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そのけたたましい音でお母様も気が付いたようで、身体を起こすと何事もなかったかのような顔でソファに座りなおす。会えると思っていなかった顔に驚いて立ち上がると、瞳を潤ませた彼女は駆け込んでくるなり私を強く抱きしめた。
「ああ私のベアトリス! 傷付いてはいない? 大丈夫? シルヴェニア卿のところで静養することになったと聞いていたけど、まだここにいたのね。会えて良かったわ。調子はどう? 癒しの力が必要ならいつでも言ってね?」
ぎゅうぎゅうと強く抱き締められると痛くて堪らない。ソフィーの豊満な胸に顔が埋まって息ができずにいる私を見かねて、お兄様が彼女を引きはがした。
「おやあ、あなたはソフィエル・アンネか? 聖なる乙女の?」
ソフィーの顔に見覚えがあったのか、マクス様は彼女の名前を呼ぶとお兄様の手から私を受け取って自分の隣に座らせる。マクス様の耳は、いつの間にか人間のように短くなっていた。私を挟んでマクス様の反対側に腰掛けたソフィーは怪訝そうな顔をして彼を見た。
「貴男は?」
「私かい? 私はマクシミリアン・シルヴェニアと言う。よろしく頼むよ」
マクス様が差し出した手を握り返しながら、ソフィーは「シルヴェニア?」と呟いて
「まあ、ベアトリスが静養することになったというシルヴェニア家の御当主様? 私のことをご存じでいらっしゃるのね。とても光栄ですわ、ね――……?」
そこまで言った彼女は、言葉をピタリと止めて眉をひそめた。
「どうしたんだい?」
「………………」
黙ってしまったソフィーは繋がれたままの手を見て、それからマクス様を睨む。温かな蝋燭の光のようなオレンジ色の瞳が厳しい色を帯びる。
「貴男、何者?」
「マクシミリアン・シルヴェニアだと名乗ったはずだが?」
「……どうしてなにも見えないの?」
「はははッ、そりゃあ私の方があなたよりも魔法の力が勝っているからだよ。この私が他人に簡単に心の内を探らせるわけがない。そんじょそこらの魔法は私には効かないよ。残念だな」
その言葉で納得したらしいソフィーは「辺境伯は随分と優秀でいらっしゃるのね」と言って手を離すと、自分のスカートで手の平を拭ってから艶めく亜麻色の髪を軽く後ろに払った。
彼女は私の幼馴染であり、神聖魔法の使い手である聖なる乙女の一人だった。18を過ぎても聖女として覚醒しなかったので今は実家に戻っているのだが、当然癒しの力を持つ彼女を妻にと求める人は多くても、なかなかソフィーのお眼鏡にはかなわないようで現在絶賛婚約者募集中という身。教会に残らないかという誘いに「こんな息苦しいところはもう真っ平だわ」と言い切ったという話は友人間で語り草となっていた。同年代の聖なる乙女の中でも一番優秀で、ソフィーが聖女として覚醒したのならエミリオ様の妻となるのは彼女だった、というなかなかに複雑な関係ではあったけれど、私たちはお互いに親友だと思っていた。
聖なる乙女が持っている力の一つに、触れている相手の悪意や感情を感じ取るというものがある。だから、腹に一物抱えるような人物は元々彼女たちに近付こうとはしない。ソフィーも今、その力でマクス様の腹のうちを探ろうとしたのだろう。でも彼の感情を読み取ることは出来なかったらしい。
「それにしても、ソフィー嬢はどうしてここに?」
お兄様の質問に、サロン・ラディアモル付近で私を見かけたという話を聞いて、もしかしたら実家にいるのかもしれないと思って会いに来たのだ、とソフィーは答える。
「誰も伴っていないのかい? 今日のようにお祭り騒ぎになっている街に護衛もなく出掛けるのは危険だと思うのだけど」
「実は私、人を探させられていまして」
重ねてのお兄様からの問い掛けに、メイドが持ってきたお茶を飲みながらソフィーは小さく息を吐いた。
「エミリオ殿下なら、先程ここを出て行かれたが」
「エミリオ殿下? まあ、あの方もこちらにいらしていたんですの? でも、私の探している方は殿下ではありませんわ」
小さく瞬いた彼女は内緒話をするように声を小さくする。
「実は私、昨日から聖女様の案内係を命じられているのです。ベアトリスの親友とわかっている私にこんなことを命じるなんて、国王様もなにを考えていらっしゃるのかしらね。聖女様が覚醒なさっていたのはおめでたいことですけど、その影で泣いている乙女がいるというのに」
「私、泣いてないわよ」
