聖なる乙女でも毒物が効かないというのなら、聖女であればもっと効かないんじゃないかな。ということは、毒味なんて必要ないってことだね」
「私! なにかを食べておなかを壊したことはありません。森で採ってきたキノコや野草を食べても平気でした」
「ほら、ミレーナもこう言ってるよ?」
苛立ちを隠しきれていないソフィーは、ミレーナ嬢をエミリオ様から引き離そうとする。実家と店の距離を考えると、ソフィーは家から出た直後にこの二人と合流できたのだろう。見回してみたけれど、お兄様はもう近くにはいないようだった。
「皆ミレーナ様を心配して探しておられるのですよ? 発見したとの知らせは飛ばしましたが、一刻も早く王城へ戻って無事なお姿をお見せする必要が――」
そんなソフィーの至極真っ当な主張は
「もう少しだけ。もうちょっとだけみんなの様子を見て回りたいんです」
というミレーナ様の発言に対する
「抜け出してから何時間も経っているんだ。ちょっとくらい帰りが遅くなっても今更変わらないよ」
そんな斜め方向から援護をするエミリオ様の言葉で打ち消される。
どうであれ、エミリオ様はこの国の第二王子なのだ。いくら勝気なソフィーとはいえ、王族相手にそれ以上強く出ることはできずに黙り込む。壁際には、先ほどお会いしたオリバー様だけではなく、宰相のご子息であるユリウス・ノヴァ様、騎士団長のご子息であるレオンハルト・アルカディウス様の3人のエミリオ様のご友人が立っていた。エミリオ様のお伴として共に行動しているのだろう彼らの顔にも疲れが見える。ソフィー以上にエミリオ様に強く出ることは出来ないのだろうし、この調子ではまだ帰れなさそうだ。
なにはともあれ、聖女様が見つかって良かったわと思いながら壁際のお三方を眺めていると視線にピンク色のものが飛び込んできた。視線を下げれば、すぐ近くに聖女様が立っていた。驚いて瞬きを返すと、彼女はにっこりと愛らしい笑みを浮かべた。
「私、ミレーナ・カレタスと申します」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。ベアトリス・イウストリーナと申します」
最敬礼の礼をしながら名乗れば、エミリオ様が余計なことを付け足した。
「ビーは僕の幼馴染だよ。ほら、円満婚約解消した元婚約者。昨日話をしたよね」
「ああ、やっぱり! この方がベアトリスお姉様なんですねっ?」
――円満婚約解消? ベアトリスお姉様?
どちらの単語も理解しがたくて、笑みを浮かべたまま凍り付く。
国王様直々に有無を言わさぬ婚約解消を、しかも結婚式の場で言い渡されて口を挟む猶予など与えられなかった。しかも事情が事情だ。あの状況下でどこの誰に異議申し立てが出来たものか。確かにイウストリーナ家からも一切の抗議は出ていないのだから、円満婚約解消とはよく言ったものだ。
そしてその『お姉様』という呼び方は? ミレーナ様は私よりも1つ下だということだけれど、見ず知らずの少女からそう呼ばれるのは受け入れ難かった。
黙ってしまった私を覗き込み「顔色が悪いようですけれど、具合が悪いんですか?」とミレーナ様は心底心配そうに尋ねてくる。その表情にわざとらしいところはなく、本気で私の体調を心配してくれているようだった。自分の隣にいる男性の元婚約者だという私を前にしたところで、悪気も悪意もない。あまりにも無邪気で、だからこそ対応に困る。せめて申し訳ないという顔でもされれば「お気になさらず」と本気を伝えられるのに、彼女は私に対してそのような感情は抱いていないように見えた。
大丈夫です、と短く言った私の肩に手がかかる。見上げれば、完璧な笑顔を浮かべたマクス様が私を抱き寄せていた。エミリオ様が、驚いた顔で私の肩に乗せられたマクス様の手を凝視しているのが視界の隅に映る。どうしてそんな顔を、と不思議に思っていると、マクス様は私を後ろに下がらせてから両手を広げて、恭しく頭を下げた。
「申し訳ない。彼女はまだ少し疲れているようでしてね。早く休ませてやりたいので、先に買い物をさせていただいてもよろしいでしょうか」
その態度も発言も、王族に対してあまりにも不遜な態度だった。ユリウス様からは非難するような視線が送られ、レオンハルト様が帯同している剣に手を掛けながら一歩前に出た。彼らの目を気にする様子もなく、マクス様はエミリオ様の許可を得てからショーケースの前に行くと、おすすめをいくつか箱詰めしてもらっている。
「お疲れの時には、甘いお菓子は癒されますものね」
「……ええ」
またしても無邪気に話し掛けてくるミレーナ様に、私は曖昧に頷く。購入したお菓子を手に、マクス様が戻ってくる。
「お心遣いに感謝いたします」
「エミリオ様、ミレーナ様、私たちはこれにて失礼いたします」
それ以上話し掛けられる前に、壁際のお三方にも礼をしてそそくさと店を出る。エミリオ様は黙ったままマクス様を難しい顔で見ていた。もしかしたら彼はシルヴェニア辺境伯との面識がなかったのかもしれない。マクス様に対して特に発言することはなかった。
店を出て路地裏に向かいながら、マクス様は髪を撫でつけた。
「あれが今代の聖女か。なかなかに元気そうなお嬢さんじゃないか」
「聖女様は、慈愛溢れる物静かな方というイメージが壊れていきますわね」
「ははッ、聖女だからって全員がしとやかなわけではないだろう。当然、いろんな性格のがいる。まぁアレはなかなかに珍しいタイプではあったがな」
教会も手を焼くことになるだろうなぁと言うマクス様は妙に楽しそうで「そんな意地悪をおっしゃらずとも」とつい口を出してしまった私に
「意地悪じゃない。事実だ」
マクス様はまったくフォローにもなっていないことを言って、周囲に誰もいないことを確認すると私を抱き上げる。
「きゃっ」
「では、家に帰ろうか。しっかりと掴まっていておくれよ」
マクス様が指を鳴らすと、また一瞬で目の前の景色が変わって。
私たちは無事エアルトリアへ戻ったのだった。