「しかも聞いて? あの聖女様、午前のお勤めで神殿で祈りを捧げた後、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまったの。庭園にでも迷い込んでいるのかと思って総出で探したのだけど、どこにもいなくて。もしかしたら街の喧騒に誘われて城を出て行ってしまったかもしれないという話になって、今大捜索中なのよ。あぁ、聖女様が行方不明だなんてこと、誰にも言わないでくださいね?」
――そういえば、エミリオ様も聖女様を探しているとおっしゃっていたのをみんなには言っていなかったわ。
うっかりエミリオ様が御城を出てうろついていた理由を家族に伝えるのを忘れていた。近衛兵たちばかりではなく、エミリオ様やオリバー様まで駆り出されている様子だから、人海戦術で捜索中なのだろう。エミリオ様が出て行ってからそれなりに時間は経っているのに、まだ見つかっていないのだろうか、と少々聖女様が心配になる。
「昨日から見るもの見る物すべてが珍しいらしくて、質問攻めにされるわ、あちらこちらふらふらと興味を惹かれたところに行こうとするわで、あの聖女様はぁぁ!」
「ストレスが溜まっているようだねぇ」
苦笑いのお兄様がソフィーに茶菓子のマカロンを勧める。かりっと一口齧ったソフィーは、今度は深く息をして私の肩に頭を乗せてきた。疲れているのね、と彼女の頭を撫でていると、反対側から視線を感じる。顔だけを向けてみると、マスク様が私たちをじぃっと見つめていた。
「昨日1日でぐったりだわ。男爵家のご令嬢ということだけど、彼女、幼い頃から身体の弱い母親の静養のために隣国にある母方の実家で育っていたんですって。だから聖なる乙女の素質があるか否かの診断も受けていなかったようね。父君からそろそろ結婚適齢期なのだから、という口実で最近こちらに呼び戻されたらしいの」
「そんな子が、どうして聖女だという話になったんだい?」
「……聖女様のお名前はミレーナ・カレタス様とおっしゃるのですけど」
「ああ、カレタス卿のところの。かの領地にはセラフィカの泉があるなぁ」
マクス様の言葉に、ソフィーは大きく頷く。
「あろうことか、森の中を散策している最中、木に生っている実をもいで汚れてしまった手を聖女の泉で洗おうとしたらしくて。それで、水に触れた瞬間泉全体が強い光を放ったそうです」
「確かにあそこには聖女の洗礼で泉が光るという謂れがあったな。ははッ、随分と珍しい発覚の仕方だ」
「それは……ソフィー嬢もご苦労なことだ」
お兄様は苦笑いを浮かべるが、その表情にはわずかに嫌味のようなものが見える。
私自身は聖女様に対して含むものなどない。隣国で育っていたというのなら、私のことも認識していなかった可能性が高く、本当にタイミングが悪かっただけで、私に対する嫌がらせなどという意味合いは皆無だろう。だが、私がどうとも思っていないと言ったところで、どうにもお兄様もソフィーも聖女様とエミリオ様に対してあまりいい感情を持っていなさそうに見えて、困る。
「私は、エミリオ様のことも聖女様のことも、恨んだり妬んだりしておりません」
私の発言に、皆の視線が集まる。
「今となっては――ここだけの話ですけど、むしろあの性格が素なのであれば、エミリオ様と結婚しなくていいというのはありがたいとまで思ってます」
「まぁベアトリス!」
ソフィーは言うなり私の手を両手で包み込む。
「あの王子が貴女を娶るなんて釣り合わないにもほどがあるとずっと思っていたの。身分はともかく、中身はお子様みたいなんだもの。愛らしい貴女にはもっと落ち着いた包容力のある方が似合うわ。本当に全然傷付いていないみたいね。ベアトリスがあの方に未練もなにもないのなら、私も心置きなく聖女様のお世話が出来るというものよ」
「ソフィー、それは不敬罪にあたるわ。ダメよ、そんなことを言っては」
「でも、あの王子様ってば本当になにも考えていなさそうなんですもの」
私たちのやりとりにくつくつと笑っていたマクス様が、続きをいいかい? とソフィーを促す。
「セラフィカの泉が光ったところを通りかかった人が目撃していて、聖女様が現れたのでは? と騒ぎになったそうです。その後は教会の人の前でミレーナ様がもう一度泉に触れてみせると本当に輝いたものだから、大司祭様に聖女認定していただくべく王都に連れて行こうとしたらしいのだけど……なにせ結婚式の直前だったではないですか。噂話を聞きつけた大司祭様が間に合わなくなってはいけないとすぐに現地を訪問して――それからは皆様もご存じの通りです」
つまり、エミリオ様と私の結婚式の最中に聖女が現れたと王に伝わり、私は婚約破棄された、と。
他国で育ってきて貴族としての身の振り方を学んでいないらしいミレーナ嬢はだいぶユニークで、かなり快活で大胆な方のようだった。




